第66回-2 中央ユーラシア調査会 「イラク・自衛隊漂流記」佐野 伸寿【2006/09/29】

日時:2006年9月29日

第66回-2 中央ユーラシア調査会
「イラク・自衛隊漂流記」


佐野 伸寿

佐野 伸寿     今年1月から半年間、イラク、サマワへ派遣された。TV報道等により多くの人はイラクが危険であり、サマワもかなり危険で、まるでイラク人が日本人を憎んでいるかのような印象を抱いているが、実際のサマワは非常にのどかで、イラクの人々は日本そして自衛隊に対し親近感をもってくれており、自衛隊の派遣の成功には多分にイラクの人々に助けられた側面がある。現地での私の雑感を聞いて頂ければ、多少ともイラクという国、そしてイラクの人々への見方が多少とも違ってくるのではないかと思う。

1. 日本人への親近感
 イラクの人たちは、非常に日本人好きだ。サマーワ最大の病院は、日本の政府開発援助(ODA)でつくられたものであるし、日本に対してはムサンナ県だけでなく、イラク全体でよいイメージが持たれているようだ。欧米の対するアンチテーゼとして日本が存在し、アメリカ、ヨーロッパへの拒否感の裏返しに親近感があるのかもしれない。
自衛隊がいたムサンナ県は危険ではないとは言っても、外国からのテロリストが入っているほか、シーア派対スンニ派の争いもあり、テロは日常的に起こりうる。しかし日本側は誰も傷つけられず、また最もよかったことは、日本人がイラク人に一発も発砲しなかったことだ。「非戦闘地域での人道復興支援活動」に終始できたことは、大きな意義があるだろう。イラクの人たちが自衛隊の活動に対する評価を決定づけたと言っても過言ではない。

2. 自衛隊の派遣を支える我が国の取り組み
 今回の派遣の中で、最も重要な支援は外務省が行った各種のODAによる事業だった。自衛隊が派遣されて、自衛隊なりに可能な限り真摯に取り組んでいたが、そこには限界があり、イラクの住民のニーズをカバーすることはできなかった。自衛隊という人の支援とこういった援助が相まって大きな成果を産んだと考えられる。自衛隊の派遣の部分がクローズアップされがちだが、実は、オールジャパンでこの支援活動を行っていた。言い換えればオールジャパンで自衛隊を支えていたのである。

3. 自衛隊の広報活動
 私はイラクでは広報を担当していた。特に現地では現地テレビ用のコマーシャルを作っていた。広報活動の中では、とくにイスラム教に関する部分を非常に大事にするよう心がけた。例えばわれわれがつくった新聞では、多くの部分でコーランを引用し、地元の人たちから自衛隊がイスラム教のことをよく理解してくれている、というイメージを持っていただけたようだ。こういった配慮に加え、娯楽が少ないイラクでは、明るく楽しい内容であったため、非常に人気があった。受け入れられた理由は、そればかりではない。どちらかというと、イラク側、すなわちムサンナ県行政府側の政権維持のために必要であったと言う側面がある。特に電力に関するコマーシャルは、県民の電力不足への不満の説明として、県の要請により日本が発電所を作るから確実に電力問題は解決するといったメッセージを込めて、県はこのコマーシャルを3ヶ月以上も毎日放映した。また、変わったものではJICAの招聘事業をもとにTV番組を作った。これらは、単に自衛隊のピーアールという以上に、ムサンナ県の現行政権のプロパガンダとしても意味があった。

4. 派遣期間中の自衛隊を取り巻く環境
 我々が派遣されていたのは1月から7月末までの間であったが、この間、デンマークでムハンマド風刺画事件がり、世界的にイスラムと西洋なるものの溝が深まり、イラクの人々の中にも欧米諸国に対する不満が高まっていた。同時に、その頃、国民投票も終わり、いよいよジャハリ政権が本格的始動しようとしていた時期に、アスカリ廟の爆破があり、スンニーとシーアの争いが激しさを増し、米国は、ジャハリ政権に治安統治能力がないと言ってジャハリ政権に異を唱え、遂にジャハリ政権は流産することになる。結局マリキ政権が誕生するが、イラク国民は米国の干渉に不満を募らせることになる。こういった状況で、日本は政治にも宗教にも干渉せず、支援を、しかも発電所建設事業のように大きな事業を行っていた。ムサンナ政府そしてイラク政府、そしてイラク国民にとって、日本の支援はアメリカのアンチテーゼとして重要なものとなり、イラクでは日本の活動を過大に評価するようになる。7月13日の治安権限委譲式典におけるムサンナ県知事の発言(日本に対する感謝)はそういったイラクの国内事情を反映している。

5. 自衛隊派遣の意義
 自衛隊派遣の意義についてだが、医療技術始動277回、補修工事は全部で133案件の事業を行った。しかし、これはそんなに圧倒的な数字ではない。自衛隊が補修した学校は養護学校4を含む40校であり、それはムサンナ県400校の中の40校に過ぎなかった。従って、自衛隊が抜本的に何かをよくした、ということはなかったと思う。水に関してはわれわれが協力して確保したが、ムサンナ県の人たちがこの支援を逆に宣伝し、「このような支援を日本から引き出しているから、自分たちは間違っていない」とアピールしていたように思う。
ある意味で、日本の支援はイメージとしてイラクの人々に本当に必要な時期に必要なものが行えたと思う。
自衛隊派遣は元々、イラクの人たちから要請された訳ではなく、アメリカの顔色を見て決められたところがある。しかしイラクの人たちは、逆にわれわれを歓迎してくれた。従って、自衛隊がよくやったというよりは、イラクの人々がよくやってくれたのだと思う。日本は今回の派遣でイラクの人々に悪い印象を与えずに終了することができた。今後はこの良好な関係を広げ、イラクとの良好な関係を築いていけるものと考える。

[コメント]
出川 展恒氏(NHK解説委員)
 ご存知のとおり、陸上自衛隊は、現地の治安維持には関わらず、人道復興支援に専念する方針を貫いた。対象地域も、サマーワを中心とするムサンナ県に限った一点集中型だった。最大の成果は、陸上自衛隊の隊員が、派遣期間中、銃を1発も発射することなく、武装勢力の攻撃によって犠牲者やけが人が出ることもなく、無事に帰国することができたことだろう。サマーワを中心とするムサンナ県では、概ね評判がよく、自衛隊に対する感謝の声がほとんどだったが、イラク全国レベルで見ると、必ずしも自衛隊の活動が理解されていたとは言えなかった。イラクのタラバニ大統領やマリキ首相は、自衛隊が治安維持活動に携わっていたものと誤解していたし、ムサンナ県以外の住民は、その恩恵を実感できなかった。残念ながら、イラクの新しい国づくりはうまく行っていない。最近では、宗派間抗争の激化によって、毎日、罪もない一般市民が大勢殺害されている。このままでは、本格的な内戦に突入し、国が分裂するおそれもある。日本では、陸上自衛隊が撤収した後、イラク情勢が、なかなかニュースにならなくなっているが、イラクの新しい国づくりは、まさに、これからが正念場だ。イラクが、かつてのアフガニスタンのように、国際テロ組織の活動拠点となって、混乱状態が定着してしまう事態だけは、避けなければならない。最近では、「こんなことになるくらいなら、フセイン政権時代の方がましだった」という答えが、イラクの人々から返ってくる。最重要の課題は治安の回復であり、そのためには、人々の生活に直結するインフラを整備することも必要だ。人々に生活が良くなったという実感を与えることが必要だからだ。日本は、ODA・政府開発援助によって、電力、水、道路、学校、病院といったプロジェクトへの支援ができると思う。現地企業を活用すれば、イラク人の雇用の場をつくることもできる。さらに私自身が現地で感じたことは、イラクの将来を背負って立つ人材の育成が必要だということだ。とくに政治、地方行政、経済、科学技術、教育、保健医療などの分野でリーダーとなる人材を、日本の手で育てて行くことだ。イラク国内に入って技術指導することは、治安の関係で、現在は不可能だが、周辺国にイラク人を呼び寄せて実施することは十分可能だ。自衛隊の派遣ではおよそ800億円の予算を使ったということだが、その金額に見合っただけの効果があがっただろうか、必ずしも「日本の顔の見える支援」とはなっていなかったのではないか。イラクの人々が、日本に対して一番望んでいるのは経済支援であり、それに対し、日本がどこまでこたえられるかが問われている。「陸上自衛隊が撤収したから、これで終わり」ということではなく、イラクの人々が求めていることを良く理解したうえで、日本として、いったい何ができるのかを、政府も民間も、真剣に考え、実践してゆかなければならないと思う。

(敬称略 / 講師肩書は講演当時 / 文責:貿易研修センター)

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担当:総務・企画調査広報部