第6回 IISTアジア講演会 「日・タイ経済パートナーシップ」経済産業省 通商政策局 国際経済課長 黒田 篤郎【2006/12/01】

講演日時:2006年12月1日

第6回 IISTアジア講演会
「日・タイ経済パートナーシップ」


経済産業省 通商政策局 国際経済課長
黒田 篤郎

黒田 篤郎1タクシン政権の発足からクーデターまで
 私は2003年春から今年の夏まで約3年半にわたり、タイに駐在した。きょうは(1)今年9月のクーデターがなぜ起こったのか、(2)タクシン政権による政治と経済政策、(3)タイの日系企業の現状、(4)日タイ間の経済関係―という4つの点について、お話ししたい。

 タイのタクシン政権は、2001年に発足した。タクシン氏率いるタイ愛国党は、2005年2月の選挙でも圧勝し、2期目に入ったが、その約1年半後にクーデターが起きた。2001年当時の最大の政策課題はアジア危機からの回復であったが、2003年の秋ごろには、タイは国際通貨基金(IMF)からの借金を1年ほど前倒しして返済した。これはタクシン氏にとっての、一種の勝利宣言だったと思う。タクシン氏は特に農村部を中心とした草の根経済振興を進め、特に日本にならった一村一品運動は有名になった。このような政策で人気は高く、内需主導で景気も拡大した。しかし2期目に入って、難しい課題がいろいろ出てきた。(1)南部におけるテロの問題、(2)鳥インフルエンザの問題、(3)スマトラ沖地震による津波のための観光産業への打撃、(4)汚職の問題、(5)原油高・バーツ高・金利高によるマクロ経済の問題などである。それぞれについて決め手となる対策はなく、国民の不満が拡大したのは事実だと思う。

開催風景 そこに2006年1月、タクシン氏が自分の会社の株を売った際に税金を払わなかったことが大きな問題となった。政策がうまくいかないことに加え、周辺に汚職の噂があり、またタクシン氏が独断専行型であったことも、批判や不満を招くことにつながったと考えられる。このようにして、反タクシン・デモが始まり、タクシン氏は下院を解散して、日本風に言えば、みそぎを受けることにした。しかし最大野党の民主党は、この選挙自体をボイコットした。選挙では当初愛国党が勝利したが、その後、王様が「この選挙はおかしい」という見解を示し、裁判所による違憲判決によって選挙は無効になった。10月15日にやり直すことが一旦決まったが、タクシン氏が自己の進退を明確にしなかったこともあり、そのような中でクーデターが起きた。

 今回のクーデターの背景に、タクシン政権の腐敗、タクシン氏のキャラクターからくる問題があったのは確かだが、軍部とタクシン側との確執もあった。さらに、社会構造の変化もあったと思う。タクシン氏は、相当な地方経済の振興政策をとっていたが、タイの中進国化に伴い、近年増大しているバンコクの中間層の目には、それらは「票集めのための衆愚政治」のように映り反発を強めたものと考えられる。

2. タクシン政権による経済政策
 タクシン政権による約6年間の経済政策は、もう終わったことだと思われるかもしれないが、私は途上国、特に中進国になろうとする国のモデルになり得る政策パッケージだったと評価している。これは一言で言うと、デュアル・トラック・ポリシー、2つのルートの経済であり、外資系企業を誘致して輸出振興することに加え、地方・農村・中小企業といった内需振興を進めるものだ。

 具体的には農村において農協銀行での借金を3年間棚上げする、農村基金として全ての村に約300万円(100万バーツ)ずつ貸す、といったことがなされ、これを原資に各地で一村一品運動などが進んでいった。これらによってタイでは輸出が増大し、結果的に農村部で車や家電が売れるといった現象も起きた。さらに通商政策では、多方面との自由貿易協定(FTA)を推進した。自由貿易化でだめになる国内の産業はあきらめ、生き残る産業を集中的に強くしていこうと、(1)自動車と自動車部品産業、(2)タイ・シルクなどの衣料、皮革関係、宝石などのファッション関係、(3)食品加工、(4)観光、(5)ヘルスケア産業に代表される高付加価値サービス産業-という5つの産業を国家重点産業に決めて推進し、成功を収めた。

3. 日本からの投資と日・タイ経済パートナーシップ
 タイの特徴は、投資の半分程度が日本から来ていることで、これは他の国には見られない。タイに投資するメリットはいろいろあるが、とくに裾野産業が分厚いことが挙げられる。タイの自動車産業は非常な勢いで延びているが、それを支えているのが部品加工メーカー、素材メーカーといった裾野産業だ。なぜこのような会社ができたのかと言うと、例えばトヨタが進出して40年以上が経つが、その間、地域の部品メーカーを育ててきて、結果として大きな部品メーカーが育った。また、タイには長年積み上がった膨大な投資ストックがあり、日系企業の操業しやすい環境にあること、完成間近のASEAN自由貿易地域(AFTA)により、約5億人の市場へほぼ関税障壁なしで輸出できることがある。さらにここ1、2年の動きとしては、タイ・インドFTA、タイ・豪州FTAなどの締結の結果、ASEANからインド、豪州さらには中東への輸出拠点としての強みを拡大している。

 日タイの経済連携に関しては、まず日タイ経済連携協定は、実質合意をして署名しようというときに、タクシン氏が日本へ来られなくなり、その後クーデターがあったので、未署名の状態だ。新政権はこの内容について、基本的に問題ないとしているが、国会にあたる国民評議会で国民に十分説明したうえでサインしたい、と言っている。

 私がタイで携わっていたプロジェクトに「日タイ自動車人材育成プロジェクト」というものがあり、これは現地での人材不足に対応して、技術者の育成をしていこうというものだ。さらにタイではかつて日本へ留学した人たちでつくったタイ日経済技術振興協会(TPA)によって、タイ日工業大学というものが現地の日系企業の応援を得てつくられており、来年6月には開校予定だ。私のバンコク滞在中にはいろいろなことをやったが、一番当たったのは、「バンコク日本食品フェア」と「日本デザイン展」の2つだった。やはり現地の人たちは、日本に強い関心を持っている。またこのようなものを通じて日本からタイに、お金ではなく知恵やヒントを移転することが、タイのような発展段階の国において求められているのだと思う。来年は修好120周年で、私の後任たちもこれを引き継ぎ、新しいパートナーシップ事業をつくってくれることを期待している。

(敬称略 / 講師肩書は講演当時 / 文責:貿易研修センター)

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担当:総務・企画調査広報部