第88回 中央ユーラシア調査会 「カザフスタンにおける人口・移民政策」カザフスタン教育科学省付経済研究所 労働人材開発部部長/経済学博士 ボラット・ラティボヴィッチ・タチベコフ【2008/07/03】

日時:2008年7月3日

第88回 中央ユーラシア調査会
「カザフスタンにおける人口・移民政策」


カザフスタン教育科学省付経済研究所 労働人材開発部部長/経済学博士
ボラット・ラティボヴィッチ・タチベコフ

1. ソ連崩壊と独立後のカザフスタン
ボラット・ラティボヴィッチ・タチベコフ     カザフスタンは中央アジア北部に位置し、ロシアや中国、他の中央アジア諸国と国境を接する。国土は約270万km2だが、人口は約1520万人に過ぎない。歴史的には遊牧民であった側面を持つ一方で、近年は宇宙開発事業にも取り組み、時代の先端をいく一面も持つ。また豊かな自然環境に恵まれ、石油産業を経済の柱としている。
 カザフスタンをめぐって1990年代に起きた重要な出来事としては、まずソ連崩壊が挙げられる。91年12月16日にカザフスタンは独立を宣言し、市場経済主義国家としての道を歩むことになった。さらに核保有国家であったカザフスタンは、核兵器の撲滅を宣言した。旧ソ連時代には1949-91年8月にかけて468回の核実験がカザフスタンで行われ、うち112回(1949-62年の間に実施されたもの)は地上でのものだった。
 独立後のカザフスタンをめぐる経済状況は楽観的とはいいがたく、1992-95年にかけて経済危機に見舞われた。92年にはインフレ率が3000%を超えるハイパーインフレとなり、国の経済は傾き雇用は減退した。一方、93年11月には新通貨テンゲが導入された。市場経済への移行に伴い新たに銀行システムも整備され、年金制度の改革も行われた。また外国からの直接投資の伸びによって経済が牽引され、雇用も増加した。カザフスタンというと石油資源や鉱物資源に依存する国というイメージがあるが、その人的資源も重視されて然るべきだ。最終的に経済システムの中核を担うのは、「人」の存在だ。また現在のカザフスタンで、多くの国民が市場経済志向であることは重要なことだ。
 1991年当時、カザフスタンでは75%の人々が公共セクターで、25%が民間セクターで働いていたが、2006年にはこれが逆転し、76.4%の人々が民間セクターで働くようになった。2001年にはEU、2002年には米国によって、カザフスタンは市場経済主義国家であることが正式に認められた。2000年以降のGDPの成長率も著しく、2006年まで毎年、前年比約10%増の成長率を維持している。また1997年7月6日には南部のアルマトイから中央部のアスタナへ遷都が行われた。遷都によって、さらなる経済発展、特に都市整備を担う建設業や運輸、通信システムの発展が可能になったと考えられる。

2. 少子高齢化の進行と移民政策
 1991年の独立以降、カザフスタンでは人口が減少傾向にある。この人口減少問題への対策として2本立ての政策が考えられる。それらは人的資源の獲得を目指す移民政策と、出生率の向上を目指す人口増加政策だ。「移民」は他国へ出国する移民(emigration)と自国へ入国する移民(immigration)の2つに分類される。1991-2006年の間には約324万3,900人がカザフスタンから他国へ移住した。その要因は歴史と密接に関連しており、たとえば帝政ロシア時代のストルイピンによる改革、生産手段を国有ないし公有とし共同管理とすることを経済原理とした集産主義下の政治的弾圧などが挙げられる。第二次世界大戦前にはスターリンによる弾圧を嫌い、韓国人やユダヤ人、ロシア人が出国した。戦時中はドイツ人、チェチェン人や他のコーカサス民族が出国、戦後は旧ソ連諸国の人々がカザフスタンを後にした。
 カザフスタンからの移民を考える際、いくつかの段階に分けられる。第一段階とされる1991年の出国の主な要因としては、ゴルバチョフ元ソ連共産党書記長の「国境開放政策」が挙げられ、米国、ドイツ、イスラエル、カナダ、ギリシアや他の資本主義諸国への出国がみられた。当時カザフスタンは独立を宣言したばかりで、経済的要因より政治的要因が影響したと考えられる。次に1994年と97年に出国ラッシュを迎えたが、これは経済危機が原因とされる。1994年はインフレ率が3,000%を超えた年で、97年にはアジア経済危機があった。
 一方、入国する移民を見ると、1991-2006年に入国した移民は118万9200人に上るとされる。この間カザフスタン政府は、出国移民の増加による人口減少への対策として、在外カザフスタン人の帰還政策を積極的に推進した。この帰還推進政策は人口統計上の観点だけでなく、旧ソ連支配下で失われたカザフスタンの言語や文化を再構築するという意味でも非常に重要だった。この帰還政策はドイツやイスラエルでも行われ、2007年5月からはロシアでもカザフスタンをモデルとして導入されている。
 1991-2005年には、オラルマン(Oralman)と呼ばれる周辺諸国からの「帰還民」は約38万人に上った。中でもウズベキスタンからの帰還民が多く、約20万7300人だった。この他、モンゴル、トルクメニスタン、ロシア、タジキスタン、中国などからも帰還がみられる。1991年当初は出国する移民が入国する移民の数を上回っていたが、2003年からは逆転、現在は入国する移民の方が多い。また帰還民の他、カザフスタンへ入国する労働移民の存在が挙げられる。ウズベキスタン、キルギスタン、タジキスタンなどからの労働者の流入は顕著で、カザフスタンが労働移民を惹きつける理由の1つして平均給与の高さが考えられる。
 人口をめぐる重要な問題として、出生率低下の問題も挙げられる。カザフスタンの出生率は徐々に低下し、婚姻率も下がっている。さらに婚外子の増加が新たな傾向としてみられ、統計によると5人に1人が婚外子だ。こうした傾向はカザフスタンの伝統やライフスタイル、価値観の変化を示す。また出生率の低下は経済的要因と密接に関係し、失業率が低ければ出生率は上がり、失業率が高くなるに従って出生率は低下する。さらに女性の失業率が高くなっている。また出生率低下の結果、当然であるが若年人口が減少している。
 グローバル化と高齢化により近い将来、中央アジアだけでなく世界の他の国々でも、ある価値観を持った世代層や国家が消失することが危惧される。例えば旧ソ連時代には共産主義という1つの国家体制が多様な民族国家を支配し、1つの言語、1つの文化的価値観を持つことが強要された。その結果、多様性は失われ、国民の生産意欲は減退、最終的に国が崩壊した。このことからも人間の文明の持続可能な発展には「多様性」が不可欠だと考えられる。
 少子化を解決し高齢化に歯止めをかけるには、既存の優遇政策に加えて、政府が給与を支給するなど、女性が子供を産み育て、社会活動にも参画していける政策が必要だ。長期的な展望の下、イニシアチブをとり、戦略的に政策を考えることが国家の役割だと考える。

(敬称略 / 講師肩書は講演当時 / 文責:貿易研修センター)

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担当:総務・企画調査広報部