第98回-2 中央ユーラシア調査会 「カシミールから見たアフガニスタン、中央アジア問題」ユーラシア問題研究家 清水 学【2009/09/15】

日時:2009年9月15日

第98回-2 中央ユーラシア調査会
「カシミールから見たアフガニスタン、中央アジア問題」


ユーラシア問題研究家
清水 学

1. 文化的、歴史的に特殊な地域、カシミール
清水 学     カシミールには英領インド時代に藩王国があり、現在のインド支配下のジャンム・カシミール州、パキスタン側のアーザード・カシミール州、北部地域といわれるパキスタンと中国が接している地域を領域に含んでいた。今回、インド支配下のスリナガルにあるカシミール大学の中央アジア研究センターでの中央アジアに関するシンポジウムに参加した。カシミールに中央アジア研究センターが存在する理由について、センター所長は文化的、歴史的なアイデンティティーの問題で、「カシミールは一言でいえば南アジアに帰属しているというよりも、中央アジアに帰属している意識の方が強い、中央アジアという枠組みのなかで考えることが多い」ということだった。これは政治的意味も場合によっては持ちうる微妙な発言である。イスラームのスーフィズム(神秘主義)の伝統は、タジキスタンなど中央アジアと深いつながりを持っている。
 インド支配下のカシミールは、3つの地域に分かれている。スリナガル渓谷を中心としたイスラーム教徒が多い地域、南部のヒンドゥー教徒が多いジャンム地域、もう1つは中国の国境に近いアクサイチンでラマ教徒が多い地域である。いわゆるカシミール性(特質)という言葉があるが、これはいろいろな多宗教の共存という意味を含んでいる。
 いわゆるカシミール問題は、インド、パキスタン両国にとって、これは単なる領土紛争に限定されない両国の国家の存立原理が試される問題となっている。世俗主義のインドは、イスラーム教徒が多い地域も当然インドに入ってくるべきだとする。一方、パキスタンはムスリム国家で、イスラーム教徒が多い地域はパキスタンに入るべきだとする。そしてパキスタンにとってカシミール問題が主で、アフガニスタンでのタリバーン問題や「テロ」問題は従の問題に過ぎない。インドもパキスタンとの関係でアフガニスタン問題を位置づけている。インド領のジャンム・カシミールはインド憲法第370条で特別扱いされ、独自の憲法、旗やエンブレムが認められる唯一の州になっている。一方、パキスタン側のアーザード・カシミールも、パキスタンの中で独自の地位を持っている。
 パキスタンの外交戦略で決定的に重要なのはカシミール帰属問題であり、反テロはこれに比べれば副次的なあるいはカシミール問題に従属する課題に過ぎない。最近、水源地としての重要性も付け加わっている。パキスタンは4回にわたるインドとの戦争(1947-48年の第1次、1965年の第2次、1972年の第3次、1999年のカルギル戦争)を経験し、また1998年以降は核保有国として両国は対立してきた。
 中国にとってのカシミール、これは中国が実効支配しているアクサイチンであるが、新疆ウィグル自治区とチベット自治区を最も短時間で結ぶ軍用道路が走っており、戦略的に手放せない地域である。このラダク地区は西チベットともいわれ、また隣のヒマチャル・プラデーシ州ダラムサラにはダライラマが亡命している。なおチベットに接するネパールでは王政が打倒され共和革命が起きた。その革命の主役は毛派共産党である。中国は毛派を支援したとは思われないが、新共和政権が従来よりもプロ・チャイナになってきたことを歓迎している。これを、インドは非常に気にしている。
 南アジアにはいくつか注目すべき動きがある。1つはインドにおける毛派共産主義ゲリラで、決して勢力が小さいわけではない。いくつかの地域で事実上の「解放区」をつくっている。現在彼らの間で統一の動きもある。またパキスタンのバローチスターン州で2003年頃からバローチーの民族運動が再度活発化し始めている。2005年にブグチ氏という有力部族の長が、パキスタン中央政府に対して民兵を組織し反旗を翻し、パキスタン軍と衝突、殺害された。反タリバーン作戦の余波でバローチー民族がますます反中央政府なることをパキスタン政府は強く警戒している。

2. アフガニスタン、タリバーンとの関係
 カシミール問題はタリバーン問題と直結している。パキスタンのFATA(連邦直轄部族地域)はタリバーン、アル・カーイダの「聖地」として使われてきたとして、今日アフガン問題の最大の焦点となっている。FATAではパキスタン法が適用されず、辺境犯罪法(FCR: Frontier Criminal Regulation)という独自の法体系が適用されてきた。要するに連邦政府の規制が効かない地域である。FCRはイギリスの植民地時代の20世紀始めにできたもので、部族長、部族のエリートたちの指導的な役割を認めている。インド・パキスタンが1947年に独立してから、パキスタンはFCRを引き継ぎ、現在までそれは生きている。民事も刑事も、部族長たちが部族長会議で選んだ判事が判決を出し、必ずしもパキスタン中央政府まで行かない形で解決できるということ、そしてパキスタン軍が入るには地元の許可が必要というのが条件だった。現在、変更の動きもあるが、英国も統制に失敗したところであり、予断を許さない。
 またパキスタンとアフガニスタンの国境問題はデュラント・ラインといわれ、両国の厳しい対立の原因であった。パキスタン側が国境として認めるべきとし、アフガニスタンはパシュトゥーン人を分断する植民地主義の遺産として承認してこなかった。しかし、パキスタン政府は1980年代以降、アフガニスタンに対し従来の要求をしておらず、国境問題をあいまいにしている。これはアフガニスタンに対していろいろな工作をする拠点としてのFATAを利用しようとする戦略を反映している可能性がある。
 なお、タリバーン問題評論家のパキスタンのアフマド・ラシードは、最近パキスタン・タリバーンとパキスタン軍の衝突が起きるなかで、パキスタン・タリバーンがパキスタン国家の権力奪取を視野に入れ始めたとして、警告を強めている。インダス河を越えてパキスタンの心臓部であるパンジャーブにタリバーン勢力の浸透が見られる。毛派の問題も含め、南アジアの問にはいくつか流動的な側面があり、ネパール革命の影響も含め、注視していく必要があると思われる。

(敬称略 / 講師肩書は講演当時 / 文責:貿易研修センター)

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担当:総務・企画調査広報部