第99回-1 中央ユーラシア調査会 「日ロ関係を日本からみる」朝日新聞 政治グループ次長 駒木 明義【2009/10/28】

日時:2009年10月28日

第99回-1 中央ユーラシア調査会
「日ロ関係を日本からみる」


朝日新聞 政治グループ次長
駒木 明義

1. 2005年のモスクワ赴任と当時の状況
駒木 明義     私は2005年にモスクワへ赴任したが、前年9月1日には北オセチア共和国・ベスランの学校におけるテロで大きな悲劇が起きていた。ロシアではその後もテロはあったが、大規模なものはおそらくこれが最後で、次第に治安は安定に向かった。これがプーチン政権への追い風と安定をもたらし、またエネルギー価格の急上昇でロシア経済は目覚しい復興を遂げた。
 日ロ関係でいうと、それまで鈴木宗男氏など一部の人たちが1956年の日ソ共同宣言を元に、2島先行で歯舞、色丹の帰属をまず解決させ、その後に国後、択捉に手を伸ばすことを模索していた。この「段階的解決論」に明確に区切りをつけ、4島一括で日本への帰属を確認するという路線に舵を切ったのが2004年ごろだったと思う。当時、私はこれを取材し、2004年7月に日本政府の方針転換に関する記事を書いた。日本は当時、太平洋パイプラインの建設で強くロシアに働きかけていたが、外務省はそこに力点を置き過ぎたきらいがあると考え、プーチン大統領にもあまり前のめりになって訪日を求めないスタンスに変えようという対処方針をつくった、というのが記事の内容だった。この記事にはロシア側が激しく反応し、後になって「こういう事実があるのか」と質問趣意書で問われた日本政府が「そういう事実はない」という答弁書を閣議決定した。私も誤報はいろいろ書いたが、「誤報だ」と閣議決定されたのは初めてだった。しかしその後の経緯を見ると、特に「2島先行というアプローチはとらない」、「4島一括で帰属の確認を求めたうえで」という方針は明らかに変わっていない。
 私がロシアへ赴任した2005年は日露通好150周年に当たり、北方領土の日ができたのもこの日露通好条約の日だ。日本にとってこの日はウルップ島と択捉島の間における国境線が全く話し合いベースで決まった原点だということで、この日を特別なものにしよう、150周年記念行事をいろいろ並べそこに山場を持っていきたい、ということだった。この「150周年」、「プーチンの早期訪日にこだわらない」という点はその後、済し崩しになり、「何でもよいから、プーチンに来てほしい」という外交に変わっていく。ロシアは2005年5月10日に第二次大戦戦勝60周年記念の式典を主催し、当時の小泉純一郎首相は当初これに「行かない」といっていたものの、結局、出席した。これについては議論があったが、やはりプーチンが来なくなることを恐れて出席したのではないかと思う。そしてその後の外交交渉は、プーチンに「とにかく来てください」ということになった。これはその年の11月に、政治文書を1つも採択できないという結果に終わったプーチン訪日に結びついたと思う。
 2006年9月には、サハリン2の問題が起きた。日本が参加した案件が環境問題を理由に止められ、最終的にはガスプロムが入ってきて50%+1株を持つことになった。この問題は前々から地元の環境保護団体がアピールしていたのが、見向きもされない状態が続いていた。しかしあるとき、それをロシア側が持ち出した。ロシア側が難癖をつけるときは、それなりに根拠を持ってくる。ただ、いつそれを持ち出してくるかは相手次第だ。こういうことがあり、当時は日ロ関係の雰囲気はよくなかった。

2. ロシアのアイデンティティー、メドベージェフ大統領誕生、鳩山政権の対ロ政策
 2007年の議会選挙と2008年の大統領選挙が近づくと、われわれの関心は「誰が後継者になるのか」になっていった。ご存知のように、後継者はメドベージェフになったのだが、ロシアの国家を1つにまとめていくための軸探しが、この間の大きなテーマになっていたと思う。ソ連には社会主義のイデオロギーがあり、もう1つ大きかったのは第二次世界大戦でのナチス・ドイツに対する勝利だった。この2つの大きな求心力によって、国家を束ねており、その象徴がロシアの革命記念日、そして5月の戦勝記念日という二大休日だった。しかし革命記念日はその後、廃止され、代わりにロシア国民統合の日ができた。これは11月4日で、非常に古いのだが、1612年にポーランドの占領を打ち負かした日だ。そして2007年には、これを定着させるためのキャンペーンが展開されていた。新しいアイデンティティーを探そうとして見つけ出したのは、多くの国民にとってほとんど記憶にない1612年のエピソードだった。このような経緯を見て、そういうことをやり続けていかなければ、ロシアというのはなかなか1つにまとめるのが難しい国なのだと感じた。
 2007年暮れには議会選があり、モスクワでは「モスクワはプーチンに投票する」とし、統一ロシアとプーチンを同一視させた。そして3月の大統領選になると、プーチンとメドベージェフが一体であるというキャンペーンが行われた。「共に勝利しよう」というスローガンで、共にというのはプーチンとメドベージェフ、あるいは有権者でもあった。そういうところで昨年4月に大統領選が終わり、私は日本へ帰ってきた。
 日ロ交渉に話を戻すとプーチンは、一度は56年宣言の有効性を認めて「2島和解してもよい」と強くにじませていたが、実際はほとんどそれ以上の見込みはなく、場合によってはそれより後退する立場に戻った状態が続く。メドベージェフ大統領は麻生太郎前首相と昨年11月にリマのアジア太平洋経済協力(APEC)で会い、麻生氏は記者が会談の頭撮りをしているときには常に領土問題を取り上げ、「われわれの間には未解決の問題がある。それを一緒に解決しようではないか」といっていた。これはメドベージェフには、有効なアプローチだったようだ。
 しかしその後、日本の政権交代があり、この問題も一旦、振り出しに戻った。鳩山首相は所信表明演説で「ロシアをアジア太平洋におけるパートナーと位置づけて協力関係を強化していく」といっている。鳩山首相はロシア問題について、自分の言葉でしゃべるというよりも、まだ外務省の言葉でしゃべっているという印象だ。ただ祖父の一郎氏が手がけた問題だということもあり、大変関心を持っている。2006年に大阪へ来られたときには、「これはアメリカに責任がある問題なのだから、アメリカに関与させるべきだ」とおっしゃっていたが、あまり現実的ではなく、彼が今もその考えを持っているかどうかだ。今はアメリカとの関係がぎくしゃくしており、そういうことは難しいと思うが、今後どうなっていくかは目が離せない。

(敬称略 / 講師肩書は講演当時 / 文責:貿易研修センター)

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担当:総務・企画調査広報部