平成23年度 第1回 アジア研究会 ●報告1「インドネシアからみた中国プレゼンスの拡大」アジア経済研究所 地域研究センター 次長 佐藤 百合(さとう ゆり)、●報告2「中緬経済関係の現状と課題 ―中国は「胞波」か―」アジア経済研究所 地域研究センター 東南アジアⅡ研究グループ長 工藤 年博【2011/07/12】

日時:2011年7月12日

テーマ「中国の東アジア経済協力と日本」

平成23年度 第1回 アジア研究会
報告1 「インドネシアからみた中国プレゼンスの拡大」


アジア経済研究所 地域研究センター 次長
佐藤 百合(さとう ゆり)

1.拡大する貿易、中国による投資の増加
佐藤 百合 10年ぶりにインドネシアで2年間過ごし、地方の伝統的なパッサールなどでも中国産品が増えていることに驚いた。中国は、大きなところでは石油産業でも、2000年から本格的にインドネシアへ入ってきた。欧米が持っていた権益を中国海洋石油総公司(CNOOC)とペトロチャイナが買収し、今やシェブロンに次ぐ原油生産者になっている。また鉄筋コンクリートに入れる細い鉄筋の丸棒市場では、廉価な規格外品を作って売りさばく中国系誘導炉メーカーが多数出てきている。さらにインドネシアは現在、パーム油で世界最大の生産、輸出国だが、その最大手であるシナル・マス・グループと組んで、中国中信集団公司(CITIC)やCNOOCがオイルパーム農園開発を行なうという。バイオ燃料生産が狙いだろう。このほかインドネシアは、石炭で世界第2位の輸出国になっているが、中国投資(CIC)が、バクリ・グループの最大石炭企業の社債を19億ドルも買っている。
 インドネシアの主な貿易相手国は、中国、日本、東南アジア諸国連合(ASEAN)の9ヵ国、米国、ヨーロッパだが、輸入、輸出の双方で日本や欧米は次第にシェアが減少し、中国やASEAN諸国が伸びている。輸出では2009年以降、中国が日本に次いで2位になっており、輸入は中国が日本を抜いて1位だ。インドネシアの輸出の構成比を見ると、1970年代には石油が8割以上を占める典型的な産油国型の輸出構造だったが、1980~90年代に工業製品が過半となって新興工業国に変貌した。しかし、スハルト時代が終わると工業製品の比率は低下し、代わりにパーム油、石炭などが伸びてきた。インドネシアから中国への輸出を見ると、1990年には工業製品が6割を占めていたが、現在では2割に減少し、石炭、パーム油などの原材料・燃料が8割以上を占めるようになっている。逆に中国からインドネシアへの輸入は現在、ほとんどが工業製品だ。つまり、インドネシアは中国から工業製品を輸入し、燃料、資源を輸出する非対称貿易になっている。
 一方、インドネシアとASEAN諸国との貿易は、1990年も2008年も、一次産品・燃料と工業製品とのバランスがとれている。1つ変化しているのは機械部品で、とくにインドネシアのASEAN諸国向けの部品輸出がかなり増えている。これはインドネシアが遅ればせながら、ASEAN域内の機械部品生産ネットワークに組み込まれ始めたことを意味している。こちらの生産ネットワークには、日系企業がかなり貢献していると想像される。
 中国という大市場がかつての米国と異なるのは、「最終財を需要しない市場」であることだ。日中韓台による機械生産ネットワークの域内では、中国は中間財を需要する。これに対して、インドネシアやモンゴル、ラオス、ミャンマーやアフリカ諸国のようなネットワーク外の途上国からは、中国はもっぱら資源や燃料を需要する。このようにして、ネットワーク外の途上国を資源特化、脱(非)工業化させる構造的インパクトを、中国大市場はもっている。
 次に、投資をみよう。インドネシア側の統計で、中国によるインドネシアへの直接投資を見ると、7年間で4億ドル、直近3年間でわずか2億ドルにすぎない。これに相当する中国側の投資統計は3割ほど大きく、3年間で3.3億ドルとなっている。だが、それでも非常に小さい。ところが、中国側の統計で「プロジェクト請負」をみると、2006~08年の3ヵ年の契約ベースで98億ドルとなっている。フローで見ると同期間に42億ドルだ。インドネシアの投資統計の約20倍である。これがおそらく実態に近いだろう。つまり、投資統計に現れる数値は、ほんの一部に過ぎないということだ。
 また中国側の統計でみた全世界向けの対外直接投資は2008年時点で556億ドル、対外ポートフォリオ投資は250億ドルだった。ただ、残念ながら、仕向け国別の数値はとれない。インドネシア向けで近年目立ったのは、中国の政府系投資ファンド、CICの投資で、先に触れたように、2009年にインドネシア最大の石炭企業、バクリ・グループのブミ・リソーシズ社に19億ドルを投資した。バクリ・グループのアブリザル・バクリは与党第2党のゴルカル党首で、2014年の大統領選に立候補しようとしている。CICの投資は、政治目的はないというのが中国関係者の見方だが、アブリザル・バクリとCICの間には直接的、間接的なアクセスがあることが示されている。

2. 深まる経済関係、中国脅威論
 アブドゥルラフマン・ワヒド第4代大統領は、インドネシア初の自由な議会内選挙によって生まれた大統領だったが、国際通貨基金(IMF)によるコンディショナリティーの下、「IMFはもうご免だ」、「これからはアジア志向だ」として、初の外遊先に中国を選んだ。そして次のメガワティ第5代大統領のときには、中国からのインフラ投資で大きな進展があった。現ユドヨノ政権も中国に接近しているが、一方で中国脅威論も出てきている。接近は主に、インフラ整備、エネルギー・電力開発を融資・援助つきで素早く行なってくれるからだ。だが、インドネシアでは元々、中国からの密輸品や非正規品が氾濫している。2010年1月からは中国ASEAN自由貿易協定(FTA)によって中国からの輸入がゼロ関税になったのを契機に、インドネシアの産業界から「これ以上安価な中国製品の流入にはもう耐えられない」との悲鳴が上がっている。もう1つの脅威論の源泉は、南シナ海をめぐる安全保障の問題だ。インドネシアは今年2011年、ASEANの議長国を務めているため、二国間ではなくASEANとしてまとまって中国との交渉を進めようとしている。
 経済外交に関しては、これまで中国による2つ大規模なプロジェクトがあった。1つは全長5.5キロのスラバヤ=マドゥラ大橋である。架橋構想は1970年代から円借款でも話が出ていたが、結局、メガワティ時代に中国に頼むことになって2003年に着工した。工事は当初、3年間の予定だったが、結局6年かかった。総工費は1.5倍に膨れたが、現在では中国による協力のモニュメントとして存在感を示している。もう1つは、ユドヨノ政権第1期のユスフ・カラ副大統領が直に決めてきた1万MWの石炭火力発電所のプロジェクトだ。予定総額は70億ドルだが、これも最終的に相当に遅れ、額も膨れることが予想される。
 中国は走り始めるのは早いが、その後にトラブルが続出するのが常である。一方、日本政府は昨2010年末、インドネシア政府との間で、首都圏投資促進特別地域(MPA)において約2兆円規模の官民一体型のプロジェクトを進めることに合意した。2012年末までにマスタープランを作る予定で、ある意味、慎重に進めようとしており、中国とのスピード感の違いが際立っている。

3. 慎重な日本、途上国スタンダードへの歩み寄りも必要
 中国の特徴は、民間型の貿易投資と政府による事業協力・援助(ODA)、あるいは設計・建設・労働協力・金融面の協力が渾然一体となっていることである。統計上も、これらを分類したうえで全体像を把握するということができない。インドネシアと中国の貿易は非対称で、インドネシア側の輸入超過が拡大しており、持続可能性に疑問がある。インドネシアの産業構造と雇用創出の観点からすると、いずれ通貨調整、つまり元レートの一定の上昇にともなって、部分的であれ輸入から直接投資へのシフトが起こることが望ましい。
 インフラ、エネルギー関連では中国によるインパクトを持ったプロジェクトが出てきており、またバイオ燃料やオイルパーム農園などでも中国が進出してくる兆しがある。中国は走り始めた後から調整するというやり方だ。実はこれはインドネシアにとっても日常茶飯のことであり、不確実性の高い途上国ではスタンダードといえる。走り始める前に慎重に考える日本は、少しこの途上国スタンダードに近寄る必要があるかと思う。



報告2 「中緬経済関係の現状と課題 ―中国は「胞波」か―」


アジア経済研究所 地域研究センター 東南アジアⅡ研究グループ長
工藤 年博

工藤 年博 1. ミャンマー独立後の中緬関係
 「胞波」(パウッポ-)という言葉は、「血を分けた兄弟」という意味のビルマ語で、中国人や中国に対して愛情を込めて呼ぶときに使われる。中国とミャンマーが文字通り「胞波」になったのは、1988年にミャンマーで軍事政権ができてからだ。
 ミャンマーは1948年に連邦として独立し、翌年10月に中華人民共和国ができた。1950年には中緬国交が成立し、1954年に周恩来首相が訪緬、「平和五原則」(領土・主権の相互尊重、相互不可侵、相互内政不干渉、平等互恵、平和共存)を確認している。1960年には中緬国境が画定され、これは中国が近隣諸国と初めて画定した国境だったので、大きな意味を持っていた。両国の国境は、約2200キロに及んでいる。
 ミャンマーでは独立後1960年代初頭まで、少数民族やビルマ共産党との激しい戦闘が続いていた。また1967年にミャンマーで反中国暴動が発生してからは、中国共産党が国境地域に追いやられていたビルマ共産党の支援を活発化した。1968年にはビルマ共産党がミャンマー国境を越えて侵攻し、1970年代初頭には中緬国境貿易の拠点を制圧していく。1971年には中緬関係が正常化するが、中国は政府関係と政党関係を分ける二重外交を行い、その後もビルマ共産党への支援を続ける。しかし1978年に鄧小平副首相が訪緬し、実質的にビルマ共産党への支援は終わった。
 1986年から1987年にかけて、ミャンマー国軍はビルマ共産党に攻勢をかけ、ようやく国境貿易のルートを奪還する。一方、1988年にミャンマーの軍事政権が民主化運動を弾圧する形で登場し、先進諸国は軍政を厳しく非難したが、中国はすぐに軍政を承認した。そして1989年にはビルマ共産党が分裂、崩壊し、少数民族に分かれて4つの武装勢力が誕生した。ミャンマー国軍はこれらの武装勢力と停戦合意を結んだ。これは第1次の停戦合意で、1990年代半ばには第2次の停戦合意があり、他の少数民族とも停戦合意を結んでいくことになった。
 1989年10月には、タンシュエ副議長とキンニュン第1書記が訪中し、中国から経済協力や武器援助を受けるということで、名実共に「胞波」の関係になっていく。ただ、停戦合意した地域に「特区」という形で強い自治権を与えたため、結果として中緬国境は現在も、旧ビルマ共産党の武装勢力によって封印されているような状況だ。唯一、封印されていないのは、タンシュエ議長が1987年に奪還した地域で、ここが現在の国境貿易の主なルートになっている。

2. 中国の利害、外交、課題
 中国はミャンマーにおいて、3つの利害を持っている。1つ目は、エネルギーの調達と安全保障で、2つ目はインド洋へのアクセス、3つ目は国境貿易と国境地域の治安の安定だ。エネルギーの調達、エネルギー安全保障は主に、ミャンマーから中国へパイプラインで天然ガスを引く、あるいは国境地域に水力発電所を造って送電することで具体化されている。天然ガスについてはシェエーというガス田があり、チャウピューという町に深海港を造っている。現在,ミャンマーの輸出全体の約5割は、天然ガスが占める。また天然ガスのパイプラインに加え、原油のパイプラインを併設する工事も進められている。さらに、チャウピュー周囲を経済特区にし、中国と道路や高速鉄道で結び、ミャンマーの製造拠点にしようと急ピッチでプロジェクトが進められている。
 もう1つは、国境地域に水力発電ダムを建設することで、既にできているのはミャンマー最大級(600MW)のシュウェリー水力発電所No.1だ。ここで発電される電力のほとんどは、中国に売電される。また現在、中国電力投資集団公司が、シュウェリー水力発電所No.2の建設に300億ドルの投資を予定しているほか、イラワジ川上流では、ミッソン水力発電所の建設計画も進められている。
 2番目のインド洋へのアクセスについては、2つのルートを考えており、1つはチャウピューからマンダレーを通ってムセへ横断するルート、もう1つはバモーというところで、イラワジ川を下降してヤンゴン、ティラワに物を出していくルートだ。  そして3番目の国境貿易、国境地域の安定だが、昔の援蒋ルートの一部である国境貿易のルートで運ばれるものが、中国とミャンマーの貿易の5~8割程度を占めている。国境貿易は1988年に合法化され、中国側、ミャンマー側の双方でインフラ、道路の整備や制度的な整備がなされてきた。
 最近は、中国からミャンマーへの投資も非常に増えている。2010年11月にはミャンマーで選挙が行なわれたが、その前の4~7月の4ヵ月間で、160億近い投資の認可がなされた。これはガス、水力発電、銅への投資で、出し手は中国、香港、そしてタイ、韓国だ。中国は従来、直接投資ではあまり存在感がなかったので、2010年は中国の「投資元年」といった状況だ。
 中国は、ミャンマーへの援助も積極的に行なっている。中国の援助については2つの目的があるといわれ、1つは資源確保で、もう1つは近隣諸国との友好関係だ。ミャンマーの場合、両方に関係し、中国の援助は非常に大きくなっている。しかし、これに関しては様々な批判もある。1つは天然資源の収奪で、特に木材に関して批判されている。また中国の借款によって悪いプロジェクトが生き残り、国有工場が増えたりしてミャンマー軍政を支えてきたという批判もなされてきた。
 中国政府の対ミャンマー政策の1つの特徴は、首脳外交だ。2009年から2010年にかけて、中国共産党の指導者(中央政治局常務委員)9人のうち、李長春、習近平、温家宝の3人が訪緬し、ミャンマーからはタンシュエ議長が選挙前に訪中した。選挙後には、中国の賈慶林全国政治協商会議主席(政治局常務委員)が訪緬し、テインセイン大統領も5月26日に訪中している。中国の外交は自らの戦略的利益の実現を目指すもので、非常にリアリスティックだ。
 一方、中国の対ミャンマー政策における課題は、ミャンマーで強まっているといわれる反中感情、そして国境地域の少数民族武装勢力の問題だ。これらの少数民族武装勢力は元々、中国共産党のビルマ共産党に対する支援が作り出した存在という側面もあり、麻薬問題を含め、中国にとって歴史的負債になっている。また中国は、米国の対ミャンマー政策によっても大きく影響を受ける。ミャンマーと米国との関係改善はまだ進展してないが、今後これが進展してくると中緬関係を取り巻く環境も変わるだろう。

3. 日本に求められる一貫性、トップ外交
 最後に日本の対ミャンマー政策だが、一貫性が欠如しているように見える。中国は良いか悪いかは別として、非常に明確に、自国の戦略的利益実現に向けたスタンスをとっていると思う。一方、日本は経済制裁をする訳ではないが、中国のように積極的に関与する訳でもない。中途半端で、ミャンマー政府に対する影響力はかなり低下している。ミャンマーでは、日本に対する期待もかなり語られるが、本音のところ、政府も企業もスピードが遅くあまり期待していないというところではないか。
 しかし、中国については天然資源の収奪者などという負のイメージも強いが、ミャンマーの人たちの対日感情は非常に良い。日本企業は労働集約的な産業や農業などにも関心を持っており、今後,裾野の広い経済産業発展を進めるドライビング・フォースになる可能性がある。最近はミャンマーでも韓流ブームが起きているが、日本人に対する印象は現在も非常に良いという気がする。後はトップ外交が必要で、ミャンマーではトップダウンで意思決定がなされるので、やはりトップとの関係、トップの一言が非常に重要で,それが結果として日系企業にとっての投資環境の改善につながると考える。


(敬称略 / 講師肩書は講演当時 / 文責:貿易研修センター)

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担当:総務・企画調査広報部