第112回 中央ユーラシア調査会 「アラブ世界変動の現段階 ー 経済的側面から」帝京大学 経済学部教授 ユーラシア・コンサルタント(有) 代表取締役 清水 学(しみず まなぶ)【2011/07/28】

日時:2011年7月28日

第112回 中央ユーラシア調査会
「アラブ世界変動の現段階 ー 経済的側面から」


帝京大学 経済学部教授
ユーラシア・コンサルタント(有) 代表取締役
清水 学 (しみず まなぶ)

アラブ世界変動の特徴
清水 学 この度チュニジア、エジプトで起きた、現職の大統領が追放されるという事態は、専門家にも予想のできない、大変衝撃的な事件であった。このように強権体制の崩壊が起きるという変動の底流には、広い意味での「グローバル化」があると思われる。
 中東は、大きくアラブ世界、トルコ系の世界、イラン系の世界に分けることができる。今回の変動は「アラブ世界」で起きたものである。
 昨年末、チュニジアで起きた政変がエジプトにも波及したかたちとなったが、情報の伝達のリンクの役割を果たしたのが「アラブ」というアイデンティティである。アラビア語という言語が非常に重要な意味を持っている。アラビア語に伴う文化的な伝統があり、それが大きな媒介軸になっている。「アラブの春」であって、「トルコの春」でも「イランの春」でもない。チュニジアで起きなかったら、エジプトでも起きなかっただろうことは誰に聞いても一致している。これが非常に面白いところでだ。
 当初、既存政党やイスラーム運動組織などは、少なくとも主導権を握っていなかった。ある程度運動が成功した後で、軍部やムスリム同胞団が、事実上運動の方向に対するコントロールを維持している。当初の運動の主体を握ったのは既存の組織ではなく、世俗的傾向の強い青年層であった。

アラブ政治変動の歴史的位置付け
 大衆の恐怖心はどう克服されたのかということが最も注目すべき点である。エジプトでは非常事態が長らく続いており、事実上、予防拘禁もできる体制であった。克服の条件の一つは、一定の準備期間があったことである。5,6年前から「キファーヤ(もう十分、もううんざりだ)」運動があり、次に、ガンディー主義の自覚的受容の思想があった。今回の運動の主体となった若者たちが、インドのマハトマ・ガンディーの運動、つまり非暴力抵抗運動を自覚的に応用しようと動いたことがはっきりしている。運動の中心地となったターリー(解放)広場では、アメリカの政治学者ジュネ・シャープが書いた「非暴力の政治学」やパンフレットが回し読みされていた。
 ターリー広場の中では、セルビアのミロシェビッツを追放した運動「オトポール(OTPOR)」のキリル文字もみられた。若者の一部がセルビアに行って、2年間程運動のやりかたを学んで帰ってきて、さらにフェイスブック等の新しいメディアを有効に利用したのは、「われら皆がハーリド・サイード」「4月6日の青年たち(労働運動との連携)」である。このようなことがあったとしても、恐怖心を乗り越えることができたのは、主催者が予期していない以上に広場に民衆が集まったことにあると思われる。

アラブ民主主義は機能したか
 「アラブ人」という場合、言語、文化を共通軸としており、特定の宗教の影響を強調することは意識的に避ける世俗主義的論理が内在している。アラブ人は即イスラム、アラブ人は即ムスリム(イスラーム教徒)という言い方は正しくない。イスラーム教徒もキリスト教徒も同じアラブである。アラブ民族主義は19世紀の半ばにシリア、レバノンで始まったのであるが、その運動の主体はどちらかというとキリスト教徒であった。アラビア語という言葉が同じということは、詩、文学、舞踏、映画文化を共有しているということである。アラブ世界はほとんどの国が植民地支配を経験しているので、アラブ民族主義には反植民地主義を想起させるということを理解する必要がある。
 現在、20以上の国に分かれているアラブを統一しようとするアラブ民族主義は支配者にとって自分の支配を強固にするために都合がいい場合に利用するという、統治のためのイデオロギーの一つとなっている。アラブ民族主義の空洞化がある。ただし、大衆レベルでは、連帯意識として、また情報ネットワークとして機能しており、今回は有効に機能したといえる。

多様な要素が含まれた革命
 今回の革命には、多様な要素が含まれている。まず、民族的人間的尊厳の回復要求である。尊厳をどう理解するかは難しい問題であるが、文化的な問題、政治的な問題、経済的な問題などがある。経済問題としてはグローバル化のなかで格差が拡大したことに対する不満があったのではないか。カラー革命の影響については、似ている点もあるが、異なる点もある。いわゆる新自由主義的なリベラリゼーションを志向した側面でエジプトの革命を特徴づけることはできない。むしろ自由化をやり過ぎたことへの反発も強く出ており、複雑な形をとっている。
 また、大衆の反発は、政商の権力と結びついた致富活動と華美な消費生活へ向かった。失業率の絶対的な高さも否定できない。社会的政治的停滞もある。ムバラク大統領が、次期大統領に次男のガマールを担ぎ出そうとしたことに対するエジプト人の反発力が大きかった。

エジプト革命の現段階
 現在エジプトは、暫定政権で、最高軍事評議会が権力を握っている。かつての与党は解散させられ有力な政党は存在していない。現在の問題は、議会選挙が先か、憲法改正が先かということである。ムスリム同胞団以外の小グループは憲法改正を先に行い、イスラーム勢力の運動を抑える枠組みを先に作ってから選挙をやるべきだと主張しているが事態は流動的である。9月に行われるはずだった議会選挙は延期されている。
 最高軍事評議会は7月12日に憲法制定のための「基本原則」を発表すると言明した。軍の潜在的政治的役割と軍事予算や軍の経済的活動を議会の審議対象から外すことを明記する予定である。
 組織力の点でも支持者の点でも最も有力な政治社会勢力はムスリム同胞団である。ムスリム同胞団は結成されたのが1928年で、長い間非合法状態に置かれてきたが、今回は政党「自由公正党」を立ち上げ合法化され、間接的にムスリム同胞団も合法団体となった。しかし、ムスリム同胞団は、イスラーム主義勢力として内外から警戒されており、それに対してムスリム同胞団は柔軟あるいは巧妙な対応をしている。大統領候補は出さない、総議席の半分しか立候補者を出さない、つまり、単独多数は取らない等と最初から自らを規制している。宗派間融和の問題については、エジプトでは具体的には、コプト・キリスト教徒とイスラーム教徒の融和の問題となるが、ムスリム同胞団は融和政策を強調している。さらには、現実的な外交・経済政策を模索している。具体的にはイスラエルとの関係、和平条約をどうするか、ということである。ムスリム同胞団の本来の立場から言えば、廃止したいということであるが、あくまで国民的合意を前提にすると言っている。背景のひとつには、アメリカや他の外国援助が必要なことがある。

シリアの反政府運動
 アラブ民族主義理念からすると、シリアとエジプトを分ける論理が裏切られている。つまり、イスラエルに対して強硬路線を維持している点から、シリア政府は国民の支持を受けているはずだという論理が通用していない。シリアでは、2月以降にダルアーという南の町から運動が始まり、次にラタキアへ飛んだ。ここはバッシャールの出身地であり、アラウィー派の本拠地である。アラウィー派はシーア派の分派ともいわれるし少数宗派集団である。暴動がこの地に飛んだことは予想外なことであった。最近はシリアの中でもっとも激しい、反バシャール主義であると思われているハマという町が反政府勢力の舞台として登場した。
 バッシャール体制は簡単に倒れるのか、倒れないのか。バッシャール体制は、多数派のスンナ派の財界人とのパイプを維持する政策を採ってきたので、アラウィー派とスンナ派系財界との関係は良いと言われている。特に大都市であるダマスカス、アレッポの財界では、バッシャール支持が強いのではないか。強硬なのはバッシャールなのか、その取り巻きなのか、いつも議論されている。
 周辺諸国はバッシャール体制を支持しているわけではないが、バッシャール体制が崩壊して、よりラディカルなムスリム同胞団などが出てきた場合、先が読めなくなるのは困る。イスラエル、トルコ、周辺諸国は地域的政治的不安定に対する強い懸念を共有している。情勢が読めなくなる危険より、不満はあるが「現状」の方がましであるというバッシャール政権が倒れないような力学が働いている。これがシリアの複雑さを示すものである。経済制裁も行われているが、本格的にバッシャール体制を打倒しようという形でコミットすることには現段階では躊躇が見られる。(その後、カタール、サウジアラビア、トルコなどが大統領の退陣要求を明確化している。)

バハーレーン問題
 バハーレーンは、シーア派が多いが、国王はスンニ派で、シーア派対スンニ派という図式になっている。バハーレーンの問題で仮に王政が大きな妥協をした場合、シーア派が元気になる。サウジアラビアの東部の油田地域には、シーア派の多数が住んでいるので、サウジアラビアとしては、その地域が政権不安定になることを恐れている。治安部隊が入り、数百人の指導者と医療関係者が逮捕投獄されている。政府対反政府派の間で最近は対話が再開されているようだが、うまくいっていないようである。小国であるが、米軍第五艦隊の本部があるので、アメリカにとってバハーレーンは捨てられない。オバマ大統領は、デモ隊の言うこともわかるが温和に解決すべきだという路線をとっている。

アラブ革命の波及効果
 まずエジプトのアラブ世界・中東での存在感が国際的に完全に復活した。パレスチナのファタハとハマス間の調停に成功し、現在は統一政府を作るということで妥協している。ガザ封鎖は事実上緩和されたので、生活必需品その他はもう自由に流通している。断行状態にあるイランが焦点になっているが、エジプトはイランと国交回復の動きを進め既に交渉が始まっている。またアメリカの影響力の翳りがいろいろなところで見られる。

グローバル経済への編入-注目されるアラブ政商
 アラブ世界におけるグローバル化の問題を補足したい。アラブ世界で規制緩和や国有企業の民営化等が加速したのは明らかにソ連解体後である。2000年以降、民営化が急速に進むが、独裁的な国家権力の下で自由化することは、国家権力との距離が重要となり、利権を享受できるかどうかに企業の命運が左右されるということである。政商が生まれる基盤ができ、実際に政商が生まれてきた。
 アラブの政商は、なにによって富を貯めたか。国有地を安く払い下げてもらい、国有企業の民営化で株式を優先的に獲得する。また許認可権への優先的なアクセスなどである。外国とのネットワークにおいては、対イスラエルでは、天然ガスなどを通じた癒着なども見られる。

今後の問題-アラブの選択
 欧州復興開発銀行(EBRD)は最近定款を改正し、融資先を従来の旧ソ連・中東欧から北アフリカ、特にエジプト、チュニジアへ拡大するという新方針を明らかにした。一層の市場化とグローバル化を進める以外に、エジプトもチュニジアも展望がないという見方をされているが現地とのずれがある。IMFは、初めてエジプト、チュニジアに対して、「包括的発展(Inclusive economic growth)」という言葉を使った。Inclusive economic growthは、いわゆる人間開発指数といわれ、単に一人当たり所得の増加やGDP成長率だけではなく、例えば、平均余命、幼児死亡率の低下、識字率といったものを考慮にいれた上での成長ということである。

イスラーム金融・イスラーム経済
 イスラーム金融、イスラーム経済について若干補足したい。今後、ムスリム同胞団は、経済におけるイスラーム的な公正さを表向きに掲げ、その中でイスラム経済の問題が一層重要になるであろうとしている。イスラーム金融は、利子という概念を排除する。ムダーラバ概念とムラーバハ概念の2つの主要な概念があるが、ムダーラバは共同投資という概念である。共同投資をすればよい。なぜよいかというと、お金を預ける人も企業家同様にリスクを負っているからである。一緒に共同投資をして、利益が上がれば配分をもらう権利がある。その代わり、損失は無制限に負わなくてはならない。しかし、一般的にはうまくいっているケースが多く儲かっている人が多い。普通の銀行よりも利益が上がるケースが多い。ムラーバハは商品売買に銀行が介在するシステムである。銀行が商品の売買を介在して手数料をとるが、これは利子とみなさないのが多数派である。金融商品の多様化も進んでいる。スクークは債権、タカールフは生命保険である。イスラム金融は定着しており、現実の経済活動の面でも無視できない段階に達している。いまや、「変わった金融システム」と見る段階は終わっており、同金融資産は1兆ドルを超えて市民権を主張しているというのがロンドン・シティーなどの見方である。日本の認識は遅れているが、今後経済政策面でも無視できないものとなろう。

(敬称略 / 講師肩書は講演当時 / 文責:貿易研修センター)

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担当:総務・企画調査広報部