第116回-2 中央ユーラシア調査会 報告2 「選挙制度の民主化に向けたウズベキスタンの苦悩」東京大学 教養学部 特任准教授 岡田 晃枝(おかだ てるえ)【2011/12/16】

日時:2011年12月16日

第116回-2 中央ユーラシア調査会
報告2「選挙制度の民主化に向けたウズベキスタンの苦悩」


東京大学 教養学部 特任准教授
岡田 晃枝(おかだ てるえ)

1.報告概要
岡田 晃枝 今年は運良く3度現地に行く機会に恵まれた。そのうち、2011年10月27-28日に行われた選挙の民主化に関する国際会議に出席した際のことを主にご報告したい。

2.会議「選挙制度および選挙法のさらなる民主化における優先方針」について
 10月の会議は、「選挙制度および選挙法のさらなる民主化における優先方針」というタイトルがつけられていた。主催はウズベキスタン中央選挙管理委員会とヨーロッパ安全保障協力機構(OSCE)で、米国民主党国際研究所(NDI)の後援で行われたものであるが、後述するように、ロゴマーク以外OSCEの影があまりよく見えない会議でもあった。

2-1 会議の背景
 去年11月、カリモフ大統領が両院総会でより深い民主化改革と市民社会創設のためのコンセプトを発表した。大統領の権限をかなり譲歩する内容となっていることが話題となった。その演説には6つの項目があり、その4章は、選挙、選挙法、選挙制度をどのように民主化し、選択の自由を確実なものとしていくかというもので、10月の会議はこの章に特化した会議であった。4章には、選挙制度に関して次の5つの改革案が掲げられている。すなわち、(1)選挙キャンペーンの明確化、(2)選挙当日だけではなく、前日の選挙運動の禁止、(3)期日前投票に関する規定や手続きの明確化、(4)投票日の5日前から選挙結果に関する予測や世論調査等を公に発表することの禁止、(5)ウズベキスタン環境運動(EMU)からの議員選出プロセスの透明化、の5点である。
 (1)、(3)については、これまであいまいな実施がされていて、とくに期日前投票に関する不透明さが指摘されていた。(2)、(4)については、誰に投票すべきかを外からの雑音に惑わされず国民一人一人がゆっくり考え、自分自身で投票する候補者を選択する時間を持つためと説明されている。(5)のEMUは、環境に関する専門家や科学者、NGO等が集まった市民団体に近いものである。2009年議会選挙でEMUには無条件に15議席が割り当てられ、市民社会による政治参加への配慮の表れということになっている。(5)は「政党」としては未熟なEMUへの指導という位置づけである。
 一方で、OSCEをはじめとして、民主的な選挙が行われているかどうかという観点からウズベキスタンを批判してきた国際機関やNGO等が問題として筆頭に挙げているのは、政権に近い特定の政党からでなければ立候補が不可能に近いことである。しかしカリモフ大統領の演説では、これに敢えて正面から応えることは一切していない。そのことから、10月の会議でウズベキスタン側とOSCE側でどのような丁丁発止があるのかないのか、あるいは議論がどのような方向に向いてゆくのか、非常に興味を駆り立てられる思いであった。
 少し補足すると、国民に考える時間を与え、自分自身の決定を、という、おそらくほとんど批判されていないポイントに改革点を持ってきているところは興味深い。実のところ、ソ連時代は用意された投票封筒を投じさえすればよかったわけで、自分で情報を集め、判断し、候補者を選ぶことにまだ慣れていない国民が相当数いる可能性は高い。そう考えると、この項目は「いつまでもソ連を引きずらず民主的な選挙を」という趣旨に合致していると言えるかもしれない。また、国民が自ら判断して投票した結果であれば、現職候補者が飛びぬけて多くの票を集めても、そのことをもって権威主義的だとか独裁的だといった批判をすることは的を射ないものとなってしまう。企図を確認したわけではないので断定は避けたいが、これらを踏まえると、批判者からは小手先の「民主化」でポーズを作っているように見えてしまいがちな第4章も、実はそうとう奥の深い内容なのかもしれない。

2-2 参加者の顔ぶれ
 さて、この会議は国際会議と言っても大規模なものではなく、ホテルの広めの会議室で、ラウンドテーブルで行われた。主催のウズベキスタン中央選挙管理委員会から委員長以下重要な役職ポストの人が何人も参加していた。もうひとつの重要な参加者であるはずのOSCEからは、ウズベキスタン担当プロジェクトの調整官代理という、選挙そのものにはそれほど関係ない職務の人が1名だけ(秘書が同行していたが)しか来ていなかった。ご承知の通り、OSCEで民主化移行国の選挙を管轄しているのは民主制度人権事務所(ODIHR)である。選挙制度支援や選挙監視を行っている。職掌範囲からいって今回の会議もODIHRが担当するべきと思われたが、ODIHRからはひとりの参加者も、あるいはオブザーバーすら来ていなかった。
 その他、NDIからはウズベキスタン・プロジェクトのコーディネータが参加。中央選挙管理委員会以外のウズベク側の主な参加者としては、ブハラ市の市役所関係の要職者、ウズベキスタン環境運動(EMU)の党首や他の役職の人達、また、議会からは上院議長、下院副議長および有名な下院議員が参加していた。他には、NGO、独立系のいろいろな基金やオフィスからの参加者もあり、その中には2007年の大統領選挙で市民のイニシアチブ枠で候補者になったアクマル・サイドフもいた。彼は国家人権センター長の役職で参加しており、会議ではトップのスピーカーで議長も務めた。さらに、市民社会のモニタリングに関するオフィスあるいは立法過程をモニタリングする省庁、政府のトップの人等、メディア関係、独立系のメディアを作る人たちをサポートする基金のトップである人たちも参加していた。
 17名のスピーカーのうち11名はウズベキスタン側の上述の人たちである。OSCE、NDIは、議長は出したがスピーチしなかった。
 残りの6名が海外からのゲストである。海外ゲストの中でも、一番重要な役割を任され、最後に共同声明を読み上げたのが、International expert Center for Electoral Systems (ICES) の代表Alexander Tsinker氏である。ICESは米、英、独、イスラエルのNGOが中心となって作った旧ソ連東欧諸国の選挙制度支援の組織である。本部はオランダにあるが、Tsinker氏はイスラエルの代表ということになっていた。組織の目的からしても、今回の会議にふさわしい人選だと言えるだろう。実際、ウズベキスタンの選挙制度についても熟知しており、会議の中での発言も多かった。
 二人目はUnion of European Historical Regionsのchairman、Vittorio Giorgi氏(イタリア)である。法律家でもある。ウズベキスタンへの渡航回数は私に次いで二番目に多く、主に文化的な側面での関心が高いと語っていた。
 韓国からは、オンラインの英字紙The Korea Timesの代表Park Moo-jong氏が参加した。唯一のメディア関係のスペシャリストで、ウズベキスタンの大統領選挙で国際オブザーバー(ウズベキスタン政府招聘)を務めた経験を持つ。
 ウクライナのInternational Department of the Central Election Commissionから、事務局長のVolodymyr Andriyenko氏が参加したが、現地で体調を崩し、残念ながらプレゼンテーションはしなかった。
 五人目はアメリカから、Trade Connections Internationalという商務関係のコンサルタント会社を経営しているPhilip de Leon氏が参加した。もとは米国商務省に勤務した後、独立した。中央アジア、コーカサス含めさまざまな非欧米諸国との商業的な付き合いをコンサルする会社であるので、ウズベキスタンにも浅からぬ縁があるのだろうと思ったが、de Leon氏自身は、タジキスタンには長く関わったことがあるが、ウズベキスタンとはこれまで関わったことはなく、今後ウズベキスタンでの会議に参加するような機会が自分にあるとは思えないと言っていた。また、選挙制度にもとくに関心が高かったわけではないということであった。
 最後に、日本からは私が参加した。

2-3 会議でのプレゼンテーション
 ウズベキスタンからの参加者は、カリモフ演説を肯定的になぞる趣旨のものが主体であった。海外からのゲストは、会議での議論の行方や他のゲストの顔ぶれなど事前に予測が立たず、また、前述のようにウズベキスタンの選挙制度にさほど詳しくない人が多かったこともあり、無難に自国の選挙制度改革や自国の選挙におけるマイナス点を提示する内容のものが多かった。選挙キャンペーンの明確化がカリモフ大統領の改革案の中にあり、会議でもメディアのネガティブキャンペーンに関して議論された時間もあったので、The Korea Times代表Park氏のスピーチには少なからぬ関心が寄せられたが、韓国の選挙報道における欠陥について紹介し、他山の石としてほしいという結論であった。イタリア、米国のゲストもそれぞれ自分の国のケースについてスピーチした。これらすべてに対し、フロアにいたウズベキスタンの中央選挙管理委員会の若手から、「具体的に、ウズベキスタンは貴国の例の何を手本とすればよいのか」という質問が出たが、同じ轍を踏まないようにといった抽象的な答えにとどまった。
 私自身は、3月の震災後にウズベキスタンから受けた支援に対して感謝の意を表した後、ウズベキスタンからの支援物資が届いたちょうどその頃、2009年の衆議院議員選挙について最高裁で1票の格差に関し、「違憲状態」という判決が出たので、その話を例に挙げて、より民主的であること追求して制度改革を行っても、時の流れやさまざまな環境の変化によって、逆に民主化に棹差すようなことになりえるので、いったん作った制度に満足せず、plan-do-check-actのサイクルを怠らないことが大事だという、かなり漠然とした話をした。また、カリモフ大統領の演説の中で、国民に考える時間を与える、国民が自分で人を選ぶことを尊重するような制度改革が述べられていたので、その点から言っても、このような会議を関係者だけの閉鎖的なものとするより、一般の国民が自由に聴講できるようなかたちでの開催が望ましいという提案もしてみた。
 いずれも、ウズベキスタンの選挙を強く批判することなく、努力している点を評価した上で、ちょっとした改善を提案するという、いわば「お決まりのパターン」ではあるが、不要な抵抗や摩擦を避けながら、ちょっとした改善の提案を続けることで、ウズベキスタンの社会が少しずつでも良い方向へと向かってほしいというのが今回の海外ゲストのほぼ一致したスタンスだったように思う。

2-4 議論の焦点
 会議では、どのように議論が収斂したか。OSCEへの不満が最初に炸裂した。2009年の議会選挙、2007年の大統領選挙、その前の前の選挙も、ウズベキスタンとしては民主的な選挙になるべく努力してきているのに、OSCEは正式な監視団を出さず、選挙前に民主的でないと切り捨ててしまうという不満である。ODIHRが勧告したとおり、政治的に独立した選挙管理委員会も作って努力しているのに、選挙に監視団も派遣せず批判ばかりするのはいったいどういうことかと強い批判がウズベキスタン側からでた。実際のところ、前述の選挙に対するODIHRのレポートは、非常に冷たいと言ってもよい内容であって、建設的な部分があまり見当たらないのは確かである。
 ところが、この批判に応えるべきODIHRからの参加者がいない。OSCEから会議に参加していたウズベキスタンプロジェクト担当者は、職掌範囲外であって、ウズベキスタン側の参加者の不満を解消、あるいは批判を受けて正面から議論を展開することはできなかった。会議後にOSCEの人と話をしたが、会議の趣旨から言ってもODIHRから人が出てくれなければ困る、自分の立場であの批判を受け止めたり返したりはできないと、苦い顔をしていた。
 議論の焦点のふたつ目は、投票率の確保である。選挙民を正確に把握し、選挙民全員に投票させることに関心がある。彼らの議論の方向としては、例えばオーストラリアのように、選挙に行かなかった人に、なんらかの罰則を課すかどうかという方向にどんどん収斂していった。海外ゲストにも、それぞれの国が投票率をどう確保しているのか聞きたいという質問がウズベキスタン側から出されたが、投票を義務として考えることをよしとする考えの海外ゲストが今回はおらず(そのような声が上がらず)、かなり長い時間このテーマで議論がされたにもかかわらず、結果はしりすぼみなかたちになってしまった。個人的には、義務として投票を課すということになると、いわばソ連に逆戻りになってしまうし、投票する自由もあればしない自由もあると思うのだが。うがった見方をすれば、国民全員が投票する民主的な選挙でもって、そのうちのほとんどの票をとって大統領が当選する、そのように「国民からあまねく支持された大統領」を演出したいのだろうという想像も成り立つのではないだろうか。
 その他、すでに述べたようにメディアのネガティブキャンペーンに関する議論もあったが、思ったほど議論は進まずに、OSCEへの不満と投票率の確保の話題で会議は盛り上がった。

2-5選挙法・制度の民主化への今会議の貢献について
 今会議において、大統領演説で述べられた改革についての具体的方策は何も話し合われなかったのは残念である。おそらくは改革案を具体化するための議論になるべきだったのではないかと思う。しかし、結論として、素晴らしい改革案だ、ということで終わってしまった。それは誰に向けた会議かというと、少なくとも国民に向けたものではなく、OSCEへの顔つなぎ、加えて、様々な国、民主化している国からゲストがきてスピーチをしてくれた、彼らからサポートされた会議であることを外に向けてアピールする以外に考えられない会議だった。よくある会議の一つだといえるかもしれない。

3.まとめにかえて:滞在時の気づき
 冒頭でお話ししたとおり、今年は間をあけて3度ウズベキスタンを訪れる機会に恵まれた。その滞在時に気づいたことを最後にいくつかお話したい。
 お話した10月の国際会議について、選挙制度の民主化に関する議論以外に非常に興味深く思ったのが、会議での使用言語である。今回、ウズベク語は使われず、ロシア語と英語の通訳が入り、この2言語のみで会議が行われた。途中、ウズベキスタンからの参加者がウズベク語で質問を始めた場面があったが、議長からすぐに「ウズベク語を使わずロシア語で質問をするように」という指導が入った。国民統合や、ウズベキスタンの国語を大事にする姿勢、民族の誇りなど考えると、このような会議で国語であるウズベク語を使わないという選択肢は非常に奇異に思える。最少人数の通訳者しか雇わないため、という経済的な理由は大きいだろうが、ウズベキスタンにおける国語の位置、そしてロシア語の位置を占う上でたいへん興味深い事例であった。
 それから、日本に対する関心についても言及したい。会議中、「日本は20歳にならなければ選挙権を得られないのに18歳から軍隊に入って国に奉仕しなければならない。国を守る義務を課せられる年と国の方針を決める権利を与えられる年に2年のギャップがあるのをどのように考えるか」という不思議な質問を受けた。これについては、私だけでなく韓国のPark氏も口添えしてくれて、日本が戦後平和憲法のもとで「軍隊」の保持を放棄し、自衛に特化した「自衛隊」しか持たないこと、兵役の義務は皆無であることなど説明し、誤解であることが最終的には理解してもらえた。しかし会議後、数人の人たちから、逆に、日本は軍隊を持たないで国家の安全保障をいったいどう考えているのかと尋ねられた。日本がいわゆる「普通の国」ではないことを、あらためて意識した。
 次にインターネット事情について。ウズベキスタンの当局は、とくに大学のインターネット設備普及が進んでいるということを広報しているが、実際のところ、大学生が勉強するには環境は不十分と言わざるをえない状況である。たとえば9月に学生をつれてウズベキスタンに滞在したときに、世界経済外交大学の寮に泊まり、かなり長い時間キャンパスの中で過ごした。大学側の説明では無線LANが自由に使えるということであったが、電波があまりにも微弱で全く使えなかった。寮に住む勉強熱心な学生たちは、自分でモデムとSIMカードを購入してインターネットを使っているという。しかしこれらの機器を購入し開通させるには、ウズベキスタンのパスポートが必要であるため、外国人には自由に入手することはできない。結局、現地の学生が私の代わりに機器を買って登録してくれた。これは裏の手段かと思いきや、ショップの窓口で「インターネット用のモデムとSIMカードを買いたいのだが」と尋ねると、店員に「外国人は買えないからウズベク人といっしょにいらっしゃい。パスポートを持ってきてもらってね」と言われた。代理購入は頻繁に行われているようである。なお、このモデムのおかげであまりストレスなくインターネットに接続することができたが、Radio Free Europeなど人権系の国際組織のウェブサイトにはアクセス制限がかかっていて、閲覧することができなかった。
 最後にもう一つ。いくつかのメディアで最近、ウズベキスタンでは聖職者や医者、学校の先生が綿花積みのボランティアに行かされているという記事が掲載された。この記事を見て驚かれた方もいらっしゃると思う。昨年までは、学童が過酷な綿花収穫に動員されており、児童労働が欧米から強い批判を受けていた。この批判をかわすためと言われているが、今年はタシケントでは、いわゆる政府からの圧力が効く職業の大人が無償での綿花収穫に動員されている。聞いたところによると、タシケントの大学では教職員、大学院生以上の学生(学部生はまだ「子供」という扱い)に、ボランティアに行くようにというお達しが出ているそうである。一方で、9月に訪問したサマルカンドでは、学部生が全員綿花収穫に動員されていた。地方では失業率が高く、タシケントからボランティア要員を乗せてくるバス代の一部を支払えば、不慣れなホワイトカラーの人たちとは比べ物にならないくらい熟練した技術で綿花を収穫してくれる人員が職にあぶれている状況である。都市部から強制的に子供やホワイトカラーを動員して綿花収穫をさせることが、実際のところ国家のためになっているのか大いに疑問である。貧しい農民や地方の人々に安くても賃金を支払って収穫させるほうが、ウズベキスタン社会全体にとって合理的な選択であろうが、去年からの方針転換がそれとは逆の方向に進んでおり、今後が非常に気がかりである。

(敬称略 / 講師肩書は講演当時 / 文責:貿易研修センター)

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担当:総務・企画調査広報部