平成23年度 国際情勢講演会 「中国から見た日米関係」 国際政治学者/日本国際問題研究所研究顧問 高木 誠一郎【2011/05/31】

講演日時:2011年5月31日

平成23年度 国際情勢講演会
「中国から見た日米関係」


国際政治学者/日本国際問題研究所研究顧問
高木 誠一郎

高木 誠一郎冷戦期・冷戦後の基本認識
 日本とアメリカの関係を中国がどう見ているかという問題は、冷戦期は比較的単純明快だった。日米同盟は1951年の安保条約の調印に始まり、1952年に効力を発してから動き出すが、中国からみれば、1949年10月1日の中国成立にもかかわらず、依然として台湾の国民党政権を承認し続けるアメリカ帝国主義が中国共産党の殲滅を狙ったもので、アジアに築いている中国包囲網の中心的存在という認識だった。ところが1960年代には中国とソ連の関係が悪化し、中国はソ連からの核攻撃さえ恐れるようになり、1971年のキッシンジャーの秘密訪中、1972年のニクソンの訪中が行われ、アメリカと中国の関係は大きく変わった。この辺りから日米同盟も、一緒にソ連と戦う頼もしい存在ということになる。
 1979年にはアメリカと中国が正式な外交関係を持つようになり、更に関係が強まった。しかし、「少し行き過ぎだ」ということで、1982年には揺り戻しがあり、ソ連との関係改善を模索し始めた。しかし1980年代末には日本が強大な存在になりつつあり、中国は日米同盟による日本の軍事大国化の抑制に懸念を持ち始める。そのような中、1989年6月4日の天安門事件によって、中国とアメリカの関係には人権問題という厄介な問題が加わる。一方、天安門事件の前に中ソの和解が完了し、中国にとってもソ連との対抗という米国との連携の理由がなくなる。その後、東欧では続々と社会主義体制が崩壊、それを受けて1989年12月にブッシュとゴルバチョフが冷戦終焉を宣言する。1990年にはドイツ統一が実現し、1991年冬には湾岸戦争があり、ソ連が解体し、アメリカもソ連に対抗するために中国と手を組む必要がなくなる。その一環として、日本との同盟についても、日米双方に必要なのだろうかという疑念が生じる。
 このような状況の変化を受けて日米同盟というのをどう判断したら良いかということについて、中国の中でも様々な要因が絡まってくる。80年代末までは、敵か味方かという比較的単純なものだったのだが、もう共に戦う敵というのは必ずしもない。冷戦が終わり、アメリカが唯一の超大国となり、中国はこのアメリカと密接な関係を持たざるを得ないという中、日米同盟をどう考えたら良いのか。中国の国益という観点から見ると、日米同盟は全体的に見れば望ましく、この同盟によって日本のアジアにおける覇権の追求や、軍事力の強化が抑制される。また中国が強大化しても地域の人が深刻な中国脅威論に陥ることはなく、中国の経済発展にも好ましい状況が生み出されている。とはいえ、日米関係があまり緊密でも中国への圧力が強まるので困るというのが中国の立場だ。
 中国は1980年代末から、世界に多極構造ができると考えていた。ところが1990年8月に湾岸危機が起き、結局、アメリカという1つの超大国と数個の大国がせめぎ合うような状況になった。さらに1995~96年ごろになると、状況を楽観する人と厳しく見る人に分かれてきた。一方には、1つの超大国、多くの大国というこの構造が冷戦後の世界の力関係であるという人たちがいて、もう一方には、世界が多極化に向かっており、この動きは加速されているという見方があった。

日米安保体制の再定義と中国
 そういう状況の中、日米は次第に、特殊な同盟から基本的な利益の衝突を起こすようになった。しかし、日米双方で「これはまずい」ということになり、同盟関係の重要性を再確認する作業が始まる。それが実現したのが、1996年4月の日米安保共同宣言だ。
 この日米安保共同宣言がなされたのは、中国の対米関係が非常に厳しくなっている時期だった。1995年6月に台湾の李登輝総統が訪米し、それまで積み重ねられてきたアメリカと中国の交流は、中国によって一方的に断絶された。そして中国の核実験が契機となり、日中関係も非常に厳しくなり、日本では中国への政府開発援助(ODA)はいらないという声が高まり、無償援助の部分が凍結された。 また1996年3月には台湾で初の総統選挙が行われ、李登輝氏が優勢であったことから、台湾が独立傾向を強めると考えた中国は、台湾近海で3度に渡る軍事演習を行い、それに対しアメリカが台湾近海に空母機動部隊を派遣するなど、米中関係はさらにぎくしゃくした。また1998年後半には、共産主義体制を捨てた東欧の国々の参加によりNATO(北大西洋条約機構)の東方拡大とつながっている。
 このような中1996年4月16日に発表された安保共同宣言には、中国から見ると日本の軍事力を強化するような要因もあるが、憲法第9条を改正するといった国論が定まっている訳ではなかった。また日本の軍事力強化には様々な国内の阻止勢力もあり、当面特に心配するものではないというのが中国の当初の反応であったが、その後は次第に論調が厳しくなる。そして日米安保体制強化は大きな問題だということで中国は様々な対応を始める。多国間安全保障協力のメカニズムを強化し、ASEAN(東南アジア諸国連合)地域フォーラムなどに積極的に関与するようになったほか、アメリカとの関係も改善しようとした。また中国は特に戦略的パートナーシップという概念によって、多国体制の極の1つになりそうな国との関係を強化する。特に努力が傾注したのは、ロシアとの中ロ戦略的パートナーシップで、ヨーロッパの大国であるフランスやドイツともパートナーシップ関係を結ぶ。
 その一方で、日米安保体制は、1996年の共同宣言を契機に緊密化していく。1997年に周辺事態に対する対応を盛り込んだ防衛協力の新しい指針が出るが、その指針に従って行動するための法的基盤は当時、日本にはなかった。そして周辺事態安全確保法という法案を国会に上程し、1999年5月に成立した。また1998年8月に北朝鮮がテポドン・ミサイルの発射実験を行い、これが日本の上空を通過したということで、日本でミサイル攻撃に対する危機感が高まった。これによって、日米のミサイル防衛技術の協力が一気に進むが、このころになると、中国はあまり激しい反応はしなくなる。 一方、米中間では1997、98年に首脳が相互に訪問し、関係が改善したが、1999年にはコソボ戦争でベオグラードの中国大使館が米軍機によって爆撃され、関心が再び緊張した。
 さらに2001年9月11日にアメリカで同時多発テロが起き、これによって、いわば安全保障の世界は新しい世紀に入る。この9.11テロ後の世界の情勢が中国からどう見えたかというと、やはりアメリカが圧倒的な力を持っていることが確認された。またアメリカがアフガニスタン攻撃を決めると、日本は対テロ特別措置法という法律を作り、テロとの戦いに参加した多国籍軍にインド洋上で石油を供給するようになる。一方、中国はアメリカのテロとの戦いをいわば機動力にして、対米関係の改善をはかり、それがある程度成果を挙げていた。その後日本では時限立法の対テロ特措法は、民主党政権に移行して終わりを告げる。

最近の動向
 こういった事態を背景にアメリカは海外における軍事展開を再編成するという動きを始め、その一環として日米同盟体制の再編成が行われるようになる。中国の分析では、明らかに日米同盟が質的に変化し、世界の中の日米同盟となり、安全保障だけの問題でなく、対テロや大量破壊兵器の拡散防止と、日米が共有する民主主義人権擁護という価値の推進というところまで含んだ包括的なものになっており、日米の軍事的な一体化はさらに進み、日本は既にアメリカの世界戦略に完全に組み込まれているという判断になっている。そして、日米安保体制の強化で次第に中国という要因が重要性を増し、これに対抗するように、中国も軍事力を高めていかなければいけないという状態になることを懸念する声もある。
 最後に最近の日米同盟に関する中国の論評、政府の立場表明等を見て気づいたことだが、1つは中国から見ると、アメリカがアジア回帰している。2001年以降、テロとの戦いが最重要課題になり、アフガニスタンや中東にアメリカの注意が注がれてきたが、最近はアジアに積極的に関与してきている。また日米豪安全保障協力、米印原子力協定など関係を強化しているが、これは戦略的な関係の強化で、そこに日本を加えるという発想ができている。中国からは、この拡大した日米同盟体制形成の機動力になっているのは中国要因だと見え、これは必ずしも間違った見方とは言えない。
 中国は結局アメリカとの関係を良くしておくしかないという感じがするが、もちろんそれは中国の国益とぶつからない範囲においてだろう。中国はアメリカとはできる限り協力分野を広げ、それによって安心な状況を確保しようとしている。日米同盟の強化を取り上げて対抗しようとしても、少なくとも短期間でできるものではないという、極めて現実的な認識をしているというのが私の判断だ。

(敬称略 / 講師肩書は講演当時 / 文責:貿易研修センター)

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 平成23年度 JKA補助事業 IIST国際情勢講演会 報告書 (PDF:3MB)


担当:総務・企画調査広報部