平成23年度 第1回-1 国際情勢研究会 報告1 「中国とASEANの海洋をめぐる問題」 桜美林大学 リベラルアーツ学群教授 佐藤 考一【2011/04/21】

日時:2011年4月21日、場所:(財)貿易研修センター

平成23年度 第1回-1 国際情勢研究会
報告1「中国とASEANの海洋をめぐる問題」


桜美林大学 リベラルアーツ学群教授
佐藤 考一

1.スプラトリー諸島をめぐる各国の対立
佐藤 考一 南シナ海では漁業資源が豊富で、沿岸国すべてを足すと年間1000万トン程度の水揚げがある。また1968-69年の国連による探査の結果、石油資源があるのではないかといわれる。南シナ海沿岸では石油が出ているが、中心部の深海、スプラトリー海域では、まだ探査が成功した例はない。ここには4つの群島があり、最北のプラタス諸島は台湾が押さえており、東沙群島といわれる。海南島の南にはパラセル:西沙群島があり、1974年以降、中国が制圧している。その南には、マックレスフィールドバンク:中沙群島があり、これはすべて暗礁だ。そしてマックレスフィールドバンクとフィリピンのルソン島の間に、スカーボロ岩礁がある。現在フィリピンが押さえているが、中国側はマックレスフィールドバンクの一部と主張し、争っている。
 この3つについては、ほぼ状態が固定化しているが、問題になっているのはスプラトリー諸島:南沙群島だ。まず定義に非常にばらつきがあり、中国やベトナム、台湾が「自分のもの」と主張、マレーシア、フィリピン、ブルネイが一部の島嶼について自分のものだとし、争っている。これまでの争いに関しては、(1)外交論戦期(1945~88年)、(2)武力衝突・島礁占拠の既成事実化の始まりとU字線問題の端緒期(1988~94)(3)既成事実化のエスカレーションと会議外交における中国の対応の変化期(1995~2004)、(4)2004年以降の中国主導の部分的解決志向から2010年の「核心的利益」論への転換期、という4つの時期に区分できる。

2.これまでの紛争の経緯
 ASEAN諸国は中国への対策として、他の域外大国に支援を求める、自助努力、すなわち、新しい潜水艦などの兵器を購入する、軍事演習を行う、トーチカを築いて占拠を既成事実化し、さらに滑走路を造って観光開発をするといったことを行っている。またマレーシアのように中国との関係に自信がある国や、フィリピンのように中国と話をつけたいと思った国は2国間交渉も行ってきた。このほかトラック2、トラック1という会議外交がある。トラック2が先に始まり、これは軍人、学者、外交官が個人の資格で参加する会議だ。トラック1は政府間協議で、ASEANと中国の外相会議、ASEAN地域フォーラム、ASEAN+3首脳会議、外相会議などが入っている。
 最初の外交論戦期でポイントになることの1つとして、1951年の米比相互防衛条約がある(フィリピンのスプラトリー諸島領有主張は、この後の1956年なので、米国はフィリピンの領有を支持していない)。またこの時期の問題で大きいのは、1968~69年に国連の南シナ海、東シナ海の海底資源探査があり、73年には第4次中東戦争が起きたので、石油が出そうなところは押さえておく必要が生じたことだ。そして76年の米国の漁業保全管理法公布以降、世界的に200カイリ漁業専管水域の設定という問題が出てきて、石油と水産資源によって無人島の価値が高まり、紛争がエスカレートした。
 1988年3月には、スプラトリーのジョンソン礁近海で中越が交戦する。これによってベトナム側の輸送船2隻が沈められ、ベトナム兵90名以上が死亡または行方不明となり、中国が南下してくるという話になった。一方、90年1月からは、南シナ海紛争ワークショップが始まり、各国が領有をどのように地図上で表現しているかを確かめようと、ASEAN各国が互いに地図を持ち寄った。そのときに中国と台湾の地図にU字線が出ており、問題になった(本会議に中台は未参加)。91年にはマレーシアがスワロー礁に宿泊施設を造り、ダイビング・リゾート開発を始め、92年には中国がスプラトリーのガベン礁に上陸、領土標識を立てた。そして紛争の複雑化を避け、平和的解決をするため、外相会議が南シナ海宣言を出す。93年になると南シナ海紛争ワークショップでU字線問題が提起され、このときは中国が参加していて「歴史的権益を示す線だ」と言ったため、問題になった。94年7月には、ASEAN地域フォーラム(ARF)が始まり、会議外交のトラック1で議論しようという話になった。95年2月には、第1次ミスチーフ礁事件が起き、これは中国海軍がミスチーフ礁に基地のような構造物を造り軍艦を寄せたというものだ。
 95年にはARFもあったが、中国はこの年5月に地下核実験を行い、さらに米国が台湾の李登輝総統の訪問を認めたため、日米との関係が悪化、会議中で四面楚歌になりそうになった。このため中国はASEANに歩み寄り、会議外交での話し合いを提案し、さらに係争当事者政府に共同で海洋生物資源、多様性の調査、海流の流れの調査などを調べるプロジェクトをやろうと呼びかけた。この年の12月、ASEAN諸国は東南アジア非核地帯条約を結び、中国にその議定書に署名するよう求めたが、中国は未だに署名していない。そして96年には、中国の南シナ海紛争ワークショップの代表が、「政府の了解が得られなかった」として共同プロジェクトを拒否し、中国脅威論が再び高まった。
 そうこうするうちに98年10月末には、第2次ミスチーフ礁事件が起き、ミスチーフ礁の建造物を中国が増強する。一方、99年にはマレーシア海軍がフィリピン、中国、ベトナムと係争中のスプラトリー諸島の2島礁に建造物を構築した。また99年5月には、ベオグラードの中国大使館の誤爆事件があり、2001年4月には米軍の偵察機が中国の戦闘機と衝突、海南島に強制着陸させられる。そして中国において、アメリカ脅威論が高まった。また日本との関係も靖国訪問をやめない小泉総理との間で、非常に悪くなった。このとき中国側は再び、南シナ海の問題でASEAN側に歩み寄り、さらに東亜共同体(東アジア共同体)構想を考え出すようになった。2003年10月のASEAN中国首脳会議では、中国が東南アジア友好協力条約(TAC)に署名、ASEANとの自由貿易協定(FTA)の議論も出てくる。
 2004年4月、ベトナムはスプラトリー諸島への観光ツアーを実施、さらに600メートル級滑走路の建設を再開し、完成させた。一方、2004年7月には、イラクに人道支援部隊を出していたフィリピンが、イラクのイスラーム過激派に出稼ぎ労働者を人質として取られ、世論の高まりから過激派の要求に応じて人道支援部隊を引き上げることになった。このとき中国側はここぞとばかりにスプラトリーでの中比共同地震波探査を提案し、後にベトナムを加えて、中越比の3ヵ国で2005-07年の期間にそれを行うことになった。 2006年には太平島に台湾が、1100メートル級の滑走路を完成させる。2007年には、フィリピンがスプラトリー諸島で地方選挙を実施、中国も負けずに2007年11月に海南省に南沙、西沙、中沙群島を合わせた三沙市を立ち上げる。そしてフィリピンは自分の国が領有を主張している島の周りに領海基線を引こうとし、議会で議論を行ったため、中国が怒り、2005‐07年の探査後は合同で探査をしないことになった。
 2009年11月には、当時の中国のASEAN大使、薛捍勤氏がシンガポールで演説し、南シナ海問題を2国間交渉で解決すべきだと発言した。さらに2010年3月には、中国政府高官が訪中したスタインバーグ国務副長官に「南シナ海は核心的利益」になったと述べた。この話が出てきて中国海軍は勢いづき、北海艦隊、東海艦隊、南海艦隊が一緒に合同演習を行ったほか、東シナ海、南シナ海、太平洋での大規模な海軍演習が4回行われる。
 U字線の意味は何なのかというと、歴史的水域だという議論があるが、歴史的水域だとすると内海の上に地理的に特殊な状況にある水域で、沿岸国が長年にわたる慣習でこれを領域として扱い、有効に管轄権を行使し、これに対して諸外国も一般に異議を唱えない場合に内水としての地位を与えられるということだ。そして核心的利益の議論をすると、おそらくこのU字線がその境界線になるという推測が成り立ち、大変なことになる。

3.会議外交での信頼醸成、周辺諸国との協力による盾の準備を
 中国側は、ASEANに安全保障協力なども呼びかけており、いろいろな形で援助して大陸部の諸国を取り込み、ASEANを分断させそうな様子が見える。敵視の必要はないが、会議外交の場での信頼醸成と、周辺諸国との協力による盾の準備がおそらく必要になってくる。日米とASEANは会議外交の場に中国を出させ、その場で説得し、穏健な政策を取ってもらう。それがだめな場合には、日米同盟が軸になり、牽制するための演習や安全保障協力を周りの国と行う。中国が矛を納めたときは、彼らも仲間に受け入れる。そういう3段階ほどの工作が必要かと思う。

(敬称略 / 講師肩書は講演当時 / 文責:貿易研修センター)

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担当:総務・企画調査広報部