平成24年度 第3回-1 アジア研究会 報告1 「激動のミャンマーの政治と経済」IKEYA CORPORATION PTE. LTD. 顧問 池谷 修 (いけや おさむ)【2012/09/10】

日時:2012年9月10日

テーマ「東アジアの変動と日本」

平成24年度 第3回-1 アジア研究会 報告1
「激動のミャンマーの政治と経済」


IKEYA CORPORATION PTE. LTD. 顧問
池谷 修 (いけや おさむ)

1. ミャンマーの都市、日本との関係
池谷 修 ミャンマーの旧都ヤンゴンは、現在もミャンマー最大の商業都市だ。人口は約600万で、ミャンマー全体の10分の1に当たる。一方、ネーピードーは2006年からの新首都で、首都をここに移した理由は主に2つあった。1988年の暴動を非常に気にしたタンシュエ政権は、私に言わせれば日本の戦国時代に学んだ。要するに山の上に城を作り、民衆から離れたところに住むという発想プラス、ミャンマー独特の占いの発想で、南から中部に移れば長生きできるといわれ、それに従ったという。
 2006年に首都が移ってから、最初に呼ばれた外国人が偶然、私であった。当時のネーピードーでは一応、道路はできていたが、舗装されておらず、西部劇のごとく砂煙という大変なものだった。他の都市については、チャオピューでは現在、中国が港湾設備を建設中で、昆明までのパイプラインを建設している。さらに鉄道、道路網も敷くということで、既に調査等が始まっている。またヤンゴンから約15キロ東南へ離れたところにはティラワ港があり、ここに日本の工業団地を建設するということで、仮の目標は2015年になっている。
 ミャンマーはおそらく世界で最も安全、かつ安心できる国で、特にヤンゴンは世界一安全な都市である。数年前までの日本の報道によれば、ミャンマーは怖いところという印象があるかと思うが、実際に生活してみると、ヤンゴンほど静かで安心なところはない。そして人が非常に優しく、戦前の日本を思い出すような感じだ。
 また戦中、戦後を通じて日本や日本国民は、4つの面で特にビルマに助けられたと考えている。1つは、戦争時代における日本の兵隊で、38万人のうち約19万人が亡くなったが、残りの兵隊もほとんどが飢えと怪我で命からがら逃げて日本に帰る、ないしはタイ経由で逃げて帰った。このときミャンマーの人たち、特に農民はこれを見殺しにせず、何らかの形で助けた。従来は敵であったにもかかわらず、助けてやった。2つ目に、1948年の日本がほぼ飢餓状態であったとき、ビルマ政府は優先的に日本へ米を輸出し、ある意味で日本を救った。そして3つ目は賠償に関するもので、4つ目は日本が平和条約を結んで国連に加盟したとき、敵国であったはずのビルマが加盟に賛成する大演説をしてくれたことだ。
 3つ目の賠償では、ビルマがどのような対応をしたかというと、第二次世界大戦で負けたのは日本である、そして最大の被害を被ったのも日本である、このため日本から賠償金を取るなどということは全く忍びない、というものであった。ただ我々も戦争で苦しんだ、よって日本政府が出してくれるものは何でも良く、いくらでも構わないという代表演説を行った。これを聞いた日本代表は非常に喜び、驚いた。日本政府では当時、10年、20年先のことを考え、ビルマにとって役立つものを賠償として出すべきだということになり、バルーチャンの発電所を建設した。ミャンマーの人たちは今も、「賠償で発電所をいただいた」ということを決して忘れていない。
 次に、円借款が始まったのは、私がミャンマーに着任した1968年のことだった。このときの円借款は、1400万ドルではなかったかと記憶している。アイテムは石油開発だったが、アンタイドであったため、日本企業がこれをとることはできなかった。なぜタイド・ローンにしなかったのかと思うが、要するに、当時は誰も気づかなかった。
 そして1987年にはビルマで暴動が始まり、1988年をもって日本の円借款、無償は事実上クローズされた。当時、ミャンマーに対しては2国間援助だけでなく多国間援助も含め、日本が75~80%の援助をしていた。このように、日本-ミャンマー関係には素晴らしいものがあったが、残念なことに暴動のお陰で援助は途絶えた。
 ミャンマーでは、軍事政権である以前のタンシュエ政権は非常に嫌われていたが、ネーウィン政権とは比べ物にならないほど恐怖感のない政権だった。そして現在のテインセイン政権は、民主化政策を進めている。これには、検閲制度の廃止や反政府勢力との平和協定など、多数ある。私はテインセイン大統領が、このような力量を発揮するとは考えていなかった。力量がないがゆえに、タンシュエ前議長は彼を選んだものと解釈している。要するに、瓢箪が駒を生んだような状況だ。逆に言えば、タンシュエ前議長は判断を半分誤ったのではないかと思うが、これは結果的に非常に良かった。なぜ半分かというと、ミャンマーの人たちは非常に諦めが良い。タンシュエ前議長もおそらく、意外に早いところでやめたかったのではないかと思う。

2. 2015年度の総選挙
 ミャンマーの議会には下院と上院があり、議席は440と224で、このうち軍が166を占める。2015年の選挙については、2つのケースが考えられる。ケース1は結果論から言うと、野党側が政権をとるというもので、このケースが比較的高いと思われる。なぜかと言うと、1990年には国民民主連盟(NLD)が80%を占めており、2012年には現在の与党が76%を占めたが、これはNLDが選挙をボイコットしたためだ。またNLDは2012年の補欠選挙で、95%をとっている。現政権の信頼と人気は高いが、テインセイン大統領は引退を表明している。彼は非常に清廉潔白で、欲のない人間だ。このため、アウンサンスーチーの人気が依然高い場合には、おそらく総選挙でNLDが少なくとも65~70%をとると思われる。その場合にはわずかながら、NLDが勝つことになる。しかし、この程度の数では、かなりの混乱が起きる可能性がある。
 第2のケースとして、テインセインが良き後継者に恵まれることが考えられる。そして経済政策がこのまま続き、国民の評価を得る。アウンサンスーチーにあれだけ人気があるのは、ずっと牢獄におり、非常に不遇な時代が多かったためだ。しかし、解放されてから2~3年が経過したときに、これだけの人気を確保できるかということがある。私はこの点について、必ずしも過去のようではないと思う。そのような場合にもNLDは勝つと思われるが、25%という軍事枠は非常に高い。与党がこのまま政権をとることになれば、大きな混乱は少ないと考えられる。
 最初のケースの場合にも、アウンサンスーチーが大統領になるということはあり得ない。これには3つの理由があり、第1に彼女自身が大統領に興味を持っていない。第2に憲法に基づき、外国人の夫、そして外国人の子供たちを持っている場合には、大統領に就任できないことになっている。さらに大統領になるためには、軍での実績、経験が必要だ。これは世界にも珍しい憲法の規定だ。ただ、彼女自身が大統領になるつもりはないことを明言しており、またNLDには軍出身の年をとった連中がたくさんいるのでそれ自体は問題ないと思われる。

(敬称略 / 講師肩書は講演当時 / 文責:貿易研修センター)

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担当:総務・企画調査広報部