第123回-1 中央ユーラシア調査会 報告1 「南西アジアの現状(インド・ネパール・トルコから)」帝京大学 経済学部 教授 ユーラシア・コンサルタント(有) 代表取締役 清水 学(しみず まなぶ)【2012/10/17】

日時:2012年10月17日

第123回-1 中央ユーラシア調査会
報告1「南西アジアの現状(インド・ネパール・トルコから)」


帝京大学 経済学部 教授
ユーラシア・コンサルタント(有) 代表取締役
清水 学(しみず まなぶ)

 インド、ネパール、トルコの三カ国を視察してきたので、中央アジアとの関係も含めてご報告させていただく。

1. ネパール
 ネパールはかつて王政の国だったが2008年に王政が崩壊した。それまでヒンドゥー教が国教だったが、現在は共和制であり世俗国家となっている。さて現在のネパール政治は混乱の渦中にあるともいえる。現在主要政治勢力としては3つあり、最有力勢力は毛沢東派共産党(UCPN-M)で首相はここから選ばれている。もう一つはネパール共産党統一マルクス・レーニン主義派(CPN-UML)、三つ目がネパール国民会議派で中道政党である。これらが三つ巴となっている。現在、二つの未解決問題がある。一つは1年半程前に政権議会を発足させたが憲法制定作業がまったく進んでいないことである。連邦制を導入しようとしているが、連邦構成単位の結成を巡って対立が激しく合意ができていない。毛沢東派は14州案で民族別に州を構成すべきだと主張し、それに対して経済地理的区分で6州にするというのがネパール国民会議派の主張である。毛沢東派は権力を握っていく過程で、いわゆる地方にいる少数民族を上手く抱きこむ形をとり少数民族問題にコミットしている。もう一つの未解決問題は、毛沢東派の人民解放軍は、国軍と統合することになっているが、どのようなプロセスで統合するかについての問題がほとんど進んでいないことである。
 ネパールの東にあるネパール族が中心のシッキムは現在インド領としてシッキム州となっているが、1975年までは半独立で外交権はインドが代行していた。1975年にインドはシッキム国内の混乱を受けて完全併合したが、その際は中国との関係が緊迫した。シッキムの東側にブータンが位置している。ブータンを巡る内外状況は極めて流動的である。ネパール政変のブータンに与えた影響は大きく、ブータン国王はいわゆる上からの民主化のイニシャチブをとり議会制を導入している。他方、中国が国境を接している国でまだ国交がないのはブータンだけである。昨年以降中国の温家宝首相は国交樹立へのアプローチを強め、ブータンも前向きの姿勢を見せている。懸案は国境問題が解決していないことである。二つ係争地域があり、ブータン北部とブータン西部である。消息筋によると北部について中国は譲歩する一方、シッキム州に近い西部は確保したい意向という。西部はバングラディシュ、ミャンマーにも近く、インドの大部分と東北部を結び付ける細い回廊(鶏の頸という)であり、インドにとっては地政学的に極めて重要なところである。ブータン・中国国境問題は、中印問題と深く結びついている。ヒマラヤ地域の中印間のバランスを見ると、もともとインドの影響力が強いところであるが、近年中国の存在も少しずつ高まっている。ネパールでの中国人観光客も徐々に増加している模様である。

2. インド
 インドをみる上で新たな要素の一つは、イスラエル・ファクターが無視できなくなってきたことである。イスラエルからの先端兵器輸入が増加しており、2009年の段階でロシアよりもイスラエルからの輸入が大きくなったという推測もある。イスラエルの兵器輸出の半分がインド向けとなっている。インドは中東和平の問題については、伝統的にパレスチナ独立支持の立場を維持しているが、実利的な理由からイスラエル関係をも進展させているわけである。他方、インドの外交政策はしたたかで多くのバランスを重視している。イラン制裁の問題でアメリカからインドに対してイランから石油を買わないよう圧力がかかっているが、部分的に協力しつつも抵抗している。インド・イラン間には2003年のデリー宣言があり、そこには軍事協力も含まれており、イランとの関係を悪化させないよう留意している。インドは中央アジア、アフガニスタンと直接陸路で繋がる道がなく、他国を経由して行かなければならず、インドの中央アジア政策の最大の難点の一つである。その点からすると、イラン経由のルートはインドにとって不可欠である。またエネルギー供給基地としてのイランの存在は非常に重要である。エネルギー供給地と中央アジアへの道という二つの要素がインドの対イラン政策を規定している。パキスタンとイランとの関係は複雑で、イスラームのなかのスンニ派とシーア派という宗派間の対立を内包させており、それがインドとイランを結び付ける別の要因でもある。
 アフガニスタンを巡る最大の課題は、2014年末までのアメリカ軍・NATO軍のアフガニスタン撤退計画であり、2014年後のアフガニスタンの動向である。米・アフガン政府はタリバーンを交渉相手として妥協の途を模索している。その際、鍵を握っているのはパキスタンである。パキスタンにとってアフガニスタンの動向は自国の安全保障の不可欠な要素と見なしており、自国が関与しないかたちで米国あるいはアフガン政府がタリバーンと交渉することを絶対に認めないと見られるからである。また、パキスタンはビンラーディン殺害以降のトラブルで米国との関係は悪い。今後、タリバーン、米国、アフガン政府の動向とパキスタンの行動が2014年以降のアフガン問題のカギとなろう。
 なお、タリバーンは一応、アフガン・タリバーンとパキスタン・タリバーンに分けてみる必要がある。アフガン・タリバーンとは、アフガニスタンとパキスタンを拠点に動いているが、主たる目的はアフガニスタンから米軍を撤退させて、そこで権力を再奪取することを目指している。パキスタン・タリバーンの矛先はパキスタン政府の打倒に向けられている。アフガン・タリバーンは米・NATO軍への抵抗運動を通じて国際政治についての認識を深め、ある意味では柔軟性を次第に身に着けている。アメリカとの話し合いも無条件には拒否しないという方針である。これに対して2006年頃から台頭したパキスタン・タリバーンは非常に「原理主義」的かつ強硬であり、各地でテロを引き起こしている。アフガン・タリバーンとパキスタン・タリバーンは無関係ではないが、方向性がかなり異なるとみてよい。パキスタン軍とアフガン・タリバーンの間に一定の協力関係があっても不思議ではないが、パキスタン・タリバーンに対してはパキスタン軍は強硬姿勢で対応してきた。
 インドは昨年、ポスト2014年を意識したアフガニスタンとの包括的協力協定を結んだが、インド首相はインドのアフガニスタンへのコミットメントの恒久性を強調した。この協定がアメリカとアフガニスタンの間で今年調印された新しい協定のベースになっている。米国は2014年以降も一定数の米軍を駐留させることを求めている。インドは中央アジアに関してソ連時代からの多面的な外交関係の蓄積がある。また中央アジアとインド・パキスタンは文化面で共通している側面が多い。特にペルシャ語系の語彙はインド、特に北部の言語に多く入っているが、それがイランから直接インドに入ったというより、タジキスタンを経由してインドに入ってきたともみられる。現在、インドと中央アジアとの貿易額は少ないが、長期的発展の展望を持っている。
 さて、今年のインド経済は停滞色が表れており、成長率は5%程度と予測されている。最近、小売業と保険業への外資参入を51%以上認める方向に原則的に踏み切ったが、政治的影響を考慮して、政策面でブレが見られる。
 マンモハン・シング首相の後継者問題も不透明である。現在の政治地図を描くと、4つの勢力がある。今の与党、国民会議派を主軸とするUPA(統一進歩連合)は中道左派で、次にインド人民党(BJP)はヒンドゥー主義を底流にしている宗派的右派で現野党であり復帰を狙っている。さらに地方政党は州を基盤として独自の存在感を誇っている。残りは左派勢力である共産党と左派共産党(マルクス主義派)である。なお、インドでも毛派の共産党がかなり活発化している。ネパールの毛派とも関係があり互いに情報交換をしているとみられる。現在、インドの毛派のゲリラ勢力が10万人とも言われ、インド中央部の主として山岳地域に拠点があり、一種の解放区が部分的にできている。現在インド最大の治安問題とされるのは毛派共産党である。
 インドの政治を見るときに、コミュナリズムという問題が重要になる。コミュナリズムとは、特定の一つの社会集団の利益を最優先する考え方である。特定の宗派集団あるいはカースト制度の中で特定のカーストの利益を最優先させようというのもコミュナリズムである。多くの方にはカースト制度に対する誤解がある。カースト制度は何千年も不変というわけではない。職業との関係も固定されておらず流動的である。鉄道が敷かれれば鉄道員がでてくる。また、カースト制度はヒンドゥー教社会特有の現象ではなく、イスラム教徒の世界でも、キリスト教徒の世界でも、シーク教徒の世界でも、認めたがらないが実はかなり残っている。カーストは経済発展にとって障碍となるとされている。確かにいろいろな問題を残しているが、経済発展という点ではあまり深刻に考えないほうがいい。他方、ITなどの発展によって初めてカースト差別が解消されるという見方も正しくない。カースト差別が出るのは多くの場合、結婚の時である。
 一番下の不可触民に対して憲法上保護政策として、割当制度がある。公務員採用、大学入試について採用枠が決められている。それに対して不可触民より上のカーストのグループが自分たちを「後進カースト」として同様の割当を求める動きが見られる。南部のタミル・ナードゥ州では公務員採用の69%が各種カースト別割当の対象となっており、行き過ぎであるとして問題になっている。最高裁はどんなに高くても割当枠は50%以内にと指示している。「後進カースト」とは名前だけで、土地(農地)改革が行われたあとは地主となったりして経済的には村を支配している人々も多い。他方、不可触民出身の有力政治家もかなりでてきている。インド最有力のウッタル・プラデシュ州の前州首相マヤワティ・クマーリは不可触民出身であった。この州は人口が1億8千万人の州で日本の1.5倍の人口を抱えている。彼女はまさに不可触民の利益を代表する形で票を集めたのである。

3. トルコ
 トルコのエルドアン首相がなぜシリア政策を転換したのか理由はわからない。トルコはシリア、イランとの関係は最近まで良好であった。しかしクルド労働党に代表されるクルド勢力の武力闘争がまた始まっている。またイラクとの関係も悪化し、ロシアとの関係も急速に緊張している。国民世論調査を行うとシリアに介入すべきではないという意見が多い。
 今回の視察では、カイセリを訪れるのが目的だった。トルコの過去10年間の経済発展が順調である理由の一つには、カイセリなどのアナトリア内陸地域を拠点とする「アナトリアのトラ」とも呼ばれている新興企業家層の存在がある。エルドアン政権を支える三位一体として、AKP(公正開発党)とギュレン運動と「アナトリアのトラ」が挙げられる。AKPは「穏健な」イスラム主義政党であり、ギュレン運動は、新興イスラム運動でありAKPの有力な支持勢力である。アナトリア半島には、信仰に篤く、かつ進取の気性に富む新興ビジネスマンが多い。彼らはギュレン運動の組織などを使って資本調達をしている。カイセリは、宗教的かつ経済活動が活発な街という印象であった。東部国境地域は開発が後れており、そこからアナトリア中部に労働力がたくさん入ってきている。これら企業は始めに繊維、絨毯・家具など伝統産業の競争力をつけて資本蓄積をした上で、先端工業へ進出しようとしている。トルコは一人当たりの所得が1万ドルを超えたことで、いわゆる「中所得国のワナ」を脱却できたのか、経済発展のモデルの問題として非常に注目されている。

(敬称略 / 講師肩書は講演当時 / 文責:貿易研修センター)

IISTサポーターズ(無料)にご登録いただきますと、講演会、シンポジウム開催のご案内、2010年度以前の各会及びシンポジウムページ下部に掲載されている詳細PDFとエッセイアジアをご覧いただける、パスワードをお送りいたします。


担当:総務・企画調査広報部