第125回-2 中央ユーラシア調査会 報告2 「中央アジアにおける民族化政策と教育」- カザフスタンの言語教育を中心に – 新潟県立大学教授 袴田 茂樹(はかまだ しげき)【2012/12/18】

日時:2012年12月18日

第125回-2 中央ユーラシア調査会
報告2「中央アジアにおける民族化政策と教育」
- カザフスタンの言語教育を中心に -


新潟県立大学教授
袴田 茂樹(はかまだ しげき)

はじめに
袴田 茂樹 ソ連邦崩壊後、かつてのソ連圏に対してロシア当局としてはいかに影響力を確保するかが重要な政策になっている。これに対して独立した国々にとって、ロシアとまったく対等の関係は難しいにしても、少しでも独立性を保つための武器が、民族語を重視する言語政策であった。
 ロシアが中央アジアなどに対して、ある種の帝国主義的な意図を有しており、それがどのような形で示されているか例を示そう。改革派のリーダーで大統領府長官や第1副首相も務めたA・チュバイスは、2003年に「リベラルな帝国」という概念を打ち出した。彼は、「深い確信を持って言えることだが、ロシアのイデオロギーはリベラルな帝国主義であり、ロシアの使命はリベラルな帝国の建設である。ロシアは必要があれば、隣国の民主主義や人権、市民の自由を擁護する」と述べている。やはり改革派の言論人で『独立新聞』『モスコーフスキエ・ノーボスチ』などの編集長だったV・トレチャコフは、2006年に次のように述べている。「中央アジア地域におけるロシアの影響力を最大限復活させなければならない。ロシアは中央アジアに住むロシア人の利害と権利を保護する。そして、この地域の共通語としてのロシア語を維持する。」 独立国が民族語を重視したのに対して、ロシア側はその影響力を確保するために、ロシア語の維持を重視したのである。
 2012年12月12日、プーチンが議会で年次教書を演説した。そこで彼は、「ロシア政府はCIS諸国の若者や全世界のロシア人がロシア語教育を受けられるよう支援しなくてはならない、CISその他の国において、ロシア語で教えている学校を、またその教師たちを支援することが必要である」と述べ、言語政策を重視していることを表した。それに対して、各共和国は自らの言語政策によってアイデンティティを保つ、あるいはロシアからの自立性を保つ、そういった動きを示している。以下、中央アジアの言語政策を紹介する。私自身も現地でこの問題について見聞しているが、主として依拠した参考文献は、嶺井明子、川野辺敏編著『中央アジアの教育とグローバリズム』(東信社 2012.3)に収められている中央アジアの専門家たちの論文である。

1. カザフスタンの言語状況
 一例として、中央アジアのカザフスタンの状況を説明したい。カザフスタンの国家語はカザフ語で、公用語はロシア語である。100以上の民族があるが、他に3つの言語、つまりウズベク語、タジク語、ウイグル語が教育言語として認められている。なぜこの3つかというと、カザフスタンの先住民の民族だったということのようだ。1990年代にカザフ語を強化拡大する政策に重点が置かれた。100以上民族があっても、選べる教育言語は5つの言語の中からである。1997年に言語法が定められ、高等教育まで一貫して受けられるのは、カザフ語とロシア語だけである。ソ連時代の1973年教育法および1977年憲法では、「母語による教育」を保証していた。したがって、カザフスタンの専門家たちは、ソ連時代と比べると5つの言語に限定したこと自体を、後退だと分析している。カザフ語、ロシア語以外の3言語で教えている少数民族語学校(ウズベク、タジク、ウイグル語学校)は、全学校数の1%に過ぎない。現実には、大学入試はカザフ語かロシア語のみで、少数民族語学校からの大学進学は困難なので、民族語学校では子供の教育のために、ロシア語とカザフ語のバイリンガル教育が行われている。2000年以後は、「三位一体」としてカザフ語、ロシア語、英語が重視されている。

2. カザフスタンにおける言語政策
 カザフスタンにおける言語教育に関しては、ソ連時代は、「ロシア語化」政策が実施された。そして、独立後は「カザフ語化」政策に切り替えられた。ソ連時代のロシア語化政策は、公式的には表明されていなかった。つまり、ロシア語を公用語あるいは国家語と定める法律は存在しなかった。しかし、言語の統一のための単一言語化が推進された。国民をまとめるためである。公式に表明されなかった「隠されたイデオロギー」の実質はロシア語化である。公然と、「長兄(ロシア人)」から少数民族に至る諸民族のヒエラルキーが認められていた。つまり、15の共和国のうちの「1等星」はロシア・ソビエト社会主義共和国、同等者中の第1人者はロシア人ということが、公然と言われていた。といっても、公式的にはロシア語、カザフ語は対等とされて、バイリンガル政策が実施された。しかし、実際には、カザフ人はロシア語を習得したが、カザフスタンに住むロシア人はカザフ語を習得しなかった。
 なぜロシア語化が進んだか。ロシア語化進展の歴史的背景を見ると、戦前・戦時中の流刑地としてロシア人が送り込まれた。また、1954年からフルシチョフのキャンペーンとして、大量のロシア人が、すなわち200万以上の処女地開拓者、多数のコムソモール員がカザフスタンに移住した。そのため、1966年にはカザフ人は少数派に転じた。当局はロシア語教育に力をいれた。そして、汎イスラム主義、汎チュルク主義の影響を阻止するため、カザフ人のチュルク系の言葉、イスラム教徒のコーランのアラビア語は、意図的に地位を貶められた。 1930年代には、チュルク系のルーン文字からラテン文字へ、ラテン文字からキリル文字へと、2度文字が変更された。キリル文字に転換された結果、国外のカザフ人とカザフスタンのカザフ人が、文字の上で分断された。
 子供の教育言語は親に選択権があった。しかし親は子供の出世を願う。当然のことながら、ほとんどの親が、ロシア語学校を選択した。その結果、1989年には、アルマアタ市に民族語学校は第12カザフ中等学校、1校のみとなっていた。
 独立後は、カザフ語化の政策が行われた。国家としてのアイデンティティの最重要の強化策として言語教育が取り上げられた。目標は全国民がカザフ語を自由に使いこなすことであった。カザフ語の使用は法的に義務化され、大統領、両院議長の場合、憲法で義務化されている。220の職種の公務員も共和国法「資格に応じた国語能力が求められる職種について」によってカザフ語が義務化された。といっても、現実には最上位のカザフ人高官でも、ロシア語、英語は自由だがカザフ語は不自由という例もある。カザフ語化のための諸措置としては、あらゆる教育機関でカザフ語教育が義務になる。カザフ語、ロシア語の放送時間も均衡が図られた。ただし現地の人は、カザフ語のテレビはつまらないと言ってあまり見ていないようである。官庁・諸機関でのカザフ語特別部・翻訳部を作って対応している。また、カザフ語能力証明試験(KAZTEST)も導入された。この試験で一定の点をとらないと、220職種の公務員にはなれないのである。
 言語的な政策は、カザフ人の政治的優位のための政治的な措置だという批判が、独立後もカザフスタンに残っているロシア人には当然ある。ロシア人を追い出す政策ではないが、事実上重要なポストはカザフ人が占めるので、ロシア人には将来性がなくなってしまう。このような民族化のプロセスの中で、ロシア人は子供のことを考えて思い悩み、多くのロシア人(ウクライナ人)がロシア(ウクライナ)へ移住したのである。

3. カザフ人の呼び戻し政策と移住政策
 カザフスタン人口推移は、1992年 1705万、2000年 1487万、2012年 1669万となっている。一時ロシア人が、先に述べた理由で、独立後大量に逃げて人口は減った。しかし、最近は増えている。経済的に良くなっていることが背景にあるが、カザフ当局は政策的にもカザフ人の呼び戻し政策を遂行した。そこで、中国、モンゴル、トルコ、イラン、ロシア、ウズベキスタン、トルクメニスタン、キルギスその他の国々からカザフ人が戻ってきたのである。
 この政策には、人口減への対策と、ロシア人が多い北部へのカザフ人移住政策という政治的な意味合いがある。過去20年におけるカザフ人の絶対数増加分の24.9%(約100万人)は、帰還カザフ人である。
 カザフ人呼び戻しのために、移住手当支給、国籍の取得手続きの簡易化などを決定したが、実際には、帰還カザフ人の国籍取得手続きや住民登録は煩雑で難しい。その最大の理由は、役人の汚職である。つまり、相当の賄賂を出さないと、国籍取得や住民登録ができないのだ。その結果、帰還カザフ人で無登録で住んでいる者が多く、子供の通学にも深刻な支障が生じている。こうして不法移民が増えたので、2010年8月以後は、呼び戻し政策とは逆に、不法移民の取り締まりが強化された。したがって、ウズベキスタンやキルギスなどからの移住者は、3か月ごとに帰国するか(ビザなしで滞在できるのは3カ月まで)、旅券と入国カードの写しを住民登録の代用にするか(便宜的に子供を就学させられる)、あるいは、未登録のまま不法移民として居住するかの3者択一となる。経済的理由で、近年キルギスやウズベキスタンからのカザフスタンへの出稼ぎ、移住が急増している。
 ロシア人の多い地域へのカザフ人の国内移住計画がある。1997年に行政区画再編成で首都がアルマアタからアスタナに移った。研究者のスレイメノワ・エレノオラ氏によれば、これは、統一国家としての領土保全の強化と(ロシア人の多い北部地域における)分離主義感情の克服に大きく寄与したという。さらに、民族・人口的なアンバランスの是正、主として農業に従事していたカザフ南部の住民を北部の工業生産へ再配分させることにも寄与したという。

4. 「カザフ語化」に対するカザフ人の自己弁明
 カザフスタンにおけるカザフ語化政策にはいろいろな問題がある。とくに、ロシア人は強い不満を有している。しかし、カザフ人の専門家は、次のような言い方をして、カザフ語化政策を自己弁明している。
 カザフスタン共和国のどの法的文書にも、イデオロギーまたは言語政策の方針としてのカザフ語化については触れられていない。これはソ連時代のカザフスタンでロシア語化について触れられていなかったのと同じである。ロシア語化政策とまったく同様、カザフ語化も単一言語主義の理想およびイデオロギーによって支配され、その最終目的は多言語社会における言語の統一である。
 前のロシア語化とまったく同様、カザフ語化はカザフ人およびロシア人の民族エリートの利害の衝突を招いている。現在のカザフスタンにおけるカザフ語化も、住民の総動員の強力な手段および政治統合の道具となっている。ロシア的アイデンティティの象徴および手段であるロシア語がソ連的(集団的、国民的、国家的)アイデンティティの形成に使われたとまったく同様、カザフ人の民族アイデンティティの象徴および手段であるカザフ語もカザフ的(国民的、国家的)アイデンティティの欲求を満たすために使われている。今日のカザフ語化も、国家の行政区画の再編およびここ20年の急激な民族構成の変動に大きく支えられてきた。ソ連時代のロシア語化が、諸民族との妥協をはかるために民族文化擁護の政策を進めたのと同様に、カザフ語化もバランスをとるために多文化主義および多言語主義の文化を利用している。(スレイメノワ・エレノオラ氏)
 つまり、現在カザフ政府が実施している言語政策は、ソ連時代にロシア人がカザフ人に対してやったことと同じである、という自己弁明の論理なのである。ただ、この自己弁明を認めると、カザフ人自身が、ソ連時代のロシア語化政策を批判できなくなる。カザフ人は、ソ連時代の公式的には表明されなかったロシア語化政策を批判的に見ている。しかし自己のカザフ語化政策の自己弁明にロシア語化の論理を利用すれば、自己矛盾となる。

(敬称略 / 講師肩書は講演当時 / 文責:貿易研修センター)

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担当:総務・企画調査広報部