平成24年度 第4回-1 国際情勢研究会 報告1「中国政治外交の動向 – 第18回党大会を前にして」東京大学大学院 法学政治学研究科 教授 高原 明生 (たかはら あきお) 【2012/07/24】

日時:2012年7月24日

平成24年度 第4回-1 国際情勢研究会
報告1「中国政治外交の動向 - 第18回党大会を前にして」


東京大学大学院 法学政治学研究科 教授
高原 明生 (たかはら あきお)

1. 胡錦濤政権前期の権力闘争
高原 明生 中国では、10年続いた胡錦濤総書記の時代が終わろうとしている。第1期である最初の5年は権力闘争の激しさが目立った。10年前の16回党大会では、江沢民が総書記の座を降りたものの、中央軍事委員会主席の座に留まった。後に出版された江沢民の伝記を見ると、この党大会後、中央委員会で秘密決議があり、重要事項については江沢民の指示を仰ぐという決定がなされたという。伝記によれば、中央軍事委員会のトップであるため、軍事はもちろん、外交、台湾、香港のような国際絡みの問題で、その後も江沢民の影響は強かった。
 軍事委員会主席と総書記が別の人物によって担われるようになったことは、由々しきことだと思った人も多かった。というのは、正にこれをやめようという反省が、天安門事件後にあったためだ。当時は鄧小平が軍事委員会主席だったが、党のトップは趙紫陽だった。言ってみると、指導部内に2つの中核があり、分裂状況を生み出してしまった。この反省に基づき、鄧小平は江沢民に第三世代中央指導部の中核としての地位を与えた。しかし、江沢民は自分が辞める段になると、そのようにせず、2年間は軍事委員会主席のポストに残った。そして中央指導部の中核という呼称を胡錦濤には与えなかった。つまり、江沢民は鄧小平の教えに背き、その弊害は特に胡錦濤政権の第1期にかなり出ていたと思う。当時は中国人自身が、「今は2つの中央がある」と言い、指導部内の権力バランスが拮抗していた。
 このような中で、2004年には胡錦濤が、首尾よく軍事委員会主席になった。そして2006年9月には、上海の党委員会書記で江沢民と緊密な関係にあった陳良宇を解任し、17回党大会で、一気呵成に後継者に李克強を据えると多くの人が思った。しかしこれは実現せず、習近平という、どちらかというと江沢民に近い人物が次の総書記の座に着くことになった。
 また5年前には、10月に党大会が開かれたが、その4ヵ月前には、新規政治局員を誰にしたら良いかという予備選挙の「民主推薦」が行われた。江沢民の頃には、党大会の数ヵ月前に中央党校に幹部が集められて重要講話が行われ、数ヵ月後の党大会の基調となる話を皆が聞かされていた。しかし、2007年にはそれが午前中に行われ、午後には民主推薦が行われたと、後に発表された。投票権を持っていたのは中央委員、中央候補委員ら400人余りで、約200人いる63歳以下の正部長級幹部及び正大軍区職幹部、要するに部長級以上の中から選んで投票するというものだった。胡錦濤自身が、これを民主的で良いやり方だと賞賛していた。この投票では習近平の得票が大変多かったと一般には信じられている。この結果だけで人事が決まった訳ではないが、これを1つの参考資料とし、その後に密室談合が行われて決められたというのが当時の状況であった。

2.胡錦濤政権後期の論争の激化
 胡錦濤政権後期の5年間については、論争が激化したというのが一番の特徴ではないか。様々な深刻な問題について論争が起き、一気に表面化した。例えば、政治改革については、温家宝が「絶対にやらなければならない」と繰り返し言っているが、呉邦国は「やってはならない」、「やると内戦の深い淵に陥る可能性がある」などと言った。「普遍的価値」があるのかということでも、意見が一致していない。胡錦濤や温家宝は、「人権には普遍性がある」という言い方をしているが、思想、理論、宣伝、メディアを管轄する中央宣伝部での主流な考え方は、「普遍性はない」というものだ。このように、総書記の言うこととは異なる言説がかなり出るという、共産党にはあってはならないことが皆の目にさらされている。
 経済改革をやるのかどうかについても、大きな意見の対立がある。温家宝、あるいは発展改革委員会の担当部署は、これまで民間資本をあまり入れていなかったセクターに民間資本を導入すべきだと盛んに言い始めている。しかし、これらは一向に実現されていない。昨年は発展改革委員会が、通信業界に独占禁止法の適用を考えていると言い、通信業界から強い反対の声が上がった。これは現在、せめぎ合いになっており、どちらに軍配が上がるのかが、中国の将来を占う上で重要なポイントだと思う。
 そして社会管理をしっかりしなければ、不安定化する。胡錦濤らがこれを何とかしなくてはならないとしている一方で、慎重にやらなければならないとする見方もある。例えば、社会団体を利益集団化して、利益調整の1つのメカニズムに組み込もうという考え方があるが、政法委員会の秘書長という重要人物は、「市民社会などというのは西側の罠で、それにはまってはならない」としている。このように、ナショナリズムを掻き立てるような言い方で、強い反対を示している。世の中だけでなく、指導部内もガタガタしているのが現状で、そのような中で起きたのが薄煕来事件だった。

3. 指導部内の混乱と薄煕来事件
 現在の中国における政治的立場を分類すると、左と右、そして中間派がいる。左と右はそれほど有力ではないが、声は時に大きい。左はイデオロギー重視、改革開放批判的という勢力で、黒龍江省の党委員会書記の吉炳軒や、20年前の六四事件の頃に活躍した徐惟誠などが含まれる。そして右は、政治改革をもっと行うべきとする立場で、毛沢東の秘書も務めた李鋭や、宣伝部系統で活躍した杜導正などが含まれる。李鋭はその後、中央組織部の常務部長も務めており、通常は中央組織部や中央宣伝部にはイデオロギー的に保守的な人が多いが、こういう人もいるということだ。一方、中間派をどう分けるのかは難しいが、確かに共青団系の人脈は見てとれる。そして、太子党という概念も有効であることは間違いない。また共青団系でありながら、太子党の一員ということもある。通常、共青団系は分配重視、太子党系は成長重視と説明されるが、必ずしもそうとは限らない。
 最近の報道によれば、民主推薦が公開されないまま5月に行われたといい、前回と同様のやり方をしたようだ。また、人民日報によれば昨日、胡錦濤が重要講話を行ったという。例年と比べると遅い時期で、想像するに、人事や政策の調整で難しいところがあったのだろう。その内容の詳細はわからないが、「科学的発展観」を売り込もうとしているほか、経済改革については「全面深化」させるなどとした。一方、人民が法によって広範な権利と自由を享受できるよう保証するという内容があり、「自由」という言葉が使われた。このため、政治改革が積極化するのではないかという評論もあるが、これだけを根拠にそこまで言うのは、言い過ぎだと思う。この「自由」という言葉を除けば、ほぼすべての内容が5年前の報告にも入っていたもので、私の印象は、あまり期待は持てないというところだ。
 指導部内がガタガタする中で、薄熙来事件が起きた。これについては、何が真相なのかわかりにくい。王立軍という元重慶市公安局長が成都のアメリカ総領事館に駆け込み、黄奇帆市長が追いかけて説得しようとした、というのは事実のようだ。しかし功を奏せず、中央の国家安全部副部長が成都まで来て、王立軍を北京へ連れていったという。薄熙来自身は自由の身で何も影響なかったが、後に解任された。
 背景について簡単に言うと、汚職、腐敗が蔓延し、やくざの勢力が強くなって法治が欠如しているほか、権力闘争もある。民主推薦が今回もあることは、薄熙来も当然、考えており、人気を得るため、得意の外資導入、経済発展だけでなく、社会的弱者にも配慮し、左派にも取り入ろうとする作戦をとった。左派との連携があまりにも目立ったのは、やり過ぎた部分で、また弱者救済は良いのだが、そのために借金をたくさん作ってしまった。
 さらに、中央と地方の対立があり、中央にとっての薄熙来の1つの問題は軍との連携にあったようだ。2011年11月、成都軍区の一部である重慶にて、軍との間で予備役を動員する訓練を行った際、胡錦濤は国内におらず、梁光烈・国防部長が出席した。もう1つ、王立軍事件が起きた直後に薄熙来は雲南省へ行き、昆明の集団軍を訪問した。こうした動きは中央にとって、気になることだった。さらなる問題は指導者と外国人の関係で、ヘイウッド殺害事件は薄熙来にとって命取りになった。ヘイウッドとは、息子の留学の世話をしてもらったことから関係が深まった。同様に子供を留学させている指導者は多いため、他にも類似の例があるかもしれないと皆が思った。一方、習近平にとっては、薄熙来のような兄貴分、かつカリスマ性のある指導者がいなくなったのは、却って都合の良いことであったと思う。

4. 第18回党大会の注目点と外交
 党大会の注目点は、「核心」があるのかないのか、要するに習近平がどのように呼ばれるのかということだ。一方、中央軍事委員会主席の座を胡錦濤が降りるのかどうか、そして党と軍の関係については微妙だ。さらに軍人がどう処遇されるか、派閥の勢力分布がどうなるのか、習近平に続く指導者の顔が見えてくるのかといった点も注目される。政策面では様々な論争がどのように裁定されるのか、科学的発展観はどう位置づけられるのか、それに代わる次の概念が見えてくるのかという点が重要だろう。
 外交では、今年に入って私が注目した出来事の1つは、アメリカとの関係で、G2ならぬC2と戴秉国が言い出したことだ。G2になる自信はまだないが、C2くらいならなっても良いということで、自己認識が少し変化し、自信も出てきた。アメリカとの間で喧嘩はしたくないが、南シナ海における利益は譲らないということで、ASEAN(東南アジア諸国連合)分断政策に見事に成功した。今回のASEAN外相会議は、45年で初めてコミュニケがなかった。アメリカや日本との関係でも、なるべくぶつかりたくないというのが本音だろうが、その一方で、具体的な利益については譲らないという姿勢が、今後も続くのではないか。

(文責:貿易研修センター・講師肩書きは講演当時)

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