平成24年度 第4回-2 国際情勢研究会 報告2「中国経済をめぐる2つの『罠』」専修大学 経済学部 教授 大橋 英夫 【2012/07/24】

日時:2012年7月24日

平成24年度 第4回-2 国際情勢研究会
報告2「中国経済をめぐる2つの『罠』」


専修大学 経済学部 教授
大橋 英夫 (おおはし ひでお)

1. 中国経済の中長期展望
 中国経済については、今年の第2四半期の成長率が7.6%に落ちたということで騒がれている。元々、今年は引き締めると言っていたので、あまり慌てる必要はない。しかし、急速な減速には懸念もある。中国経済の中長期的な展望については大体、姿が見えてきていると言えよう。7.6%という成長率については、一義的には景気循環的な要素が大きいと思うが、中長期的にはこの程度の成長が続く見通しになると思う(別表)
 第12次5ヵ年計画は基本的に、投資・輸出主導型の成長から、消費・内需主導型の成長への転換を目指している。非常に効率の悪い成長である「粗放型成長」から、効率志向の「集約型成長」に転換しようとしており、またエネルギーや環境、生態系などの指標を掲げて、効率的経済の実現を目指している。サービス業、研究開発(R&D)、都市化、年金や医療保険など社会保障も、現在の中国の関心事項になっている。一方、2020年ごろには、米中の経済規模の逆転も予測されている。

2. 「中所得の罠」
 今日のテーマである「2つの『罠』」とは、1つは、よくいわれる「中所得の罠」(middle-income trap)であり、もう1つは「体制移行の罠」としているが、要するに体制転換に伴う罠ということである。「中所得の罠」は、途上国は低所得国から中所得国になるまでは比較的、順調に成長するが、さらに高所得に向かう段階で、ラテンアメリカや中東の国々のように経済が停滞してしまうという話である。低所得から中所得までは、「後発性の利益」を享受することができ、明確な先行モデルがある。また、この間は生産性の低い農業部門から、生産性の高い非農業部門へ労働力が移動するだけでも生産性が大幅に上昇する。さらに、人口構成が比較的若く、「人口ボーナス」も享受できることから成長が続きやすい。しかし、中所得国になると、もはや先行モデルがなくなり、自分たちでイノベーションをするしかない。伝統部門の労働力は枯渇し始め、賃金も急上昇し始める。また多くの労働力がサービス部門に移転するために、かつてのような爆発的な生産性の伸びは見込めなくなる。そこで、世界銀行の研究において、「中所得の罠」という言葉が出てきた(Indermit Gill and Homi Kharas, An East Asian Renaissance: Ideas for Economic Growth, World Bank, 2007)。基本的な考え方は、かつてクルーグマン(Paul Krugman)の議論があったように、東アジアは「発想」(inspiration)ではなく「発汗」(perspiration)によって、つまり経済効率よりも要素投入に依存して経済成長しているというものである。このような経済成長のパターンでは、どうしても投入の効果が逓減していく。要するに、資本の限界生産性の低下傾向がはっきりすることで、経済成長が低減してしまうことになる。

 中国の投資率の推移を見ると、2000年代半ば以降、国内総生産(GDP)の47~48%程度が投資に当てられている。それだけの投資がなされているのに、中国の経済成長率は10%程度にとどまっているという見方もできる。つまり、投資効率が非常に落ちてきているわけであり、まさに「中所得の罠」に陥りかねないということになる。
 「中所得の罠」をテーマとした研究によれば、購買力平価(PPP)ベースで見た1人当たりGDPが、1万6740ドル程度に達すると、「中所得の罠」に陥りやすいとされる(Barry Eichengreen, Donghyun Park and Kwanho Shin, "When Fast Growing Economies Slow Down: International Evidence and Implications for China," NBER Working Paper Series, No. 16919, 2011)。この辺りを転機として、成長率が大きく低下する傾向があるという。具体例としては、1970年代の日本とヨーロッパ、そして1980年代のシンガポール、1990年代の韓国や台湾が挙げられる。ただし、香港やシンガポールのような開放的な体制の場合、減速は少し緩やかになる。そして「人口ボーナス」、つまり現役世代がまだまだ多い場合にも、減速のペースはやや緩やかになる。さらに為替レートが過小評価されていると、輸出が自然に伸びるために、イノベーションに向けての努力がなされなくなり、経済は減速しかねないという。中国のPPPベースで見た1人当たりGDPは、2010年代後半には1万6740ドルになる見込みである。それに加え、少子高齢化が進んでいるほか、消費もあまり伸びておらず、人民元が過小評価されているといった条件を考慮すると、「中所得の罠」に陥る可能性がかなり高いとみられる。
 「中所得の罠」を克服するには、貿易やイノベーション、金融部門における改善が必要とされる。逆に、「中所得の罠」を深刻化させる要因としては、都市化や格差の問題、腐敗などが挙げられる。中国の場合、貿易に関して非常に先進的なレベルに達しており、イノベーションは現在進行形で一生懸命やっている。しかし残念ながら、金融部門は道半ばであるといわざるをえない。都市化と格差の是正についても、さまざまな努力がなされているものの、あまり成果は上がっていない。そして、腐敗の問題は非常に重大である。おそらくは腐敗が、「中所得の罠」における一番深刻な「罠」なのかもしれない。

3. 「体制移行の罠」
 中国の市場経済化というときには、2つの方向性がある。1つは、伝統経済から市場経済への、近代部門の形成を伴う市場経済への移行過程であり、もう1つは、計画経済から市場経済への移行である。「中所得の罠」が、伝統経済から市場経済への移行過程を表すものであるならば、計画経済から市場経済への移行の段階でも、「中所得の罠」のような移行期に特有の様々な問題が出てくると思う。
 そのように考えていたら、今年に入り、「体制移行の罠」という議論がメディアにも出てきている(清華大学凱風発展研討院社会進歩研討所・社会学系社会発展研討課題組「中等収入圏套還是転型圏套」『中国青年報』2012年1月9日)。突き詰めてみれば、この議論は、経済改革の過程で既得権益が形成され、さらなる改革を阻止しようとする抵抗勢力が生まれてきていることへの懸念を表明するものである。清華大学の研究グループによる論文では、中国経済には5つの病状が見られるとしている。1つ目は、経済発展の奇形化である。要するに、政府投資、あるいは寡占的な国有企業、大型プロジェクト、資源投入にばかり依存する経済になっているという問題である。2つ目は、体制移行そのものに関して、実は現在の移行期の体制が既に定着してしまっている恐れがあるというものである。したがって、体制移行の改革がきわめて緩慢、あるいは非常に遅れてしまっている。3つ目は、社会構造が固定化し、分断社会が形成されているというものである。日本も同様であるが、様々な分野において「二世」世代が形成され、一種の世襲化が進んでいる。4つ目は、社会の安定維持ばかりを強調する「不安定幻想」が出てきており、これに基づくために先取的な改革がデッドロックに陥っているというものである。そして5つ目は、社会の崩壊が日増しに顕著になっているというものである。
 これらの病状に対処するため、この研究グループでは、世界の「主流文化」を組み込み、自由や理性、個人権益、市場経済、民主政治、法治社会といったものを取り入れて、政治体制改革をより積極的に行う必要があるとしている。さらに大衆参加を中心にして、トップダウン型の改革は停止すべきであるとしている。そして最後に、「公平正義」が貫徹される社会を目指すべきであるという提言がなされている。これを社会学研究所の客観的な分析と見るか、あるいは現在のコンテクストの中で出てきた言論・主張と見るか、その辺の解釈は難しいところであるが、このような議論も出てきているというのが現実である。

4. 経済改革の課題
 中国経済を中長期的に見る場合には、もう1つ、今年2月に発表された世界銀行の『中国2030:現代的で調和がとれた創造的な高所得経済の構築』という報告書がある(World Bank, China 2030: Building a Modern, Harmonious, and Creative High-Income Society, World Bank, 2012)。これは、中国の国務院発展研究センターとの連名による報告書であり、(1)市場経済の基盤を強化する構造改革の実施、(2)イノベーションの加速化と開かれたイノベーション・システムの創造、(3)「グリーン成長」機会の掌握、(4)すべての人が享受する社会保障機会の拡大と促進、(5)国内財政制度の強化、(6)世界との相互利益的関係の追求―という点について、様々な政策提言を行っている。実は世界銀行は1997年にも、『中国2020』という報告書を出しており、そこでは、(1)環境、(2)食糧、(3)健康・医療、(4)所得格差、(5)高齢化、(6)グローバル化―という分野に関して広範な提言を行っている(World Bank, China 2020: Development Challenges in the New Century, World Bank, 1997)。今回の報告書については、まず中国の政府機関と連名で出された共同研究であること、また新たにイノベーション政策に関する提言が加わったのが特徴である。
 今後も中国が経済成長を続けていくためには、さらに市場経済の枠組みをしっかりさせなければならない。経済改革については、制度能力を高める必要がある。東アジアに関して言えば、外資をうまく受け入れる能力を持った国であれば、中所得国までは比較的到達しやすい。しかし、その先はやはり独自のイノベーションの能力が試される。外資から得た技術やノウハウを自分のものにし、地場産業も単なる組み立てではなく、中間投入財ぐらいは作れるようになる必要があるだろう。このようなレベルになってようやく、胡錦濤が言っている「科学的発展観」に基づく社会、あるいは「和諧社会」の目処が見えてくるのではなかろうか。ただし、これは政治の問題でもあり、もちろん反対・抵抗する人たちもいる。また、現在は格差や腐敗が深刻になってきており、行き過ぎた改革に対して、少し慎重になるべきという観点から、改革そのものを総じて否定するような見方まで存在する。さらに、かつては経済改革を一生懸命行っていた人たちが、すでに強固な既得権益層になってしまっているという問題もある。
 現在の状況について、私自身はおそらく、改革に向けての「追い風」が吹いているのは間違いないと思う。温家宝は非常に改革に熱心な姿勢をみせており、それは全人代の報告や記者会見を見てもわかる。そもそも、「体制移行の罠」などという論文が、曲がりなりにも発表されるようになったことが、改革に向けての変化を感じる1つの証左でもある。もっとも、経済政策を見ると、少し判断しにくいところもある。最近は、国有企業が前進して民間企業が後退する「国進民退」などといわれるが、政策をよく見ると、民間資本に開放している分野は着実に増加している。具体的にどのように民間資本の参入を進めていくかという問題はあるが、民間の活力を導入すべきであるという意識は明確に見られる。そして金利と為替の改革が、いよいよ動き出す状況にある。実体経済の分野でも、改革は若干ではあるが進んではいる。これがプチ・ブームに終わるのか、来年以降も続くのかについては、政権移行を伴う今秋から来春が勝負になるということではなかろうか。

(敬称略 / 講師肩書は講演当時 / 文責:貿易研修センター)

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担当:総務・企画調査広報部