平成25年度 第1回 アジア研究会 報告 「2000年代以降のタイ経済の構造変容について-産業構造、国際収支、再分配の観点から」京都大学 東南アジア研究所 准教授 三重野 文晴 (みえの ふみはる)【2013/06/14】

日時:2013年6月14日

テーマ「変貌するアジア(主要国の新しい動き)
~2015年アセアン統合及び主要国指導者交代を見据えて~」

平成25年度 第1回 アジア研究会 報告
「2000年代以降のタイ経済の構造変容について
—産業構造、国際収支、再分配の観点から」


京都大学 東南アジア研究所
准教授
三重野 文晴 (みえの ふみはる)

1. タクシン政権の成長戦略
三重野 文晴 よく知られているように、2008年に起きたリーマン・ショックの影響は、東南アジアではあまり大きくなかった。東南アジアの国々は短期的にマイナス成長になったものの、1997年のアジア通貨危機のような金融の混乱は起きなかった。タイでは速やかに経済が回復し、洪水の影響で2011年の成長率は1%を切ったが、今年の第1四半期には5.4%となっている。
 タイではアジア通貨危機後、2001年ごろまで、世界銀行型のオーソドックスなコーポレート・ガバナンス改革が行われていたが、2001年に発足したタクシン政権は「デュアルトラック」というスローガンで、より長期的な成長戦略を打ち出した。特に農村部への低利融資や「30バーツ医療」のような社会保障に近似した政策に大きな資金が投入され、「再分配システム」といえるものが構築された。タクシン政権はその後、クーデターによって倒れたが、これらの政策はすでに動かしがたくなっており、政権が代わっても維持されている。そして2011年以降のインラック政権では、これらの政策をさらに強化している。
 タイの経済、成長構造に関しては、この20年で非常に都市的な消費経済が普及したといわれる。しかし、国内総生産(GDP)の構成比を見る限り、個人消費は金融危機以前とほとんど変わっていない。また、よく知られているのは金融危機前と比べ、投資率が明らかに低下したということだ。さらに、それを補って大きく増えたのは純輸出で、タイ経済は元々、外需に依存していたが、2000年代には、より大幅に外需に依存して成長する経済構造となった。
 タイは2000年代、機械産業、特に輸出機械の集積地として存在感を増し、輸出によって伸びる経済に転換してきた。さらに国内の中間財生産も比較的伸び、結果として中間財の輸入への依存が低下した。また、中小企業を含む日系のサポーティング・インダストリーが一気にタイへ進出し、自動車産業の裾野も広がった。エネルギー輸入は急激に伸びたものの、完成品や機械の輸出が伸びたことで、全体としては黒字貿易に転換した。
 資産や資本のフローについて見てみると、1997年のアジア金融危機以降、大きく変化している。明らかな変化は、それまで流入していた銀行信用が逃げていったということだ。その一方で、これは他の東南アジア諸国連合(ASEAN)と比べてタイに特殊なことだが、直接投資は逃げず、むしろ増える傾向にあった。また、銀行信用の流出は2004年ごろには止まり、その後、直接投資は大きく伸びてポートフォリオ投資の流入も始まっている。さらに2004年ごろからは資本収支がプラスになり、国内の貯蓄や外貨準備が増えた。そして、この時期からタイは、投資国、資本輸出国になってきた。

2. 農村への再分配システムの構築
 2001年に発足したタクシン政権は、「デュアルトラック」を謳い、長期的な成長戦略を採った。デュアルトラックとは1つのスローガンで、従来型の輸出部門の成長と国内部門の強化によって成長をもたらそうというものだった。しかし、政策が狙ったことと、実態として起きたことには乖離があり、現実に回転したメカニズムは従来型の輸出が大きく伸びてその結果生み出された余剰が、国内産業、国内部門向けに配分されるという比較的単純なものであった。
 このようにして生まれたタイの再分配システムのポイントはいくつかあるが、その1つは特に国営企業に象徴されるような、元々あったレントを再分配システムのために付け替えたということだろう。一方では国営企業を民営化して証券市場を活性化し、証券市場中心の金融システムを作り上げるという関心が強く、他方で商業銀行への抑圧というスタンスがあった。
 タクシン政権の時期にはまた、大規模なばら撒きがなされたが、財政は悪化しなかった。つまり輸出に依存する成長で税収が伸び、少なくとも中央の財政は税収の範囲でやっていけた。そして、農村へのばら撒きに象徴されるような再分配システムが構築されたが、その際、農業農協銀行や政府貯蓄銀行のような政策銀行を多く使った。政策銀行は元々、商業銀行よりやや高い利潤率を維持し、そこから国営企業に低利融資という形で補助金が流れるメカニズムがあったが、国営企業改革により、そのレントの流れが遮断され、それらが再分配システムに付け替えられた。政策銀行の資産運用先として国営銀行への貸出が大きく低下していることがこの証左である。
 例えば、2004年ごろから農村への所得保障や信用供与が行われ、農業・農村銀行(BAAC)では不良債権が顕在化した。しかし、それに伴い、それらの政策銀行の収益率は上がっていった。そもそも政策金融には参入規制があり、支店網もしっかりしていることから、低利で貯蓄を集めることができる。このため、かなりの超過利潤がある。従来は国営企業への貸し出しにつながっていた超過利潤部分が、農村への再分配に利用された。政策金融の金利スプレッドは基本的に調達金利で決まる部分があり、非常に低利、低コストの資金調達が可能であったため、利潤が上がったという構造になっている。
 タクシン政権によって進められた国営企業の民営化や証券市場を使った上場では、資本市場を重視するようなスタンスが常にあった。2003年ごろには一気に証券市場が活況を呈し、時価総額も株価も上昇した。その一方で、2000年代半ばごろには、世論において、証券市場に対する嫌悪感、批判が出てくる。その1つは、これを使って「タクシン・クローニー」といわれる人たちが、自分たちの利権を形成したという批判だ。そして、2005年ごろに試みられた電源公社の上場は、強い反対デモなどに遭って挫折する。また民間でも、タイ・ビバレッジ上場への批判にみられるように、上場益獲得への一般的な批判が、僧侶も巻き込んだ反アルコール運動のような形に転化するなど、証券市場へのイメージが非常にゆがめられてきた。
 一方で、企業金融の実態としては、証券市場に参加している企業は非常に少なく、基本的に自己金融志向というのが東南アジア、特にタイの企業の特徴かと思う。商業銀行は2000年代の成長の中、製造業への関与を明らかに低めていった。このように、最も成長を牽引しているセクターへの銀行業の関与が低下し、金融と実物経済の乖離が顕著になっている。

3. 今後の成長構造の変容
 タクシン政権下で実施された再分配システムは、どこかで破綻するのではないかといわれたが、その後の政権によっても維持されてきた。それをうまく確立できたのは、1つには「デュアルトラック」という表現と裏腹に、政策の本質が、輸出成長での余剰に依存して高い成長率を維持し、従来型のレントの構造を付け替えたものであったからである。このようなやり方は、インラック政権でさらに強化される傾向がある。現在のところ、まだ輸出、外資依存の成長システムは続いており、国内消費の拡大や内需中心へのシフトはあまり起きていない。今後の成長や再分配システム維持への鍵となるのは輸出競争力であり、為替上昇や欧州危機以降の世界経済の変化に対応できるかどうかが引き続きポイントであろう。これまでのところ、成長率は一般に批判されているほど落ちておらず、今後についてはまだよくわからないという印象だ。
 今後の成長構造の変容については、短期的にはインフラ投資が拡大し、投資率は回復するかもしれないが、従来型の成長モデルはあまり変わらないだろう。中期的には、消費やサービス部門の市場経済に移行するかどうかが論点となる。そして、外資依存型の組み立てを中心とした製造業から脱却できるのかどうかが課題だ。インラック政権では、アグロ、バイオ関連の応用技術、環境関連技術を伸ばしていく必要があるとしており、東南アジアは一般にこのような産業で比較優位があるはずだと考えられている。それがもし実現すれば、長期の話として東北アジア型の経済モデルとは別のものができあがるとの可能性を指摘する人もいる。ただ、従来型の成長の余地もまだあるはずで、機械産業等の技術習得も、今後さらに進む可能性がある。また、新しい成長構造の形成に関しては、金融セクターがどのようにかかわるのかという点が重要だ。
 一方、タイだけでなく、東南アジア全体の金融資本に、非常に新しい動きが見られる。タイはむしろ受け手だが、シンガポールやマレーシアなどの銀行が中心となり、ASEAN地域全体で金融機関の統合が進みつつあるようだ。これらが地域の実物経済の成長に対するファイナンスの役割を果たすようになっていくのか、そうではなく、実物経済とは全く乖離した現象となっていくのか、今後見ていく必要がある。タイの成長構造についてはまた、インドネシアやマレーシア、フィリピンなどと、かなり共通しているという印象だ。その意味では、タイの問題は広く東南アジアの問題として考える必要があるかもしれない。

(敬称略 / 講師肩書は講演当時 / 文責:貿易研修センター)

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担当:総務・企画調査広報部