平成25年度 国際情勢講演会 「激動の世界と日本の安全保障」 公立大学法人熊本県立大学理事長 法学博士 五百旗頭 真【2013/04/22】

講演日時:2013年4月22日、於:東海大学校友会館

平成25年度 国際情勢講演会
「激動の世界と日本の安全保障」


公立大学法人熊本県立大学理事長 法学博士
五百旗頭 真

白村江の戦いと日本の「再生バネ」
 東日本大震災のような国難は、日本にとって初めてのことではない。歴史を振り返れば、わが国は幾多の国難を乗り越えてきた。黒船に国禁を破られて以降の話は記憶に新しいが、663年には白村江(はくすきのえ)の戦いにおける敗北もあった。大和王朝ができて全国を統一してから、いくばくもない中で、2万7000もの大軍を軍艦に乗せて朝鮮半島へ繰り出した。しかし、現地の地理や気象もわきまえず、作戦なしで撃ちかかるという、おろかな指揮統率であった。このため2日にして全滅という、歴史的、壊滅的な敗北を喫した。大和はその後、この経験を活かし、唐・新羅の連合軍が攻め込んでくることを想定して、それに対処するため初の全国的な防衛システムを作り上げた。
 日本史のこのような「再生バネ」は、その後の時代にも変わることなく存在した。より重要な事は、唐文明の強大さを改めて認識し、敗戦の翌年から猛然と唐に学び、50年後に律令国家の都・平城京をつくり上げたことであった。世界文明水準を日本史がこなした瞬間であった。1945年、第二次世界大戦がわが国全体が廃墟になってしまうという大敗北によって終わった。しかし、日本はそのわずか20年後の1960年代には高度成長を遂げ、40年後の1980年代には世界一のものづくり国家となり、欧米も工業製品の競争力で太刀打ちできなくなった。このように、強い日本の歴史には、どん底から再生するバネがあるということを、我々は覚えておく必要がある。

東日本大震災で活かされた過去の経験
 安倍内閣の発足によって現在の日本には、「失われた20年」を乗り越え、再び「やるぞ」という気迫が出てきた。やる気というのは非常に重要だ。何が国の隆盛や沈没をもたらすかについては一般化しにくい面があるが、少なくとも3つの要因があると思う。1つ目はパーツで、野球チームで言えば、それぞれの選手がしっかりした水準でなければならない。しかし、それらが揃えば優勝できるというものではなく、2つ目にチームの気風も大事だ。さらに3つ目として、戦略を持ったリーダーの存在が必要だ。
 東日本大震災では現場力、つまりパーツがすごかった。被災地の日本人の振舞いの素晴らしさを知って、世界の人たちが日本人を尊敬した。地震発生当時、上下10本の新幹線が激震地の3県を270キロ近くで疾走していたが、すべてが緊急地震速報により揺れが来る前にブレーキがかかり完全に止まった。空港、高速道路、そしてサプライチェーンの復興も大変早かった。国内ではメディアによって「遅い」、「何もしていない」などといわれたが、国際的な視座で観察している人たちから見れば「素晴らしい」ものであった。
 2万人近い人たちが津波によって亡くなったことは、痛恨の極みであったが、スマトラ地震に伴う津波では20万人が亡くなっている。いずれもマグニチュード9.01というすさまじい地震であったが、日本の犠牲者数は一桁少なかった。大災害とは個々のケースが例外のようなもので、簡単に比較はできないが、東日本大震災の津波による犠牲者数を減少させた要因があるとすれば、それはソフト、特に学校教育の結果であったと思う。
 あの地方には、「津波てんでんこ」といわれる教えがあった。これは、「大きな揺れが来たら身一つで逃げなさい」というもので、これによって「釜石の奇跡」が起きた。子供たちは学校にいても身一つで逃げているということを、親や家族が理解していることが重要で、親は子供を学校へ引き取りに行くことなどはしない。大川小学校のような集団悲劇も起きたが、全体では小中高生の犠牲者は200数十名であった。これに対し明治三陸津波では、今回ほど大きな津波ではなかったものの、小学生だけで5600人が亡くなっている。昨年暮れに世界銀行がまとめた東日本大震災に関する報告書でも、日本列島の住人が過去2000年にわたる災害との戦いを通じ、様々な社会的ノウハウを蓄積し、教育していたことを評価している。

日本の経済、エネルギー安全保障
 「アベノミクス」では、黒田東彦というカリスマを日銀総裁に迎え、脱デフレに向けた政策が進められている。転換を生み出すための思い切った財政出動は、やはり行うべきだろう。ただ、それが成長路線の維持や競争力強化、持続する産業力に結びついていくことが重要だ。近年は政権交代の度に財政出動の成果が実らず、天文学的な国家財政赤字を積み上げてきた。ギリシャなどとは異なり、世界第3の経済大国である日本が転べば世界は引き摺られてしまうので、日本は自らを支えていくしかない。そのため成長戦略を着地させるよう真剣になるべきで、様々な産業を興していく必要がある。
 1973年の石油危機はご記憶の方が多いと思うが、1941年には日本の南進に対し、アメリカが対日石油全面禁輸を行った。これによって日本ではパニックが起き、その結果、工業能力で日本の70倍はあるアメリカに対し、一戦を挑むことになった。石油をすべて消費してしまえば必ず死ぬ。それに比べれば、相手が強大とわかっていても、戦は水物で、万に一ということがあるではないか。それならば戦にかけるということで、真珠湾攻撃をやった。それほど、石油危機とは怖いものなのだ。
 日本は広島、長崎の経験によって、「核兵器は怖い」と身に染みた。ようやくそれが、やや相対化され、原子力の平和利用、そして原子力発電所は良いと社会が了承しかけたときに福島第一原子力発電所の事故が起きた。このため現在は、「やはり核にかかわるものは怖い」、「絶対にいかん」となってきている。しかしながら、この資源を捨てて、ホルムズ海峡が閉鎖された場合にはどうなるか。もう一度、石油危機のパニックを招く惧れがある。日本の原子力発電所の技術は福島での経験もあり、世界で最も安全性の高いものにしていかなければならない。そして安全度を高めつつ、代替物ができるまではこれを活用すべきであろう。

尖閣問題と日本の防衛
 東アジアでは1980年代を中心に、日本―新興工業経済地域(NIES)―東南アジア諸国連合(ASEAN)―中国という経済発展の連鎖が起きた。日本がモデルとなり、民主主義国だけでなく、インドネシアやマレーシアのような権威主義体制にあった国でも経済発展を政治目標とした。これらの国々は、自らの権力の正統性が国民生活を良くすることによって高められるという認識を共有していた。そのような中で、例外的な国家が2つあった。1つは北朝鮮で、もう1つは中国だ。北朝鮮は独裁体制維持を最優先し、クーデターが起こらないよう、あらゆる政治的な対処の業を凝らし、経済発展に比重を置いてこなかった。以後、誰も離反しないよう粛清を日常化し、三代目の金正恩(キム・ジョンウン)政権になってもやはり、核とミサイルを振りかざしている。しかし、彼らは体制の安全を維持するためにチキンゲームを懸命にやっているのであり、核をぶっ放すような自殺行為はしないと私は考えている。このため最終的には、瓦解のプロセスに入らざるをえないだろう。
 それよりも大変なのは、中国だ。国益のために強大化した軍事力が有益であるならば、それを使うことを辞さない。尖閣諸島についても資源があるとわかった1970年ごろから領有の主張を始め、1992年には領海法を定めた。これによって、南シナ海の島々と共に、尖閣諸島を「中国の神聖な領土」とし、機会があれば取ろうとしている。中国は2010年に経済力と軍事力で日本を抜き、アジアNo.1となったことで、その時が来たと考える人が力を得た。
 日本としては、日米同盟の維持が重要だが、自助能力を高めることも必要だ。尖閣諸島の防衛は現在、沖縄本島の那覇から行っている。しかし、那覇から尖閣までは約400キロ以上あり、遠過ぎる。一方、下地島には3000メートルの滑走路があり、これは民間訓練用に造られたものだが、現在は使われなくなっている。ここに空軍基地を造れば、尖閣諸島までも10分で到達し、何かの時にも厚い対処ができる。また、海上保安庁は現在、石垣港を拠点にしているが、陸自、空自、海自は遠過ぎる。したがって、これらも石垣島を拠点にすれば、「日本の先取防衛は手ごわい」という実を築けるだろう。日本はまた、SSMという巡航ミサイルを持っており、無人で敵艦を爆発させることもできる。これらをしっかり島々に配備していけば、中国は尖閣諸島に対する行動を慎む公算が高まる。
 国際的な連携、日米同盟、そして自助努力によって大急ぎで対処すれば、尖閣を失わずに済む。もしも尖閣を中国に奪われたら、日本人の喪失感は大変なものになり、同時に世界からは日本は独立国でないと見なされるだろう。日本はそういう意味で、今が頑張りどころだ。大災害に対しても、経済・財政、そして国防でも、そのような状況にある。

(敬称略 / 講師肩書は講演当時 / 文責:貿易研修センター)


IISTサポーターズ(無料)にご登録いただきますと、講演会、シンポジウム開催のご案内、2010年度以前の各会及びシンポジウムページ下部に掲載されている詳細PDFとエッセイアジアをご覧いただける、パスワードをお送りいたします。

担当:総務・企画調査広報部