平成25年度 第4回 国際情勢研究会 報告「中国の国家資本主義とエネルギー部門ミャンマー改革:背景、進捗、展望」日本貿易振興機構 アジア経済研究所 研究企画部 主任調査研究員 工藤 年博 (くどう としひろ) 【2013/07/08】

日時:2013年7月8日

平成25年度 第4回 国際情勢研究会
報告「ミャンマー改革:背景、進捗、展望」


日本貿易振興機構 アジア経済研究所
研究企画部 主任調査研究員
工藤 年博 (くどう としひろ)

1. 改革の始まりと国際関係の改善
 現在のミャンマー・ブームは、2回目のブームだ。1回目は1990年代半ばで、アウンサン・スーチー氏が6年ぶりに自宅軟禁から解放されて起きた。しかし、これはすぐに終わってしまう。1つの要因は1997年のアジア通貨危機だったが、大きかったのは米国の制裁だろう。ミャンマーは同年、東南アジア諸国連合(ASEAN)に加盟したが、国際社会との関係改善は果たせず、内向きになっていった。
 しかし今回のブームは、当時とは異なる。決定的に異なるのは、国際社会、特に米国との関係改善だ。2011年12月には、当時のクリントン米国務長官が57年ぶりにミャンマーを訪問し、昨年11月にはオバマ大統領が、現役大統領としては初めて訪問した。今年12月には、東南アジアのオリンピックといわれる「東南アジア競技大会(SEA Games)」が開催され、来年はASEAN議長国になって各国首脳がネピドーに集まる。
 このような国際関係の改善には、スーチー氏の協力姿勢が大きく影響した。新政権が2011年3月に発足し、8月にはスーチー氏とテインセイン大統領が初会談した。昨年4月には補欠選挙で、スーチー氏率いる国民民主連盟(NLD)が圧勝し、彼女自身も現在、国会議員になっている。その後、積極的な外遊で、今年4月に来日した。このような中、欧米諸国の制裁が緩和、解除されたことが非常に大きかった。
 テインセイン大統領は現在、3段階に分けて改革を進めている。第1段階は政治国際関係で、これにはスーチー氏との対話や、NLDの補欠選挙への参加、政治犯の釈放がある。またメディアの自由化も、急速に進めている。そして独立以来60年間戦ってきたカレン民族同盟(KNU)は、軍政時代にも妥協しなかった少数民族勢力であったが、昨年1月に歴史的な停戦合意を結んだ。さらに西側諸国との関係が改善された。第2段階は経済成長で、まず5ヵ年で一人当たりGDPを1.7倍にするという。これは実際には実現は難しいが、高い成長を目指すということだ。さらに農業の発展や地域的にバランスの取れた、全国民が享受できる発展を目指している。そして第3段階は行政改革で、汚職撲滅、国民の声を聞く行政となっている。

2. 改革の背景にあった「自信と焦り」
 なぜミャンマーの改革が始まったのかについては、様々な意見があるが、国軍の「自信と焦り」という理解をしている。自信については、国軍をバックボーンとする国家体制の確立である。1988年のデモと、1990年の選挙における敗北で揺らいだ国家体制を、もう一度作り直すというのが国軍の軍政の20年だったと思う。具体的には、2008年憲法で、国軍が国政に関与していくための様々な法的位置づけができた。そして、軍事力の強化があった。例えば、カレン民族同盟との停戦合意でも、実際にはKNUがかなり軍事的に追い込まれていたことが背景にある。反政府勢力であるスーチー氏やNLD、学生、僧侶らを押さえ込むことにも成功した。さらに、連邦団結発展党を、国軍の政党として立ち上げたほか、中国やインド、タイをはじめとする近隣諸国との関係強化や、資源開発の成功があった。
 その一方で、「焦り」もあった。軍政は常に統治の正統性が問われ、秩序を回復するのが国家秩序回復評議会(SLORC)の存在意義であったが、それでは成り立たなくなり、1997年には国家平和発展評議会(SPDC)に変身した。その後も2007年に大規模なデモが起きるなど、常に反発を受けた。国際社会では、制裁や国連の非難決議を受け続けるなど、不名誉な地位が続いた。またタンシュエ議長が20年も権力の座に留まり、国軍の人事は停滞した。
 一方、スーチー氏はノーベル平和賞受賞者で、名声を梃子にして国際社会の圧力を引き出すことに成功したが、中国やインドのような近隣の国があり、ミャンマーはASEANにも加盟したことで、軍政はなかなか倒れなかった。そして、スーチー氏は国家防御法に基づき、何度も自宅軟禁に置かれる。NLDの地方組織は次第に弱体化し、20年も経過して、自身も高齢になっていった。
 このように、軍政府とスーチー氏の双方がジレンマを抱える中で始まったのが、ポスト軍政だと理解している。テインセイン大統領が始めた改革にスーチー氏が乗り、さらに改革が進んだ。そして米国も対ミャンマー政策を変え、両陣営のアライアンスができた。しかし目的は違うので、アライアンスは脆弱だ。これを強固にするには、国民生活の向上や経済成長が必要になるだろう。
 経済に関しては現在、新たな環境の中での成長戦略があると思う。アジア開発銀行(ADB)は、ミャンマーがASEAN 10ヵ国の中で今後、最も成長するとしているが、7.8%の成長を続けても2030年の段階で現在のインドネシアに追いつくレベルだ。今後のミャンマーの成長戦略を考えた場合には、やはり輸出志向型になると思う。ミャンマーで外資が入っているのは、ほとんど資源分野であり、製造業にはなかなか入ってこなかった。しかし昨年からは本格的に、海外からの製造業への投資も始まっている。
 また、ミャンマーを考える上で重要なのは、その地政学的位置で、すべての近隣国が現在、周囲に港を造ろうとしている。タイはダウェーに、中国はチャオピューに港を造っており、私たちも4つの経済回廊によって、周辺国とインド洋、ミャンマーをつなぐことを提案している。

3. 今後のリスクと課題
 ミャンマーの今後の政治リスクとしては、2015年の総選挙前後の政治状況が最も重要になるだろう。予測は困難だが、選挙が自由公正に行われればNLDは勝利するはずだ。現在与党のUSDPは、軍の政党というイメージによって国民に嫌われており、なかなか勝利できない。一方、NLDは非常に人気があり、候補者は誰でも勝てるといわれる。ただし憲法の問題があり、スーチー氏が大統領になるのは難しい。一方、ミンアウンフラインという軍の上級大将は、次の選挙と同時に退役するとみられ、軍も強力なリーダーシップを発揮できない可能性がある。このような中で、最も良いのはテインセイン大統領とスーチー氏の二頭体制を維持することだ。
 社会的なリスクについて見ると、1つは少数民族問題がある。現在、主なところとは、ほぼ停戦合意になっており、全体としては解決の方向にある。しかし、ロヒンギャについては別で、非常にセンシティブな問題だ。宗教対立に関しては、反ムスリム運動という形になっているのは一面では正しいが、その背景は複雑だ。貧困や教育水準の低さという問題、そして情報アクセスの欠如、法の支配の問題がある。さらにムスリムが経済的な成功を収めていることから、格差への不満があり、それを政治的に利用しようとする人もいる。
 また、民主化のコストともいうべきか、自由に発言し、デモができるようになったため、それを使って扇動しようとする人達もいる。これらの問題への対処としては、やはり貧困や教育水準の問題を改善していく必要があるだろう。そして情報不足についても、改善が必要だ。現在はメディアが多くできているが、いずれも未成熟だ。ヤンゴンとマンダレー以外では商業メディアはほとんど成り立たず、地方の情報はあまり伝わってこない。
 最後に個人的な印象だが、やはりミャンマーの制度や政策はわかりにくく、法律間の整合性や一貫した外資政策が欠如している。これには国家計画経済開発省の知識不足や、能力、権限不足がありそうだ。外資政策に関しては、外資を経済成長のエンジンにしていくということがどういうことか、本当にはわかっていないのではないかと感じる。議会や業界団体が、「ミャンマー企業が倒産したら可哀想」などと言うと、その議論に対抗できない。
 さらに、各省庁の背後にある業界団体からの要望を調整できていない。法律については、「そう書いてあるが、実際にはできない」といわれるようなケースが多い。したがって、法律がバイブルだと考える必要はなく、むしろミャンマー経済発展のために新しいアイディアを働きかけていくアプローチが必要だと思う。

(敬称略 / 講師肩書は講演当時 / 文責:貿易研修センター)

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