平成25年度 第5回 アジア研究会 報告1「ミャンマーの2015年問題」 日本貿易振興機構 アジア経済研究所 研究企画部 主任調査研究員 工藤 年博 (くどう としひろ)【2014/01/10】

日時:2014年1月10日

テーマ「変貌するアジア(主要国の新しい動き)
~2015年アセアン統合及び主要国指導者交代を見据えて~」

平成25年度 第5回 アジア研究会 報告1
「ミャンマーの2015年問題」


日本貿易振興機構 アジア経済研究所
研究企画部 主任調査研究員
工藤 年博 (くどう としひろ)

1. テインセイン政権による改革
 ミャンマーで23年ぶりの民政移管でテインセイン大統領をリーダーとする政府が登場してから、今年3月30日で3年になる。大統領は5年の任期となっており、2015年11月か12月には次の選挙が行われる見込みである。2010年の時の選挙はアウンサンスーチー氏が自宅軟禁下にあり、最大野党の国民民主連盟(NLD)がボイコットしていたため、公正な選挙とは呼べなかった。その意味で、2015年の選挙が本当の意味での選挙となる。この「2015年」は「問題」というわけではないが、1つの大きな分水嶺であることは間違いない。
 テインセイン政権は、1988年9月のクーデターで発足した軍事政権から民政移管をした。2010年11月に総選挙を行ったが、この選挙はNLDがボイコットしたため、結果として、連邦団結発展党(USDP)という現在の与党が圧勝した。しかしながら、その後に大きな改革が始まったのはご存知のとおりだ。テインセイン大統領は就任演説で、新政権の重要な課題は良い統治と汚職のない政府を作るために働くことである、国民の声を尊重してすべての国民が利益を享受できる政府を作ると述べた。そして実際に、このとおりに動いてきた。2011年8月にはスーチー氏との協力関係ができ、中国のミッソンダムの建設プロジェクトを凍結して、中国と一定の距離を取って、改革が進められた。
 改革は4段階に分けて、進められている。第1段階は、政治、国際関係の改革で、スーチー氏との対話が行われ、2012年4月にはNLDが補欠選挙に出て、スーチー氏自身も議員になった。さらに、ほぼすべての政治犯を釈放したほか、メディアの自由化や市民の権利を制限する様々な法律の改廃を行った。またカレン民族同盟(KNU)など少数民族武装勢力との停戦を進め、西側諸国、特に米国との関係も改善した。
 2012年6月には改革が第2段階に入り、経済改革を行うと宣言した。経済改革では様々なことが進められているが、5年で1人当たりの国内総生産(GDP)を1.7倍にすることを目標としている。これはなかなか難しいが、その他、4つの方針として、(1)農業を中心に全ての分野の発展、(2)地域のバランスの取れた発展、(3)全国民が成長を享受できる発展、(4)信頼できる統計の整備、を挙げている。また現在、2030年までの20年計画である国家総合開発計画を策定している。
 これらの改革で特に進んでいるのは、第1段階の政治・国際関係だと思う。これがミャンマーを取り巻く国際環境を劇的に改善し、グローバル経済に再度、参入することで発展していく環境を整備した。そして民主化に向けた法律や制度の整備も、メディアの自由化を含めて進んでいる。しかし、経済改革については必ずしも順調に進んでいるわけではない。もちろん、進捗はしているが。これはある意味で当然のことである。やはり一朝一夕には成果が出ないので、時間をかけて取り組む必要がある。第3段階の行政改革については、さらに時間がかかる。全体としては、やはり第1段階の改革により、国際経済環境が改善されたことが大きい。
 なぜ、このポスト軍政が始まったのかに関しては、簡単に言うと、国軍とスーチー氏が互いに抱えていたジレンマが限界点に達し、それを解決しようとしたということであろう。国軍が20年間かけて目指したものは、国軍をバックボーンとする国家体制の構築であったが、その一方で正統性が得られなかった。特に国際社会では非常に惨めな地位に落ち、それを回復したかった。一方、スーチー氏は1990年の選挙で圧勝し、「正統性は我々にあるので、権力をよこせ」と軍政に圧力をかけてきた。圧力をかける武器は2つあり、1つは国際社会での名声だった。ノーベル平和賞受賞者ということで、国際社会に制裁を呼びかけ、米国や欧州はこれに応じた。日本も経済協力を止めるなどして圧力をかけた。また国内でも、時々自宅軟禁から解放されると地方へ出かけて遊説し、何千人という人が集まった。これは軍政には圧力であった。しかし、結局、軍政を倒すことはできず、自身も高齢化し、後継者もいない中で新政権との協力路線が必要となっていた。このように、両者がジレンマを抱える中で、それを解く鍵として協力が始まった。しかし、双方が目指す方向は異なっており、協力関係は脆弱だ。この脆弱な協力関係を続けていくには、国民の支持が必要で、そのためには国民生活を向上させるのに必要な経済成長を実現しなければならない。

2. 2015年総選挙に向けた課題、反ムスリム暴動
 2015年の総選挙に関し、最も注目を集めているのはスーチー氏が大統領になれるのかどうかだ。大統領になるには2つの条件があり、第1に、総選挙で勝つことが必要だ。もしも今、自由公正に総選挙が行われれば、やはりNLDが勝利するだろう。これはスーチー氏の人気があることと、連邦団結発展党(USDP)という与党の人気が非常に低いためだ。そして小選挙区制なので、地滑り的勝利が起きやすい。しかし、第2の条件があり、スーチー氏が大統領になるには憲法改正が必要だ。現在の憲法の規定では、本人、両親、配偶者、子供とその配偶者のいずれかが外国国民であってはならないとされており、スーチー氏のイギリス人の夫は亡くなっているが、子供2人はイギリス国籍だ。
 憲法改正の議論については、1月末に国会から答申が出る。この憲法の59条は重要条項に入っているため、改憲するにはまず連邦議会で4分の3を超える賛成が必要で、さらに国民投票が必要だ。そして国民投票で有権者数の半分以上を取らなければならず、ハードルが高い。このように改憲は現実には難しそうだが、テインセイン大統領は今年の念頭の挨拶で「憲法を変えても良い」というようなことを言っている。
 与党のUSDPは軍政の「負の遺産」を引き継いでおり、非常に国民に不人気である。また、党員の忠誠心が欠如している。USDPの幹部は旧軍政の幹部だが、一般議員は特に地方では、実業家、公務員、教員、法律家、医師などが多い。これらの人達は、2010年選挙時には、まだ軍政があったため、無理やり出させられたが、自分の商売や仕事がある中でネピドーに何百日も拘束されることにメリットはない。しかも2015年は負け戦になる可能性があるため、ますます良い人が出ない可能性がある。退役軍人の天下りポストという側面もあったが、これも負け戦では魅力がない。このため、USDPが誰を候補にするかは難しい選択になってくると思う。一方、NLDについてはどういう人材がいるのかがよく分からず、選挙に勝利しても、その後が問題だといわれる。また、NLDを恐れているのはUSDPだけでなく、少数民族政党もそうだ。少数民族政党は全国政党ではないが、州議会ではかなりの力を持ってきている。ビルマ族と少数民族という対立軸もあり、NLDはビルマ族の政党だ。このため、少数民族政党はNLDに票を取られることを恐れている。
 また、現在、反ムスリム暴動が各地で起きている。発端はバングラデシュとの国境にあるラカイン州北部のムスリムの人達(ロヒンギャ)を巡るもので、2012年5月にラカイン州で、仏教徒の女性がムスリムの男性3人に暴行されたことだ。実際に女性が仏教徒で男性がムスリムだったかについてはよくわからないが、これをきっかけに暴動が起きている。
 ビルマ・ナショナリズムの核は、ビルマ語を含めたビルマ文化と上座仏教だ。今になってわかってきたことは、1988年の民主化運動をリードしていた当時の若い人達、学生は、その後20年近く牢屋に入れられても民主化闘争を続けてきたが、ロヒンギャに対しては「彼らは国民ではない、出て行け」などと言っていることである。これらの人達は、民主化・人権を重視するリベラルな人達というよりも、ナショナリストという側面が強いグループなのだ。軍政の時代には反軍政の武器として、人権、民主主義で闘ったが、その軍政はなくなった。そこに、ムスリムの問題が生じると、ナショナリズムの面が強く出てきた。そしてもう1つ、インド人に対する反感がある。仏教僧はエリートで、ミャンマーの軍事政権時代、学生運動は根絶やしにされたが、仏教僧侶はそうではなかった。その人達が例えば、サフラン革命という形で軍政に対抗する訳だが、今はある意味で、この人達もナショナリストの側面を強めている。
 ロヒンギャ問題については今のところ、解決の展望はないが、他の少数民族はテインセイン政権と全国停戦に向けた話し合いを進めている。中でも非常に劇的で、歴史的だったのは、1948年の独立の翌年から武装蜂起を始め、ミャンマーで最長、最大の少数民族の武装闘争になっていたカレン民族同盟(KNU)との間で2012年の1月に、初めて本格的な停戦合意が結ばれたことだ。これによってKNUの1万人、そしてタイの国境難民であるカレン難民15万人、さらに10万~40万人といわれる国内難民が帰還できる可能性が開かれた。平和になれば、この地域の開発も可能になる。しかし、停戦合意ができて政治解決に結びついたとしても、課題は存在する。カレン州にいるカレン人は3分の1程度で、最も多いのはイラワジ・デルタに住んでいる人達であり、ビルマ族と混住している。カレンの独立、自治権といった時には、こうした人々をどのように包摂していくのか、難しい問題である。

3. 2014年は目が離せない年に
 2015年には、ミャンマーの総選挙があるだけでなく、ASEAN経済共同体も実現する。その中で、後発途上国のミャンマーがいかに産業発展していけるかについては、まだ回答が出ていない。改正外国投資法の議論でも表面化したように、外資の流入に対しては国内企業から懸念が出されている。輸出指向型、あるいは外国投資を導入しながら、同時に国内の産業振興保護もやっていくことは簡単ではない。
 まとめると、ミャンマーの改革はドラスティックに進んでおり、とくに成長を可能とする国際経済環境を整えたことは大きな成果であった。しかし、当然のことながら、様々な問題も存在している。今年はミャンマーがASEAN議長国である。さらに、2015年に向けてこれから政治の季節にも入ってくる。2014年はミャンマーから目が離せない年になると思う。

(敬称略 / 講師肩書は講演当時 / 文責:貿易研修センター)

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担当:総務・企画調査広報部