第134回 中央ユーラシア調査会 報告1 「ロシアの影響圏に対するプーチン政権の姿勢 -クリミア編入とアジアへの影響-」防衛省 防衛研究所 地域研究部 米欧ロシア研究室長 兵頭 慎治 (ひょうどう しんじ)【2014/04/17】

日時:2014年4月17日

第134回 中央ユーラシア調査会
報告1 「ロシアの影響圏に対するプーチン政権の姿勢
-クリミア編入とアジアへの影響-」


防衛省 防衛研究所 地域研究部 米欧ロシア研究室長
兵頭 慎治 (ひょうどう しんじ)

はじめに
 3月、ロシアは、ウクライナのクリミア自治共和国の独立承認にとどまらず自国に編入した。国際社会は、実力行使による現状変更であるとして厳しくロシアを批判している状況にある。ウクライナは、文化的、歴史的、精神的、宗教的、あらゆる意味で極めて重要な存在であった。また、黒海に突き出したクリミア半島のセヴァストポリには黒海艦隊の司令部を置いている。ウクライナで親欧米政権が誕生し、EU加盟、NATO加盟となれば、黒海艦隊を置いておくことができなくなる。ロシアにとってこれを死守することは非常に重要なことである。
 こうした対外行動の背景には、ロシアの影響圏というプーチン政権の独自の発想が存在する。アメリカとロシアの対立が深刻化している中、この問題をどう見ていくべきか、ロシアを軸足にした安全保障面から私の見立てを紹介したい。

1.NATO拡大阻止
 ロシアの「影響圏」を主に軍事的な観点や軍事戦略文書、ロシア軍の作戦、オペレーション上の発想等から考えると、当然ながら、旧ソ連の地上部分はバルト三国を除いてすべてということになる。ロシアの影響圏と言った場合にこの地上部分だけをさしていると思いがちだが、実はもう一つ洋上部分の影響圏がある。プーチン露大統領はこれを演説や国家文書の中で「北極と極東」とワンセットで言及するようになってきている。かつては氷に閉ざされたこの地域は、北極海航路によって一つのつながった面として見られ始めてきている。ロシアは、昨年後半頃から急速に北極圏の軍事プレゼンスを強化し始めている。ロシアの北極戦略と呼ばれるような関連文書がここ数年で整備され、安全保障の面からも北極をロシアが今後重視する姿勢を示している。
 ロシアは、2010年2月に策定された軍事ドクトリンにおいて、「NATO拡大、戦略的安定性を損ねる試み、ロシア周辺への軍事プレゼンスの拡大、戦略的MDミサイル防衛システムの構築は軍事的危険」であると謳い、ロシア影響圏へのNATO拡大を軍事的に認めないと言及している。さらに、軍事ドクトリンにおいては核の強化が謳われて、今までに比べて核への依存が強まる、あるいは核使用の敷居が下がるような規定になっている。消極的安全保障、ネガティブ・セキュリティ・アシュアランスを削除した。旧ソ連諸国のNATOの拡大をけん制するために、核に関して削減しないニュアンスがある。アメリカとの核軍縮においては新START条約でオバマ米大統領との間で合意が達成されている。米ロ関係は対立基調で政治的対立は深刻化しているが、ロシアがICBMの発射実験を行なった際には新STARTに基づき事前にアメリカに通報しており、軍事の部分ではまだ眼に見える形の否定的な影響は出ていない。戦略核の削減には応じ、戦術核の削減には応じない理由には、中国の核の問題もある。
 また、ロシアは、グルジア紛争翌年の2009年にロシア軍の国外展開を可能にする法整備、国防法の改正を行なっている。1)ロシア領外の部隊への攻撃、2)ロシアに対する他国からの要請、3)ロシア領外のロシア国民の保護、4)海賊取締り、船舶航行の安全確保、この4つの目的のためにはロシア軍の国外展開が可能であるという法整備をしている。3月初めにプーチンはこの法律に則りロシア軍の国外展開の議会上院の同意を取り、ウクライナ東部の国境地域に軍を張り付けた上で、あとはプーチンの決断だけでいつでも展開できる状況を作り出している。ロシア国民の保護が大義名分として使われている。ウクライナの大統領であるヤヌコーヴィッチからロシアに要請があったという理屈によっても正当化した。

2.プーチンが一線を越えた理由
 一つ目に、クリミアの戦略的重要性は言うまでもなく南オセチア、アブハジアの比ではない。
 二つ目として、プーチンの国内の政治基盤がゆらぎつつある。弱さゆえに一線を超えた対外強行を示さざるを得なかった部分があるのではないか。国民のプーチン疲れ、ソチ五輪前の支持率低下、閣僚の離反等、弱体化する国内政治基盤などがあった。9・11直後に中央アジアに米軍駐留を認めた頃から、軍、KGB、シロヴィキと呼ばれる人たちの中にもプーチンに対する鬱積したものがあった中、今回のクリミア編入はそれを全部帳消しにした。領土拡大という歴史的偉業を達成したことで、保守派をしっかりつかんだという事実がある。独立承認にとどまらず、一線を越えて編入に踏み切ったのは、ロシア国内の政治基盤の強化という意味においてプラスは確かにあったのだろう。
 三つ目として、冷戦終結後、冷戦の敗者としてロシアの影響圏への欧米諸国の影響拡大、NATO拡大、MDの話、カラー革命といったものに対する20年におよぶ鬱積したものが爆発した。編入によって多くのロシア国民の溜飲が下がったという非合理な感情的な話がある。アメリカの相対的な影響力低下、欧米の足並みの乱れもあり、有効な強硬な制裁も出来ないという読みも当然あったであろう。
 四つ目としては、ロシア影響圏へ進出を始める中国の影響があったのではないか。中露の確執があることは知られているところだが、中国は経済進出に関してはクリミア半島のインフラ整備に30億ドルの投資を予定し、ウクライナ東部では300万ヘクタールの農地を租借して農業をやっている。安全保障面ではウクライナ経由で中国に旧ソ連製の武器が輸出され、中国の海洋戦力の強化を後押ししているところをロシア自身もよく思っていない。また去年ヤヌコーヴッチが習近平と北京で会談した際、中ウ友好協力条約を結んでいる。ウクライナと中国の安全保障協力、武器の問題も含めてロシア側が気にしているのは間違いがない。単にクリミアの独立承認となれば、ロシアの事実上属国とはなるかもしれないが、完全には押さえたことにはならない。クリミア問題に限って言えば、中国ファクターは大きなものではないが、クリミア編入という一線を越えた部分に中国ファクターがどの程度あったのかどうか、今後注意して分析してみたい。

3.クリミア編入が与えたインパクト
 ロシアにとってイスラム過激勢力の活発化が懸念される。ロシアとアメリカの対テロ協力がかなり進展してきた状況に、この米露間の政治的対立がどう影響を及ぼすのか。今のところそれははっきりした形では見られないが、今後は主権国家に与えた影響だけではなく、非国家主体に与えた影響も見ていかなければならない。
 今までのロシア観・プーチン観に修正を迫られている。クリミアでの一連のオペレーションは見事だった。自警団の組織から始まり、軍事的掌握、住民投票、独立承認、編入が1ヶ月強の期間にあっという間に行なわれた。ロシアが振付けたとすれば、国外オペレーションであり、同時に、プーチンの決断に軍事的決断が入っている。グルジア紛争でもやったように今回も軍事力を使った。一歩間違えると大変なことになる。今後のウクライナ東部の情勢次第ではNATOとの全面対決もなくはない。一種のリスクがあるにも関わらず、軍事まで使ってきている、これができる怖さがある。
 今後、アメリカ、ロシアのアジア重視に果たしてウクライナ問題の影響があるかどうか。国際社会でロシアが孤立するならば、中国がロシアに接近するというニュアンスを出している。5月のプーチン訪中の際には、おそらくガス価格交渉が最終妥結するだろう。スボイ35を含めた武器輸出については、最終妥結がずっと見送られてきたが、合意される可能性が出てきた。しかし、ロシアの影響圏へ侵入してきているのはNATO、欧米だけではなく、中国も入ってきているという認識もロシアは持ち始めている。
 去年から日本とロシアは安全保障協力で2プラス2がはじまった。ロシア側から、北極協力、オホーツク海協力という話が日本側に出てくる。日本も進出するなというならまだしも、ロシアの洋上影響圏をどう日本として受け止めていくのか。欧米とロシアの関係が悪化するからロシアとの関係を捨て、中国とやりますという単純な話になるのか。今後も注意してみていかなければならない。

(敬称略 / 講師肩書は講演当時 / 文責:貿易研修センター)

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