平成26年度 国際情勢講演会 「クーデタ後のタイ政治経済―社会の不安定化と軍の再登場をどう見るか―」 (独)日本貿易振興機構(ジェトロ) アジア経済研究所 地域研究センター長 重冨 真一【2014/07/18】

講演日時:2014年7月18日、於:東海大学校友会館

平成26年度 国際情勢講演会
「クーデタ後のタイ政治経済―社会の不安定化と軍の再登場をどう見るか―」


(独)日本貿易振興機構(ジェトロ)
アジア経済研究所 地域研究センター長
重冨 真一

再び起きた軍のクーデタ
 本日は最初に、クーデタに至る経緯と共に、今回のクーデタの歴史的文脈を押さえた上で、今後のことを考えてみたい。タイでは2005年に選挙があり、当時のタクシン首相が中間層を含めた大人気で圧勝した。しかし、その直後から反タクシン派の街頭行動が起き、選挙は無効となり、軍のクーデタが2006年に起きた。そして現在と同様、軍のOBが首相になり、反タクシン派の暫定政権ができたが、再び選挙をせざるをえなくなった。選挙をするとタクシン派が勝ち、タクシン派の政権ができるが、また反タクシン派の街頭行動が起き、司法や軍の介入もあって反タクシン政権ができる。そこで「選挙結果を尊重しないのはとんでもない」とタクシン派が街頭行動するが、2010年に軍によって鎮圧されて100名近い犠牲者が出た。その後、当時のアピシット政権は選挙をせざるをえなくなったが、選挙をすると、やはりタクシン派が勝ち、これがインラック政権だったが、再び反タクシン派の街頭行動が起き、司法による首相解任と軍のクーデタに至った。
 昨年2013年11月初めには政府が、下院に恩赦法案を提出した。元は、それまでの混乱で運動に参加して罪に問われたフォロワーたちに恩赦を与え、国内で和解を進めようという案だったが、直前になってリーダーも恩赦することになった。その中に、タクシンが含まれていたため、反タクシン派がデモや集会を始めた。政府側は恩赦法を引っ込めたが、混乱は収まらず、国会を解散して真意を問うことになった。しかし、反タクシン派は2月2日の下院選挙を妨害し、必要な数の議員が揃わない事態となった。さらに司法が「下院選挙は無効」という判決や、インラック首相の人事が親族を利するためのものだったという判断を下し、首相は罷免され、最後は軍が戒厳令を敷き、クーデタを行った。
 タイでは頻繁にクーデタが起きているが、その意味は変化している。かつてのような軍が権力をとろうとするクーデタは1991年で終わり、その後の2つのクーデタは、政党が権力のベースラインを押さえた状態で起きている。言ってみれば民主主義政治体制が基本となった時代のクーデタで、軍は政治的混乱をリセットする担い手として期待されている部分が大きい。しかし、軍にも思惑はあり、自分たちの影響力を保持したい。
 また1990年代は、市民の政治的関与がかなり変化した時代でもある。1つは、参加が重要なキャッチフレーズになった。しかし、市民社会の頂点には国王が来ると考えられ、国王がいわば価値基準として存在しているというのがタイで主張される「市民社会」の構造だった。1990年代の市民参加で中心になったのは、公務員や国営企業職員、大学の先生、弁護士のような中間層で、農民労働者はわずかだった。一方、1990年代の農村では、議会や行政体ができ、身近な代表が中央から資金を取ってきて、自らの生活に直結する資源配分にかかわるという政治的変化を経験していた。都市と農村で市民は別々の政治経験をしていたのである。
 そして1990年代のもう1つの重要な変化は、デモや集会が非常に増えたことだ。実は1997年の憲法によって、市民による集合行為が権利として認められた。そして1990年代の後、タクシンが出てくる。2005年まではタクシン政権は非常に強く、最初は参加型の市民社会の人たちも期待し人気があったが、権力を独占し、市民社会を無視して熟議を軽視するようになり、風向きが変化する。決定的だったのは、2006年にタクシンが、元は自分が作った通信会社の株をシンガポールの国策会社に売却し、膨大な利益を得たことだ。これによって、タクシンに対する大きな反対運動が起きた。そしてタクシンが打倒されると、今度は赤シャツといわれる、それに反対する人たちが集まった。そして黄色側、赤側の双方で、市民が組織的に圧力をかけられるファシリティーができた。このように市民社会が政治により直接的に参加するようになり、またその組織ももつようになったというのが、今回のクーデタの背景にある2つ目の特色だ。
 3つ目は、いわば「不安な時代のクーデタ」ということで、タイ人は大きな変化を経験してきた。第1に1997年の通貨危機で、タイ人は自信をなくした。第2に、タクシンが現れ、徹底的に行政や政治を変えようとしたことから、公務員やエリートに不安が生じた。第3に、赤シャツが組織化され、「声なき民」だった人たちが組織的に声を上げられるようになった。これは都市部の中間層にとっては、社会秩序が壊れることを意味していた。第4に、国王が高齢で王位継承が迫っていることがあり、国王は様々な意味で価値基準であるため、不安の要因になっている。そこに恩赦法案が出てタクシンが戻ってくるかもしれないとなり、タクシン体制打倒の強い運動が出てきたのではないか。

求められる不安の解消
 今回のクーデタは民主主義がデフォルト(基本的状況)になり、市民が直接的に政治に参加し、そして非常に不安な時代のクーデタだ。現在、軍事政権が熱心に行っていることは、第1に市民の政治活動の弾圧だ。これまでのクーデタでは大体、政府を押さえれば終わりだったが、今回はそうではなかった。第2に、ポピュリズム政策の人気取りがあり、タクシンのポピュリズムを批判していた人たちが、ばら撒きをしている。それから軍事政権が得意なのは正義の味方になることで、取り締まりの強化や汚職、不正の摘発をしている。経済運営では米担保融資制度というインラック時代の補助制度の評判が悪く、やめると言ったが、すべてやめるのではなく、代わりの補助政策をすると言っている。インフラ事業も、インラック政権で批判された多額のインフラ借款はやめるとしているが、より大規模なインフラ事業を提案した。さらに経済アドバイザーには、定評がある官僚経験者のエコノミストを配置している。また、外国からの投資を承認する機関も再開した。不安な中で急に経済運営を変えることはできず、インラック政権とは違うことをすると言いつつも、実質的には継続するようなことをしている。
 クーデタ政権がなぜこのようなことをするのかと考えると、1つは、軍がいつまでも政権を握ることはできないためだ。今や、デフォルトは民主主義で、軍がデフォルトという体制に戻すことは不可能だ。そのため、ロードマップを発表し、2015年中に総選挙をすると宣言している。しかし、選挙でまたタクシン派が勝てば元も子もないため、民主主義に戻しても、タクシン派が勝たない仕組みを作る必要がある。それを1年半ぐらいでやるのが、最大の課題だ。このためにもポピュリズム政策を行い、タクシンに戻るより、こちらが良いということを見せる必要がある。タクシン派が勝たない選挙制度を作るのは難しいが、ポイントはタクシン派が過半数にならず、あまり不公平でないと感じられる仕組みを制度化すること、そしてタクシン派が万が一勝っても制度内の手続きで潰せる仕組みを作っておくことだ。小選挙区ではタクシン派が過半数を取る危険性が高いので、ある程度、中選挙区にすることが考えられる。また上院をすべて任命制にし、反タクシン派が支配する形にして、これまで以上の権限を与える。その他、裁判所や行政をチェックする機関の権限を強くすることが考えられる。現在は、選挙でポピュリズム政策を主張したら選挙違反にする、ということまで議論されている。
 タイでは1990年代から、市民が政治に参加していくという意識が出てきた。これは非常に良いことだが、それが都市と農村で別々の形で起きたことから、別々のコミュニティ意識ができ、そこに社会運動が加わって別々の組織ができた。これが、様々な混乱の根本にある。意見は異なっても、同じコミュニティにいるという意識を、タイ人たちが形成していくことが課題になっている。そのためには、格差の是正が必要だ。農家に対する補助は、レベルや方法に関する議論はあるが、継続しなければならない。もう1つは機会の均等化で、教育に関する格差をなくしていくことが重要だろう。
 さらに熟議の制度化が求められており、政党の党首が強い力を持たない仕組みに戻すことも必要だろう。また市民社会の参加の意欲が強いので、審議会や委員会などを作って代表を入れ、街頭行動だけの参加ではないようにする。そして何と言っても、不安を解消しなければいけない。
 ひとつには、タクシンが政治への関与を諦めることが必要である。現在はタクシンに対する恐怖感がトラウマになっている状況で、これを変えねばならない。そして、もう1つは王室のあり方も問われるであろう。現在は王室が人々の価値観の基準になっていることが、かえって不安定性の原因になっている。政治的な影響力を持つのではなく、より庶民的で人々の気持に寄り添うような王室になる方が社会も王室も安定するのではないか。

(敬称略 / 講師肩書は講演当時 / 文責:貿易研修センター)


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担当:総務・企画調査広報部