平成26年度 第1回 国際情勢研究会 報告「ロシアのクリミア併合と新たな国際関係」 新潟県立大学 教授 青山学院大学 名誉教授 袴田 茂樹 (はかまだ しげき) 【2014/04/11】

日時:2014年4月11日

平成26年度 第1回 国際情勢研究会
報告「ロシアのクリミア併合と新たな国際関係」


新潟県立大学 教授
青山学院大学 名誉教授
袴田 茂樹 (はかまだ しげき)

1. プーチン大統領の強硬姿勢とオバマ政権軽視
 力を背景としたクリミアのロシアへの併合という、ここ何十年の常識では考えられなかったような事態が生じた。そしてさらに深刻なことは、国際法的には到底許容できない行動であるにもかかわらず、欧米諸国もこれにたいして効果的な対応ができず、事実上既成事実として認める雰囲気になっていることである。さらにロシアの介入はウクライナ東部に及んで混乱を生んでいる。「対露制裁」、「経済制裁」などと言ってはいるが、クリミアがロシア領であることを事実上黙認の上、ウクライナ東部での混乱をこれ以上、エスカレートさせないよう対処している状況だ。この事態は21世紀の国際政治、国際秩序のあり方の根本に関して再考を促す契機になっている。
 プーチン大統領があれだけの強硬姿勢でクリミア併合という挙に出たことについては、いくつかの要因がある。対外的には、プーチン大統領は当然、欧米の強い反発を予想していたが、欧米がロシアに対して軍事的対応は不可能だし、出来る制裁も限られていると読んだ上で行動した。プーチン大統領の強気の最大の要因は、かつては「世界の警察官」を自任していた米政権の無力、無戦略である。プーチン大統領は、オバマ大統領の考え方や対外政策の基本姿勢を見くびっており、最終的には力が国際関係を決めると考えている。もちろん、国連や国際法は、必要な時には最大限に利用するが、それらによって世界の動きが決まるのではないというのがプーチン大統領の基本的な信念である。そして、オバマ大統領の、「あらゆる紛争を、力の行使を避けて基本的に話し合いで解決する」という政策についてリアリストのロシア人は、ロシアにとって好都合だが、国際政治の本質を理解していないナイーブな考え方と見ていた。
 プーチン大統領が、オバマ政権を見くびっている背景には、シリア問題やイラン問題等がある。シリア問題では、プーチン大統領による化学兵器の国際管理という提案によって、オバマ大統領は窮地を脱し面子を救ってもらった。このためプーチン大統領には、政治家としての実力は自分の方がオバマ大統領よりはるかに上だという強い自信がある。イラン問題でも、従来はイランと米国の関係が悪く、米国はむしろサウジアラビアなどを中心に中近東の秩序を維持しようと考えていた。しかし、ある意味で米国はサウジアラビアからイランに軸足を移す形になり、ロシアから見ると、イランとより強固な関係を持つ自分たちの方へ「すり寄ってきた」ように見える。

2. 背景にある大国主義的ナショナリズム
 2008年のグルジア戦争のときには、北大西洋条約機構(NATO)は、現在よりはるかに強く、当時、ブッシュ政権の米国は、ロシアに対して強硬な姿勢を保っていた。また欧州連合(EU)では現在、ギリシャとドイツの対立のような国益の衝突が生じているが、当時ははるかに安定ししっかりしていた。そのような状況にもかかわらず、ロシアが事実上、グルジアの南オセチア、アブハジアという2つの地域を「独立」させ、保護領とする状況となった。欧米諸国はこれを厳しく批判したが、結局はフランスのサルコジ大統領の仲介役などで欧米とロシアは和解し、2つの地域がロシアの保護領的存在となることを事実上認めた。翌年登場したオバマ大統領は、米露関係のリセットを唱えて、ロシアとの良好な関係構築を強調した。このため、プーチン大統領は今回も欧米諸国はクリミア併合に対して有効な対応は何もできないと分っていた。
 一方、中国は国連演説で、「領土の統一性や主権、侵害は許せない」と述べただけではなく、「内政干渉は許されない」、「ウクライナの独立国としての立場は擁護されなくてはならない」といった日本より踏み込んだ批判的発言もしている。しかし、国連総会の決議では棄権して中立の立場をとり、ロシア批判は控えた。それゆえ、プーチン大統領は同じく棄権したインドと共に、中国に対して感謝の言葉を述べている。今日の国際情勢においては、中国がロシアに対して真っ向から批判的な立場をとることはあり得ない。また日本の安倍政権も、中国との緊張した関係も考慮してロシアとの関係を積極的に改善すべく努めており、日本が主体的に対露批判で強い態度に出るとはプーチン大統領はまったく考えていない。
 ただ中国にとって今回のロシアの行動は、二重の意味を持つ。中国は東シナ海、南シナ海で自国の影響力を強化しようと露骨な膨張主義の行動を起こして、ベトナムやフィリピンなど周辺諸国と摩擦を起こしている。このため、ロシアの力に頼る露骨な膨張主義の行動を世界が事実上認めたということは、中国を大いにエンカレッジする側面がある。しかし、同時に1国内における1地域の自決権や独立、他国への帰属を認めることは、中国にとって由々しい問題だ。チベット、新疆ウィグル、台湾問題を抱えているからである。したがって、中国はこの点においては非常に神経質になっている。
 プーチン外交は昨年、シリア問題、イラン問題等で圧倒的な国際的役割をデモンストレートし、大白星を上げた。それに対し、今年はある意味で大黒星になった。それは言うまでもなく、ウクライナのヤヌコービッチ親露政権を事実上、プーチン大統領が介入して崩壊させたためだ。ウクライナについてEUはもともと、重荷になるので加盟国にはしたくなかったが、準加盟国という待遇で連合条約を結ぶことになった。そして昨年11月に署名したが、ロシアはウクライナがEUに接近するのを非常に嫌っていた。
 ロシアが最も恐れているのはNATOの拡大で、ウクライナにNATOの軍事基地ができることは絶対に許せない。このためヤヌコービッチを巨額の支援金で取り込んだ。かつてチモシェンコ首相の時、ウクライナはかなり高い価格でロシアから天然ガスを購入する契約を結んだ。その後、ウクライナ政府はこの価格を引き下げる交渉に全力を注いだが、なかなかうまく行かなかった。そして昨年の11月、EUと距離を置くことを条件に価格の3分の1の切り下げをロシアから提案され、ヤヌコービッチがこれに飛びつき、EUとの連合条約には署名しないことになった。しかし、これに対してウクライナ国民が怒り、経済悪化や腐敗・汚職への憤りも加わってデモや集会が相次ぎ、ヤヌコービッチ政権は崩壊した。
 ロシア国内ではその前からプーチン大統領の支持率が下がり、2011年暮れごろからは数万人規模の反プーチン集会やデモが起きていた。経済が不調で財政も良くない中で、外交面でも親露的なウクライナの政権を崩壊させたことへの国民の目は厳しかった。特にプーチン政権の支持基盤であるシロビキ(軍、治安機関出身者)はプーチンに厳しい目を向けた。そこで、彼は大技を打って、事態を逆転させる必要があった。黒海に突き出したクリミアは暖かく、風光明美な半島で、帝政時代からロシアの貴族階級等富裕層にとっては、そこに御殿のような別荘を持つのがステータスであった。また、ロシアにとって戦略的な要衝の地でもあり、クリミア戦争その他の戦役の戦没者が埋葬されている聖なる地でもあった。それがフルシチョフ時代の1954年、ロシアからウクライナに帰属替えされた。当時は共にソ連内の共和国だったため、あまり問題にならなかった。しかし、ソ連崩壊後はロシア人にとってクリミアは外国の領土となった。このような状況で、クリミアを取り戻すことはロシア人の大国主義的なナショナリズムの信条に大いにアピールする行動であった。それゆえ、40~50%台に落ちていたプーチン大統領の支持率も、クリミア併合で一挙に80%以上に跳ね上がった。
 今回のプーチン大統領の行動については、私はロシアにおける大国主義的、あるいは帝国主義的なメンタリティという根深い問題があると思う。ソ連崩壊後、ロシアはアイデンティティ・クライシスに陥った。帝政ロシア時代、国民のアイデンティティの礎となったのはロシア正教であり、ソ連時代には共産党のイデオロギーがそれに代わった。しかしソ連崩壊後は、ロシア正教が様々な形で復活したものの、宗教はかつてのような国民を統合するだけの力は持てていない。エリツィン時代は西側と同様に人類普遍の価値を共有するということで、民主主義、人権などのスローガンを掲げたが、普遍的価値によって国民を統合することは出来なかった。むしろ、この政策によって1990年代のロシアは大きな混乱とアナーキー、無秩序を生んでしまい、国民は人類普遍の価値とか民主主義への信頼を失った。このような中で登場したプーチンが、特に2007年以後、ロシアのアイデンティティ柱として意識的に利用したのは結局、帝政時代あるいはソ連時代以来の伝統的な大国主義のナショナリズムであった。

3. 冷戦終焉で吹き出た国家、民族、宗教という要素
 ここ20、30年の間に、欧米や日本など先進国ではポストモダニズムの考え方が支配的になった。それは、次のような考え方である。
 グローバル化が進む21世紀には、近代(モダン)の国際社会で主役を果たした国民国家や国家主権、国境、領土といったファクターは次第に意味を失う。パワーポリティクスの時代は終焉し、国家利害の対立、民族紛争、宗教紛争などは、国際法や国連、国際司法裁判所、その他の国際機関などを通じて平和的な交渉や話し合いによって解決できる。サイバーテロなどの登場で危機の性質も変わり、したがって国家を単位として伝統的な防衛力も意味を失う、というリベラルで楽天的な考えである。
 このようなポストモダニズム的な見方が、冷戦の終結と欧州統合などに刺戟されて、欧米や日本など先進諸国で支配的となった。しかし、現実の世界は実際にはポストモダニストが期待したのとは逆方向へ進んでいる。ポストモダニズム的な考え方は、冷戦的な思考を乗越えたものとも言われた。しかし、実際にはまさに冷戦時代に、国家や民族、宗教などは2大陣営の枠に抑えられ、国際社会における最重要のファクターではなくなっていた。それは2大陣営という特殊な状況の産物であったのだが、その事実を何か人類の進歩がたどり着いた普遍的な現象のように錯覚して、モダンを乗越えた新たな人類の共同体が出来つつあると見たのがポストモダニズムの考え方ではないか。このようにして、グローバリズムや欧州統合などから、国家を乗越えた人類の新たな共同体の誕生という一種のユーフォリア的な雰囲気が生じた。しかし、現実には冷戦が終了すると、冷戦構造によって抑えられていた国家や民族、宗教といった諸要素が、パンドラの箱を開けたように一気に吹き出てきている。
 米国ではオバマ大統領をはじめ第3世界出身者、つまり従来はマイノリティであったグループが、多数派になりつつある。これらの人たちは、従来の米国民や米国指導者たちとは異なり、米国こそが世界の秩序と安定のための国際公共財の提供者であり、そこに米国民としての誇りを感じるというメンタリティや発想をあまり持っていない。このようにして欧米諸国や日本が、伝統的な防衛、国防は過去のものになりつつあると言って国防費を削減している間に、また、米国自体が、国民も指導者も変化している間に、中国やロシア等がどんどん軍事費を増加させて、欧米とは逆方向に進んできた。
 3月18日にクリミア併合を宣言したとき、プーチン大統領は「人々の心の中、意識の中では、クリミアは常にロシアの不可分の部分であったし、今後もそうである」などと述べている。さらに、「我々は単に隣人というだけではなく、事実上、一つのナロード(人民、国民)だ」、「キエフはロシアの諸都市の母である」などとしている。これらの発言を見ると、ロシアが旧ソ連諸国を統合するのだという彼の発想法がよくわかると思う。

(敬称略 / 講師肩書は講演当時 / 文責:貿易研修センター)

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担当:総務・企画調査広報部