平成27年度 第4回 アジア研究会 テーマ『アセアン統合と主要国の動向』 報告 「良品計画の経営改革とグローバル展開」株式会社良品計画 名誉顧問 松井 忠三 (まつい ただみつ)【2015/12/18】

日時:2015年12月18日

テーマ『アセアン統合と主要国の動向』

平成27年度 第4回 アジア研究会 報告
「良品計画の経営改革とグローバル展開」


株式会社良品計画 名誉顧問
松井 忠三 (まつい ただみつ)

1. ヨーロッパでの経験踏まえ、出店の仕方を変更
 良品計画の設立は1989年で、そのブランドは無印良品だ。海外ではMUJIと言っており、これは1980年にできた。社員は現在、国内に約6500人、海外に約5500人おり、約1万2000名で回っている会社だ。毎年の売上高は約2600億円で、経常利益は266億円程度だ。現在の店舗数は約700で、国内に約400、海外に約300ある。25の国と地域で展開しており、ヨーロッパ、アメリカ、中東など世界各地に出ている。会社が実際に稼働したのは1990年3月からで、海外へは翌年の1991年に出た。当時の創業者は、「海外で通用しないブランドは、国内でも通用しない」と言っていた。1991年にはロンドンと香港に、いずれもパートナーシップで出たが、現在、この2つの店舗はもうない。私たちはパートナーシップで出るとリスクが高いと感じ、その後は経営方針を変えた。海外展開を始めて7年目の時点では、ロンドンに5店舗、アジアに7店舗出していたが、ブランドの浸透は相当難しい状況だった。そして1998~2000年までの間にアジアからは全面撤退し、会社全体を大きくリストラした。しかし、その後は海外での展開を大きく変えて、2005~2006年ごろからは店舗数が急激に伸びた。
 実は2001年に、私たちは赤字に転落した。私はこの年の1月に社長になり、国内と海外のリストラを同時に進めた。海外ではフランスで唯一、いきなり8店舗になったが、このときに作った4店舗は皆、赤字になった。例えば、ルーブル美術館の地下に、「世界の銀座」とも言われるショッピング・センターがある。ここに出店したが、観光地に来る人が物を買ってくれる訳ではなかった。このため、大きな赤字を抱え、フランスの店舗は半減させ、人員整理も行った。ロンドンについても、出店で失敗したのではないかとわかってきた。ヨーロッパにまだ5店舗しかなかった時代に50店舗も作り、アクセルを踏んだが、結果的に大きな赤字を出した。したがって、このときは1店舗1店舗を黒字にしていく方針とした。
 ロンドンではオックスフォード・ストリートという銀座通りのような場所に出店したが、家賃が問題となった。当時の家賃は1坪当たり9万2000円で、家賃が売上の19%を占めていた。ロンドンの不動産マーケットを見ると、土地と建物のほとんどを王室と貴族が所有している。貴族に相続税は課されず、出てくる物件が非常に少ないことから、家賃が下がることはなく、上がり続ける一方だった。また、契約は20~25年で、その間、解約もできない。売上が付いてこないため、当時は苦しくなった。そして、成長とブランドの浸透を同時に実現しなければならないということに気づいた。
 1994年にミラノに出店した際は、出店の仕方を大きく変えた。不動産の仲介業者は使わず、すべて自前で物件を探した。仲介業者はデベロッパーとテナントの間で家賃を決めていくため、合理的な家賃にはならない。このときはパリとロンドンから社員を送り、ミラノの物件を調べ上げていった。そして、15ぐらいの物件を調べて3つに絞り、交渉した。その結果、1月当たりの家賃は1坪2万3000円となり、売上に対する家賃比率が10%となって、この店では1年で投資を回収し、黒字となった。ヨーロッパでは、それぞれの国と都市に1店舗、1店舗を黒字にしながら出店していくというように方法を変えた。また、ヨーロッパでは、ヨーロッパのデザイナーが商品を作っていたが、MUJIのコンセプトであるモノトーンに飾りを付けないという部分や、家電製品の品質が危なくなっていた。そこで、衣服雑貨の最高責任者を現地へ送って対応したが、結局うまく行かず、物づくりの企画はすべて日本で行い、世界で作るように変えた。
 2001年には香港に再出店し、このときもヨーロッパの経験を基に、出店の仕方を変えていった。無印はアジアから全面撤退し、すべてなくなっていたが、「戻ってきてほしい」という声があり、顧客のニーズがあるとわかった。香港では相当安い家賃で出店できたが、3年後に契約更新となり、「家賃が3倍になる」と言われた。世界の都市では毎年、不動産価格の上昇があるが、3倍ということは「出ていきなさい」という意味だ。ここで学んだのは、ヨーロッパは契約が長くて失敗し、アジアは契約が短くて失敗したということだ。アジアの場合は契約をもう少し長くしないと、出店して黒字にすることは難しかった。現在では、香港における年間の売上は日本円で100億円程度となり、経常利益は15億円程度で、日本の経常利益率より高いところまで来ている。
 一方、中国では偽物の製品が出回り、2001年に彼らと戦いに入った。周囲からは、「そんなことをすると、中国でビジネスができなくなる」と非難されたが、民間企業なので、自分たちで道を開かなければいけない。そして、2005年には上海市から、「3店舗だけ作って良い」という許可をもらった。さらに、2007年11月には日本企業として初めて、このような戦いで全面勝訴し、2008年からは本格的に、中国に出店していった。

2. ジャパンリスクを避け、グローバルな人材を養成
 MUJIというブランドは、日本の禅や茶道をベースに、飾りを削って最後に残った価値だけで物を作ろうというライフスタイルを提案した。1980年前後、各社が一斉にプライベート・ブランドを作ったが、唯一生き残ったのは無印良品だ。生き残った理由は、ただ3割安くして作ったプライベート・ブランドではなかったというところが一番大きい。ブランド力がなければ、海外へ出ていくのは難しい。
 私たちのビジネスモデルは、生活雑貨専門店だ。世界で戦うとき、グローバルな相手はIKEAという会社しかない。自分たちですべて発注し、メーカー利益まで持っていく構造だ。在庫をすべて自分たちで抱えるので、うまく回らなくなると、在庫の山を抱えて苦しくなる。ハイリスク、ハイリターンのビジネスモデルだ。もう1つの特徴は、投資回収が速いことだ。また、オペレーション力や、実行力がある。
 オペレーションの仕方については、ジャパンリスク、OKY、日本病という点が挙げられる。ジャパンリスクでは、社長として誰を送るかによって、現地のビジネスが成功するか失敗するかが決まる。現地へ送る場合、多くは営業などの人が行く。我々のところでは、店長出身者となる。少し若く、自分の頭で考えて自分で行動する人たちだ。OKYとは「お前こっちでやってみろ」ということだ。日本人だけで日本語が通じるところで、日本のやり方でというのは最悪だ。これらを変えていかなければ、うまく行かない。
 ジャパンリスクを避ける仕組みとして人材委員会があり、幹部を養成している。課長100人、部長40人がおり、この140人を対象に決めていく。全員がリーダーになる訳ではなく、素質的に言うと、リーダーとなるのは半分ぐらいだ。潜在能力、そして後は、後天的な、日本で言うと、評価で反映されるパフォーマンスが重要になる。彼、彼女に任せればOK、という人が必ずいる。しかし、体1つなので健全ではない。その人たちを半期に1回、全役員で決める。最適な人材を最適なところへ持っていく必要がある。かつては言葉ができる人間を優先的に送っていたが、言葉ができることと仕事ができることに相関性はない。したがって、これでは海外の店はうまく行かず、海外の店をしっかり運営できる人材を探す必要がある。
 次に教育だが、課長は100人おり、彼らのうち20人は、海外の経験を持つ。営業中心で出ており、管理からはほぼ出ていかない。しかし、国内の店舗数は、あと1年ほど経過すれば海外と並んでしまう。このとき、国内ばかり見ている仕事の人たちがいると、会社が滅んでいく。つまり、グローバル化するときの抵抗勢力にしかならず、こういう状態は避けなければいけない。このため、彼、彼女たちを全員、海外に出す。
 採用の仕方も変更した。ヨーロッパでは、日本人しか社長にならず、失敗してきた。現在は優秀な人材を採用するため、中国の精華大学や北京大学からも採用している。海外には身分制度があり、彼らは「売り子、販売員は私たちがやる仕事ではない」と言う。しかし、それでは将来の幹部が育たない。このため、中国採用の社員も皆、3年間は日本へ連れてくる。そうすると、何でもやってくれる。キーマンなので、物流や人事、経理、販促を学び、中国に戻る。将来は、中国で幹部になってもらう必要がある。アジアからも採用しており、将来、グローバルなリーダーになってもらう必要がある。

3. early entryが大原則となるグローバル展開
 MUJIGRAMという、私たちのオペレーションの仕組みがある。これは13冊、計2000ページある。MUJIGRAMは、毎日変わるマニュアルだ。毎日変わっていかなければ、役立たない。仕事の仕組みを変えていき、これがほぼ100%実行される。国が変われば、日本のものは半分も使えない。その国のオペレーションは、その国で作り上げなければ、うまく行かない。
 在庫のコントロールについては、アジアで大半の商品を作り、これを25ヵ国に全部、回していく。世界の国々はかなり気候が異なり、気候差は2ヵ月あることから、これに対応する必要がある。在庫を残さず、各国の気候に合わせ、売り切っていく仕組みを作っていく。また、各国の法律をすべて調べ、出店していかなければいけない。
 新たに、カフェも出店している。このようなチャレンジをしなければ、MUJIの世界は広がらない。香港に初めて出たが、外食文化の国なので、かなり売れた。アジアへの出店を、新幹線の「のぞみ」とすると、ヨーロッパは鈍行ぐらいのスピードだ。国ごとにスピードを使い分けなければ、海外の出店はうまく行かない。
 2年ほど先までは大体読めるが、その先はわからない。次はインドに出るが、これまでとは異なる問題が出てくるかもしれない。いずれにしても、早く出る必要がある。経済、収入が伸びている国がうまく行くというのは確かだ。しかし、そこだけやっていても仕方なく、中南米にも出ていく必要がある。出ていかなければ、マーケットは開かない。early entryが大原則というのは、グローバル展開で最大のポイントとなる。

(敬称略 / 講師肩書は講演当時 / 文責:貿易研修センター)

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担当:総務・企画調査広報部