第156回 中央ユーラシア調査会 報告/ 「混迷する中東情勢を読む」NHK解説委員 出川 展恒(でがわ のぶひさ)【2016/10/13】

日時:2016年10月13日

第156回 中央ユーラシア調査会
報告 「混迷する中東情勢を読む」


NHK解説委員
出川 展恒 (でがわ のぶひさ)

1. 拡散するテロとIS
 7月1日、バングラデシュの首都ダッカで、日本人7人を含む20人以上が犠牲となるテロ事件が発生し、日本社会に大きな衝撃を与えた。これによって、世界のどこでもテロが起き、日本人が巻き込まれる時代になったと思い知らされた。バングラデシュは親日的で穏健なイスラム教徒の国だが、国際協力機構(JICA)の仕事で支援に入っていた日本人が極めて残忍な方法で殺害された。事件後、「IS・バングラデシュ支部」の名で犯行声明が出された。バングラデシュでは、以前にもISのテロが起きており、昨年9月には、イタリア人外交官が銃撃され、10月には、現地で活動していた日本人男性が銃撃されて亡くなっている。ISは米国主導の「有志連合」に参加する日本を明確に「敵」とみている。バングラデシュには、以前から地元のイスラム過激派組織が存在し、ある段階で、ISの傘下に組み込まれるようになった。しかし、バングラデシュ政府は、国内におけるISやアルカイダの活動の存在を否定し続けてきた。ISやアルカイダが国内で活動していることを認めれば、外国企業が逃げてしまうと懸念したためと推測される。バングラデシュでは、近年、経済成長がめざましいが、国民の間で格差が広がっている。また、世俗派の与党・政権側と、イスラム色の強い野党勢力の対立があり、ハシナ首相が率いる現政権は、かなり強権的なやり方で反対勢力を取り締まってきた。こうした経済・社会の現実や強権的手法への国民の反発をバネに、イスラム過激派組織が根を広げたものとみられる。
 バングラデシュで起きたテロと前後するように、ISによるとみられる大規模テロが世界各地で相次いだ。ISは昨年以降、イラクとシリアで支配地域を大幅に失い、軍事的に劣勢に立たされている。資金力は落ち、外国人戦闘員も減ったとみられる。こうした状況の中、ISはこれまでの戦略や戦術を見直しているとみられる。以前は、支持者に対し、「イスラム国の領土に集まれ」と号令をかけていたが、現在は、支配地域以外の場所で外国人や一般市民が大勢集まる場所を狙い、なりふり構わぬ反撃を企てている。今や、「日本人だから安全」という時代ではなく、海外で活動や旅行をする日本人の安全を確保するための戦略や方策を根本的に見直す必要がある。鍵となるのは、信頼できる情報を集め、活用することだ。現地の日本人社会や旅行者に正確な情報や有効な対策が周知されることだ。また、そうした情報の収集・分析や対策の立案ができるよう、専門家を育成する必要がある。
 ISが台頭した原因は主に2つある。第1に、イラク戦争後の国づくりの失敗。第2に、シリアの内戦だ。まず、イラク戦争後の新しい国づくりは、「挙国一致」で行われず、人口の割合が小さいスンニ派の人々が、シーア派主導の政権に強い不満と反発を抱いたことがISの台頭を招いた。次に、シリアの内戦によって、「統治できない領域」、「力の真空」となった領土にISが侵入し、拠点を広げて行った。シリアとイラクの間の長い国境線は誰も管理できず、過激派の戦闘員や武器が自由に行き来できる状態で、外国からも多くの戦闘員が入ってきた。
 ISに対する軍事作戦は、米国が主導し、欧州、中東諸国が参加する「有志連合」が、一昨年8月から、イラクとシリア領内のISの拠点に対する空爆作戦を行ってきた。また、ロシアは、アサド政権を強力に支援し、昨年9月からシリア領内で空爆を行っている。地上では、イラク領内ではイラク政府軍、シリア領内ではシリア政府軍、さらには、少数民族クルド人の部隊、シリアの反政府勢力、イスラム教シーア派の民兵組織などが戦闘を行っている。「有志連合」の発表によれば、ISは昨年以降、イラク領内では支配地域の約45%を失い、シリアでは約20%を失ったとされ、戦闘員や資金を集める力も確実に弱まっている。今年6月には、イラク政府軍が「有志連合」の支援を受け、バグダッド近郊のファルージャを奪還した。これは、軍事的に大きな前進だが、IS壊滅の見通しはまだ立たない。軍事作戦の今後の焦点は、ISの最重要拠点であるイラク北部のモスル、および、シリア北部のラッカを奪還できるかどうかだが、いずれも厳しい作戦になると予想される。イラクについては、宗派対立を克服し、アバディ政権を立て直さなければ、作戦は成功しない。シリアについては、アサド政権と反政府勢力の停戦を維持し、中断している和平協議を再開させ、暫定政権を発足させる必要がある。しかし、停戦は破られ、和平協議も再開の見通しが立たない。
 シリアの内戦勃発から5年以上が経過し、30万人以上の命が失われた。難民と国内避難民は、シリアの人口の半数を超える1100万人以上となり、「今世紀最大の人道危機」といわれる。和平プロセスが崩壊すれば、内戦を終わらせることは不可能となる。その場合、シリアという国が分裂・崩壊し、国際テロリストの巣窟となってしまうという危機感は、米国とロシアに共有されているものの、アサド政権やアサド大統領の処遇をめぐる両者の対立は解けず、事態打開の見通しは全く見えない。

2. 核合意後のイラン、進まぬ制裁解除
 イランの核問題をめぐる交渉は、イランと、国連安保理の常任理事国5ヵ国にドイツを加えた主要6ヵ国の間で行われ、昨年7月、歴史的な「最終合意」(=JCPOA・包括的行動計画)に達した。これによって、イラン核問題をめぐって軍事衝突が起きる可能性は大幅に遠のいた。長年にわたって孤立していたイランが国際社会に復帰する道が開かれ、中東のパワー・バランスに変化が生じている。良い影響もあるが、新たな対立の火種ともなっている。最終合意は、イラン側が、今後10年以上にわたって核開発を大幅に制限する代わりに、欧米側が、イランに対する経済制裁を解除することを内容とする。
 今年1月半ば、国際原子力機関(IAEA)は、イランがこの合意を守っていることを確認し、それを受けて米国と欧州連合(EU)は、イランに対する経済制裁を解除すると発表した。米国は、イランの国外資産、約500億ドルの凍結を解除し、イランと原油取引を行う外国の金融機関に対する制裁措置を解除すると発表した。しかし、その後の状況を見ると、制裁解除はあまり進んでいない。背景には、イランと米国の根深い対立が存在する。米国は、イランの核開発を理由にした制裁については、解除の手続きをとっているが、イランのミサイル開発やテロ支援を理由にした制裁は解除していない。多くの国々は、米国との取引に悪影響が出ることを懸念し、イランと直接、貿易や投資を行うことに二の足を踏んでいる。凍結資産の返還も進んでいない。
 制裁解除から9ヵ月が経ち、イラン側は不満を募らせている。貿易や投資が進まないのは米国の圧力のせいだと非難しているが、米国では現在、大統領選挙と議会選挙を目前に控え、政府も議会も、制裁解除には極めて消極的だ。イラン核合意に強く反対するイスラエルのネタニヤフ政権の意向を汲む「イスラエル・ロビー」の影響が強く働いていると推測される。一方、イラン国民の間では、合意に対す懐疑的な見方が広がっており、制裁解除がさらに遅れれば、「合意を破棄した方が良い」という世論が高まる可能性がある。他方で、イラン核合意は、中東のパワー・バランスを変動させ、新たな対立を助長している。まず、イランとライバル関係にあるサウジアラビアは、イランの国際的な地位が高まることや、制裁解除によってイランが多額の収入を得ることを強く警戒している。今年1月には、イランと国交を断絶し、イラン非難を強めている。また、イスラエルのネタニヤフ政権は、イラン核合意は、イランの核開発計画を中止させるものではなく、将来の核兵器保有を可能にする「悪い合意」と見ている。そして、イランが原油輸出の再開で得られる資金を、対イスラエル攻撃やテロに使う恐れがあると強く警戒している。このため、イランによる合意違反を突き止め、再び制裁を科すべきだと強く主張している。将来の然るべき事態に備え、軍事攻撃の準備も継続している。
 今年2月のイラン議会選挙では、穏健派と改革派の勢力が大きく躍進し、保守強硬派が議席を減らした。その時点では国民の多くが、ロウハニ大統領の穏健路線や核合意を支持していた。ロウハニ大統領は対外関係を改善し、外国の資本と技術を導入して経済の立て直しを進めたい考えだ。制裁解除が発表された後、外国の要人や企業の代表がイランを訪問し、その豊富なエネルギー資源や巨大なマーケットを巡る進出競争が活発化した。他方、イランの保守強硬派は選挙で敗れたものの、一定の勢力を維持している。今後、制裁解除が期待通りに進まず、国民の多くが、「経済が良くなった」という実感を得られない場合には、ロウハニ政権への失望感が広がり、保守強硬派が巻き返す可能性がある。イランでは、来年5月に大統領選挙が行われる。穏健派のロウハニ大統領が再選されるかどうかは、今後の中東情勢にとって極めて重要だ。

3. サウジアラビア副皇太子の訪日、イスラエルのペレス前大統領死去
 サウジアラビアのムハンマド・ビン・サルマン副皇太子が、8月末、日本を公式訪問した。父親のサルマン国王の寵愛を受け、30歳の若さで副皇太子に抜擢されたほか、国防相や経済開発評議会議長も兼務し、国の経済、外交、防衛の重要事項を決める立場にある。野心的な性格で、イエメン内戦への軍事介入やイランとの国交断絶でも、重要な役割を果たしたとみられる。日本訪問の最大の目的は経済関係の強化で、自らが発表した『ビジョン2030』という、「脱石油」の経済改革計画への日本の協力をとりつけることだ。将来、国王になることが確実視され、日本贔屓ともいわれ、日本としては緊密な関係を築いておきたいところだ。他方、異例の抜擢で絶大な権力をふるっているため、軋轢や権力闘争が起きていると言われ、今後、サウジアラビアの王室内の動きも注視する必要がある。
 イスラエルでは、9月28日、中東和平に尽力したシモン・ペレス前大統領が亡くなった。1948年のイスラエル建国当初から国づくりに関わり、1993年の「パレスチナ暫定自治合意」の立役者のひとりだ。当時、外相だったペレス氏、首相のラビン氏、PLO議長のアラファト氏の3人は、翌1994年、ノーベル平和賞を同時受賞した。しかしながら、その後、紆余曲折を経て和平交渉は頓挫し、3人の指導者は和平の実現を見ないまま世を去った。現在、国際社会は、イスラエル・パレスチナ紛争への関心を失っているが、パレスチナ問題は中東の様々な問題と密接に結びついており、このまま放置すれば、中東に平和と安定は決して訪れない。新たな和平の枠組みを作り、交渉を再開する必要がある。ペレス氏のように、長期的なビジョンで和平の戦略を立てられる新たな指導者が、イスラエル、パレスチナ双方に現れることが望まれる。

(敬称略 / 講師肩書は講演当時 / 文責:貿易研修センター)

IISTサポーターズ(無料)にご登録いただきますと、講演会、シンポジウム開催のご案内、2010年度以前の各会及びシンポジウムページ下部に掲載されている詳細PDFとエッセイアジアをご覧いただける、パスワードをお送りいたします。


担当:総務・企画調査広報部