第157回 中央ユーラシア調査会 報告/ 「日露首脳会談と北方領土問題」新潟県立大学 教授 / 青山学院大学 名誉教授 袴田 茂樹(はかまだ しげき)【2016/12/20】

日時:2016年12月20日

第157回 中央ユーラシア調査会
報告 「日露首脳会談と北方領土問題」


新潟県立大学 教授
/青山学院大学 名誉教授
袴田 茂樹 (はかまだ しげき)

1. 北方領土に関する原理原則と交渉の基本方針
 北方4島に関しては、10月3日の衆議院予算委員会で民進党の前原誠司衆議院議員が、岸田文雄外務大臣に「『4島の帰属問題』と言われるが、これは日本への帰属か?」と質問した。「4島の帰属問題を解決し、平和条約を締結する」というのは、日本の歴代首相や外相、官房長官が対露政策の基本方針について尋ねられた際、繰り返し述べてきた言葉で、1993年の「東京宣言」に含まれる文言だ。
 この質問に対して、岸田外相は本来であれば「もちろん、日本への帰属だ」と言いたかっただろうが、言葉を濁し、「4島は日本の島である」、そして「4島の帰属問題を解決して平和条約を結ぶために努力している」と2つに分けて説明した。それに対し、前原氏が「なぜ2つに分けて説明するのか。私は4島の帰属とは日本への帰属かと聞いているだけだ」と問い詰めた。岸田外相は再び明確に答えるのに躊躇し、やはり2つに分けて答えようとし、前原議員は同じ問題を追及して、議論がもたついた。この状況を見て安倍晋三首相が「私から答える」と言い、「4島は日本の固有の領土だ。この問題解決のための基本方針は、4島の帰属問題を解決して平和条約を締結することで、これに一言も付け加えることはない」として対話を打ち切った。
 議論がこのような展開になったのは、北方領土問題の「原理原則の問題」と「対露交渉の基本方針」が理論的には2段構えに区別されていることを、3人ともはっきり理解しているからである。つまり原理原則の問題としては、歴史的にも法的にも4島は日本の島、日本固有の領土だ。しかし、交渉にあたって原理原則を正面に出してそれを認めることを前提にすれば、相手が交渉のテーブルに着くはずはない。したがって、交渉の基本方針を別にしているのである。この際、「帰属」という言葉は本来、ニュートラルな表現で、「返還」という意味ではない。しかし最近は「返還」という意味で誤用されるケースが増え、一部の辞書もこれを載せるようになった。ここに混乱が生じている。
 日本の対露交渉、平和条約交渉の基本方針はすなわち4島の「帰属」交渉は中立的表現で「日本への帰属」という結論は述べておらず、強硬論ではない。これとは別に、「4島は法的にも歴史的にも日本の領土あるいはわが国固有の領土」というのは原理・原則の問題だ。前原氏はこの区別がよくわかっているため、外相が答えにくいのを承知で質問した。岸田外相は、まもなくロシアのプーチン大統領が訪日するという時期に「日本への帰属だ」などと言えば、交渉そのものを蹴ることになる。安倍首相もそれをわかっているから、「固有の領土」という原理原則の部分を述べた後に、この問題に対する「基本方針は……」と2つに分けて説明したのである。一般国民はもちろん、外務省も含め、政府関係者、政治家、ロシア専門家、ジャーナリストでも、この問題を理論的にきちんと理解している者は少なく、それが北方領土問題に関する議論や報道の混乱を招いている。

2. 政治決着への3つの条件
 私は北方領土に関して以前から、最終的には両国首脳の政治決着以外になく、そのためには3つの条件が必要だと言っている。政治決着とは、どちらかの原理論が100%通る訳ではないということだが、このような交渉事で政府関係者や専門家がその落としどころを先に言うのはナンセンスだ。先に落としどころを言えば、そこから「値引き交渉」が始まる。交渉はあくまでも両国政府責任者が非公開で、徹底的に行うべきだ。
 3つの条件とは第1に、両国に安定した強い政権が成立していること、第2に首脳間に信頼関係が存在していること、第3に、この問題の解決によって、日本だけでなくロシアにもメリットがあるということをロシア側が理解する状況が生まれることだ。
 ロシアでのプーチン大統領の支持率は80数%で、日本の安倍政権も安定しており、長期政権になるとみられる。しかし、私はプーチン大統領に領土問題を解決する意思と力があるかということに疑念を抱いており、「今こそ、交渉の絶好のチャンスだ」という見方には懐疑的だ。ロシアの世論調査の結果は特殊な意味を持っている。2011年には議会選挙などがきっかけとなり、反プーチンの大規模なデモや集会も行われている。その後、ここ数年、ロシアの経済や社会の状況は悪化している。そのような中、2014年3月のクリミア併合を機に、プーチン大統領は「失った領土を取り戻した偉大な大統領」ということで、支持率が急騰した。その後はシリアでの空爆を開始し、「世界にロシアの力を示した偉大な大統領」ということになり、支持率は89.9%にまで上昇している。プーチン大統領の支持率はこのように、ロシア国民の大国主義的なナショナリズムを大いに満足させたがゆえに上昇したもので、経済や社会が良くなったからではない。このため、プーチン大統領が「第2次大戦後ロシア領となり、国際的にも認められている」と主張する北方領土を日本に返還できる状況にあるとは思えない。
 第2に、安倍首相とプーチン大統領の信頼関係だが、これも安倍首相が思っているほど、あるとは考えられない。今回のプーチン大統領来日でも、共同記者会見の際、安倍首相はファーストネームやロシア語の「君、俺」という親しい関係で用いられる呼び方で呼びかけたが、プーチン大統領は多くの場合「総理大臣閣下」、「安倍総理大臣」という形でかなり形式的に答えていた。また今年9月5日の中国・杭州におけるG20首脳会議でのロシア人相手の記者会見で、「安倍首相はファーストネームで呼びかけ、領土問題で歴史的決断をしよう、その責任を担おうと熱っぽく呼びかけたが」と問われた際のプーチン大統領の答えは、「彼は立派な政治家で能弁家だが、(9月3日の)ウラジオストクでの会談における彼の価値はそこにあるのではなく、彼が8項目の協力案とその実現について述べたことだ」という辛辣なものだった。さらに、「安倍首相があなたを東京でも伊勢志摩でもなく、山口に招いたことをどう評価されるか?」という問いに対しては、「問題は日本がその行動や対外政策の選択を、大概は米国の見解に沿って行っている、ということにある」と答えている。これはやや的外れな答えにも見えるが、裏がある。国家元首が公式に東京を訪問する際には、天皇陛下との会見を設定するのが通例となっている。しかし、G7諸国が対露制裁を行っているときに天皇陛下が国賓としてプーチン大統領を迎えるのは難しい。また、伊勢志摩はG7サミットを行った場所で、プーチン大統領をここに迎えれば、G7議長国の日本はロシアをG7の他の国々と同じ扱いをした、対露制裁網を破ったという意味にもなる。
 実は、ロシア側は日露首脳会談について、山口だけでなく東京でもやりたいと言っていた。公式の理由としては、大型の経済ミッションを連れてくるので、長門市にはそのようなホテルもないだろうし、経済の中枢は東京だからということだった。その際、あわせて「天皇陛下との会見はなくても良い」と言ってきている。これは、安倍首相が東京でなく山口にこだわるのは、天皇陛下との会見を避けようとしているためだとロシア側が考えていたということだ。今月15日は、欧州連合(EU)がシリア問題などに関して共同でロシアへの非難決議をし、対露制裁を半年延ばすと決めた日で、また米国のオバマ大統領が大統領選に関するハッキング問題でロシアへの報復措置を行うと表明した日でもあった。日本としては、ちょうどその日にプーチン大統領を迎え、親密度の高さを演出する形となった。
 今年9月には、サウジアラビアの国防大臣で経済関係を統合する委員会のトップでもあるムハンマド副皇太子が訪日し、安倍首相の配慮で例外措置として、天皇陛下との会見を設定している。このため、東京にも行くが「実務会談だから、天皇陛下との会見はなくても良い」というロシア側の発言は、「プーチン大統領をムハンマド副皇太子以下に扱うのか」という、ある種の挑戦状のような意味を含んでいたと思う。また、「実務会談だから」という以上、日本は経済協力の面で熱意を示さなければバランスが取れなくなり、ロシア側にメリットがある。その意味で私は、交渉の腕はロシアの方が数段上だという見方だ。

3. 東京宣言を認めていたプーチン大統領
 北方4島についてプーチン大統領は、以前は東京宣言を認めていた。ロシア側は現在、東京宣言に署名した(1993年)ことを平和条約交渉の最大の失敗と見ている。そこで、東京宣言を否定するため、両国の国会で批准され法的効力を持つのは「56年宣言」だけという言い方をしている。しかし、プーチン大統領自身、2001年のイルクーツク声明や2003年の日露行動計画などでは、東京宣言が平和条約締結のための重要な合意だと認めている。国際的には、批准されていなくても重要な合意は多い。また、1980年発効の「条約法に関するウィーン条約」は、両国、あるいは3ヵ国以上の首脳、もしくは全権代表が署名した文書は、その名称如何にかかわらず、そのときに「批准が必要」という合意がない限り、条約として効力を持つとしている。
 東京宣言の最大のポイントは4島の帰属問題を解決し、平和条約を締結するということで、歯舞、色丹だけでなく、国後、択捉も含む4島の帰属問題が、未解決の領土問題として残っていると認めたことだ。プーチン大統領もこれを認めていたが、2005年9月、国営テレビで自らこれをひっくり返し、そのとき初めて、北方四島のことを示す「南クリル」が「ロシア領となったのは、第二次世界大戦の結果で、国際的な文書、国際法でも認められている」という言い方をした。
 一方、安倍首相はプーチン大統領との会談に関し、ロシアとの共同経済活動を「特別の制度」の下で行うことで合意したと説明しており、外務省のブリーフ・ペーパーにも「四島において共同経済活動を行うための特別な制度に関する協議の開始に合意した」と書かれている。しかし、「別添」として出されたプレス向けの声明を見ると、「特別な制度」という言葉が抜けている。特別な制度とは、日本でもロシアでもない法的な枠組みを指すが、このような制度はそう簡単にできるものではない。
 また、ロシア側がこのような制度を認めるはずはなく、共同経済活動についてはウシャコフ大統領補佐官が「ロシアの法律の下で行う」と述べている。また、プーチン大統領との信頼関係が最も厚い人物の1人であるマトビエンコ上院議長は11月に来日した際、「クリル諸島に対するロシアの疑う余地のない主権が国際法律文書によって規定されており、島に対するロシアの主権は明白である。この件でのロシアの立場は不変である」とし、さらに「クリル諸島での共同経済活動はロシアの管轄権下、ロシアの法律の枠内でのみ可能」と述べている。マトビエンコ上院議長の目的は、プーチン大統領訪日による領土交渉進捗への日本での高まり過ぎた期待を抑え、日本側を牽制することでもあっただろう。その意味では、これは「駆け引き」のための意図的な強硬論とも言えるが、この見解はプーチン大統領やロシア指導部の本音とさほど離れていないと思う。主権に関わる事項は大統領の専管事項であり、マトビエンコ上院議長やウシャコフ大統領補佐官がプーチン大統領とは異なる独自の意見を述べることはあり得ない。このため、プーチン大統領が安倍首相と話した際には、公表されていない特別な譲歩発言をしたということもないと思う。

(敬称略 / 講師肩書は講演当時 / 文責:貿易研修センター)

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担当:総務・企画調査広報部