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日米交渉「牛肉」待ったなし~TPPの「つまみ食い」ありか 一般社団法人 共同通信社 編集委員兼論説委員 石井 勇人【配信日:2017/02/28 No.0264-1033】

配信日:2017年2月28日

日米交渉「牛肉」待ったなし~TPPの「つまみ食い」ありか

一般社団法人 共同通信社 編集委員兼論説委員
石井 勇人

 トランプ米大統領が環太平洋連携協定(TPP)から「永久離脱」する大統領覚書に署名、協定の発効は不可能になった。安倍首相はトランプ大統領との会談で「経済対話の枠組み」の新設で合意、日米の通商課題は二カ国間交渉に主軸が移る。特に牛肉の関税引き下げは、米国の畜産業界にとって焦眉の課題だ。

 米国のTPP離脱は、協定署名国に驚きと衝撃を与え、「保護主義に傾斜する」という不安が広がっているが、TPPの漂流はかなり前からある程度予想されたことだ。1年前に米大統領選挙が本格化する以前から、共和・民主両党が超党派的にTPPに反対してきた。協定によって企業や投資家の力が強くなり、製薬や金融など一部のグローバル企業だけが恩恵を受け、製造業の労働者は雇用を奪われ賃金が下がるという不安が根強い。トランプ大統領が選挙に勝利したのは、こうした不安を巧みにすくい上げたからだ。

 1年半前の本欄(IIST e-Magazine 2015年9月30日配信の「TPP交渉の難航の背景を考える」)で、筆者は「TPPはすでに漂流」という悲観的な記事を書き、その翌月にTPPが大筋合意した時点で、一部の読者から「頭を丸めたら」と冷やかされた経験がある。しかし、筆者は根拠がないまま「漂流」と書いたわけではない。米国の通商政策に関して、筆者は一貫して、オバマ大統領の姿勢よりも、共和党が支配する米議会の動向を重視してきた。理由は単純だ。米国の憲法で通商協定を結ぶ権限は連邦議会にある(第1章第8条第3項)とされてきたからだ。

 当時の「反省文」(IIST e-Magazine 同年10月30日配信の「TPP大筋合意、協定発効に不確実」)と重複するので詳述は避けるが、2015年の通商促進権限法(TPA)の審議の経緯と、その直後の同年7月にハワイ・マウイ島で開かれて決裂したTPP閣僚会合を注意深く観察すれば、形式的な「大筋合意」ができたとしても実際に協定が発効するまでに、長い、長い紆余曲折が予想できた。

 実際に、2016年2月に日米を含む協定参加12カ国が署名した協定文には、議論が煮詰まらない点を先送りしたり、あいまいな表現で解釈次第で紛糾の余地を残し、サイドレターで将来の再交渉を約束したりする項目が多く、仮に大統領選挙でクリントン候補が勝利したとしても、大幅な修正を加えない限り発効は無理な内容だった。

 では今後、各国の通商政策はどうなるだろうか。保護主義の蔓延を防ぎ、貿易や投資の自由化を促進するために、「TPPが漂流しても、メガFTAの推進を優先するべきだ」(ピーター・ペトリ米ブラインダイス大教授)という主張が多い。日本と欧州連合(EU)の経済連携協定や、環大西洋貿易投資協定(TTIP)、日本、中国、韓国、インド、オーストラリアなど16カ国が参加する東アジア地域包括的経済連携(RCEP)の合意が成立すれば、それが圧力となって米国はTPPに復帰し、ゆくゆくはこれらメガFTAを連結・拡大できるという主張だ。

 しかし、これらTPP以外のメガFTAに対して、筆者は懐疑的だ。これらの協定も政府レベルで「大筋合意」できるかもしれないが、発効までに時間が掛かる点でTPPと同じだ。特に欧州ではフランス、ドイツなどで選挙を控えており、中途半端な内容で調印を急げば修正も容易ではなくなり、TPPと同様「漂流」の危険さえある。

 トランプ政権が日本に対して包括的な二カ国間自由貿易協定の締結を求めるという観測があるが、筆者はその可能性も低いとみる。日米FTAは交渉にも批准にも時間が掛かるからだ。

 保護主義の蔓延を防ぐには、トランプ政権の「報復措置」を現実にしないことが最も重要だ。報復が報復を呼び、口先だけの保護主義が本当の保護主義に「進化」するからだ。そのためには、政治的に理不尽で、経済的な合理性がなくても、米国側の「不安」をいち早く取り除くことが先決だ。スピードを重視するトランプ大統領は、80年代の市場重視型個別協議(MOSS)のような分野別の短期決戦型の個別交渉を望むだろう。

 その場合、日米二カ国間交渉は牛肉と自動車が焦点となるだろう。トランプ大統領の発言には誤認や矛盾も多いが、日本に対して選挙運動中から一貫して、しかも具体的に繰り返し発信してきたことがある。それは「もし米国産の牛肉に38.5%の関税をかけるなら、日本産の自動車に同率の関税をかける」というフレーズだ。トランプ大統領の脳裏には「38.5」という数字がしっかりと刻み込まれている。それは、牛肉に関して米国側に「待てない」事情があるからだ。

 TPPに先だって2014年7月、日本はオーストラリアと経済連携協定(EPA)を結んでいる。牛肉に関しては、原則38.5%とされる関税を毎年段階的に引き下げ、冷蔵肉は15年目に23.5%、冷凍肉は18年目に19.5%になる。一方でTPPには牛肉の関税を発効時に27・5%、その後16年目で9.0%まで引き下げることが盛り込まれている。TPPが発効しない限り、米国の牛肉関税は38.5%のままで、オーストラリア産は毎年引き下げられるという「時限装置」が働いているのだ。

 TPPの発効が遅れれば遅れるほど、米国産牛肉の対日輸出は不利になる。オーストラリア産の関税は2017年4月1日から、さらに前年比0.6ポイント引き下げられ、29.9%になる。米国産との差は8.6ポイント。いくら関税より為替相場の影響が大きいとは言え、10ポイント近いハンディは米国産牛肉には重い。

 さらに米国にとって深刻なのは、オーストラリア産牛肉の品質が飛躍的に向上していることだ。かつてはハンバーガーのパテに使う冷凍が主力で、米国産の冷蔵(チルド)と、すみ分けていたが、日系企業がオーストラリアに進出して高級牛肉を輸出している。「ハンバーガー用の安い冷凍品」というのは完全な神話だ。

 この劣勢を米国の畜産・食肉業界が指をくわえてみているわけがない。この業界は伝統的に共和党支持層が多く、今回の大統領選挙でも畜産が主力の州は軒並みトランプ氏が制した。

 この「牛肉交渉」に対して、日本の対応は多少理不尽でも「一方的な譲歩」がベストだ。つまり、トランプ政権の圧力を受けて米国産牛肉の関税をオーストラリア産と同率にするのではなく、TPP調印国すべて、つまりメキシコ、カナダを含めて、TPPに盛り込まれた牛肉の関税引き下げを一方的に前倒し、一気に「TPP発効時並み」の27.5%とすることだ。

 牛肉の対日輸出は、オーストラリアと米国が圧倒的多く、カナダ、メキシコが少量輸出しているだけだ。オーストラリアは米国産に対する税率面での優位を失うが、これはTPP署名時点で分かっていたことだ。打撃を受ける日本国内の畜産業者への対策もすでに整備されている。どうせ、いずれ牛肉の関税を引き下げるなら、安倍政権としては早く大胆なほどよい。「米国が保護主義に傾斜するのを防ぐためのコスト」と割り切れば、「牛肉のつまみ食い」は、意外と早く実現するだろう。
(本稿は2017年2月13日段階で執筆し、個人的な見解であり所属機関とは一切関係ありません)

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