第70回-1 中央ユーラシア調査会 「米国戦略の変化と中央アジア」防衛大学公共政策学科教授 /元イラン大使、ウズベキスタン大使 孫崎 享【2007/01/17】

日時:2007年1月17日

第70回-1 中央ユーラシア調査会
「米国戦略の変化と中央アジア」


防衛大学公共政策学科教授
/元イラン大使、ウズベキスタン大使
孫崎 享

孫崎 享1.ウズベキスタンと米ロの関係変化に見られる5つの時期
 ウズベキスタンへのアメリカの対応は非常に変化しており、これに応じてウズベキスタン側の対応も変化せざるをえない。私がウズベキスタンへ赴任した1993年以降のウズベキスタンと米ロの関係は、5つの時期に区分できる。まず第1期として、1993年から1995年までの時期がある。1993年にはロシア経済は崩壊しており、ロシアは国際通貨基金(IMF)に支えられていた。IMFはロシアに財政カットを迫り、旧連邦の独立した国々への支援もやめるよう圧力をかけたので、ロシアは支援のカットを決めた。ロシアはとくに新たなルーブルの発行を予定していたが、ウズベキスタンにはこの新ルーブル券を渡さないこととした。したがって旧ルーブルは使えず、新ルーブルももらえない、また自分たちの新札発行も予定していないという貨幣のない状態が、1993年6、7月にウズベキスタンで生じた。その頃、アメリカはカザフスタンを除く他の中央アジア諸国には関心を持っておらず、混乱を防ごうという気もなかったようだ。
 このようにロシアによってひどい目に遭わされたこともあり、ウズベキスタンは早い段階からロシア離れを進めようとした。しかしロシアは大国で一方的に離れることは難しく、また1994年ごろからは特殊利権の国々として再び旧ソ連の国々に関心を持ち始めた。ロシアからの独立は容易でなかったために、ウズベキスタンは94年から95年ごろ、アメリカを引き込もうとし始めた。米国務省は当時、カリモフ大統領を独裁者と見なしていたが、95年末には米国防省の特別チームがウズベキスタンに入った。この時期は、ロシアが特殊利権を追求し、米国との軍事協力が始まった第2期と言える。
 そして2001年の米国同時多発テロ事件(9.11)後が、第3期だ。2002年3月にはカリモフ大統領が訪米、米国はウズベキスタンとの戦略的パートナーシップに署名し両国の関係はピークを迎えた。しかし第4期にあたる2003年のイラク戦争後、米国は「何よりも民主化が必要」と言い始めた。これは2004、05年ごろであり、ターゲットは中東諸国だったが他の地域にも影響し、旧ソ連の国々も民主化すべきということになった。
 しかし最近また、新たなモメンタムが出てきた。先の米国の中間選挙ではイラク戦争に絡み、基本的にブッシュが敗北した。多くの人はこれでイラクから撤兵だと思ったが、イラク派兵は増強されている。では誰がどのような論理でこれを支持しているのかを見ると、以前とは様変わりしている。イスラエル政府は別として、米国内のユダヤ人も撤兵を支持し、現在、派兵を支持しているグループは「ウォールストリート・ジャーナル」、イスラエル、そして軍だ。軍は現在、「退くわけにはいかない」としているが、一方で軍の中心的人物が「イラクでの民主化などできるわけがない」と発言している。民主化はできないが、アメリカが引いてしまえば、大変なことになるので頑張らざるをえないというような状況だ。これは中央アジアとの関係においても、民主化が最大の戦略ではなくなったことを意味する。現在のこのような状態を、第5期と見ることができる。

2.アメリカの戦略変化と中央アジアへの影響
 アメリカでは1987年ごろから、「ソ連が崩壊した際にはどうするか」という議論がなされるようになった。当時、ソ連のゴルバチョフ大統領は「われわれが敵でなくなれば、あなたたちの軍もなくなるかもしれない」とパウエルらに言うようになった。パウエルはこれに驚き、アルバートフもこれについて新聞で言及するなどした。これに対して、ソ連崩壊後も「ロシアは依然として脅威だ」と言い続けたのがチェイニーらだ。このようにチェイニーとパウエルらの対立は、80年代末ごろから続いている。しかし、この「脅威がなお存在する」という主張は、次第に説得力を持たなくなった。
 このような状況で、1990年8月には、当時のブッシュ大統領による演説があり、「地球規模の緊急展開と即応力強化の最優先」、そして「抑止力維持を目的とした軍事技術開発への取り組み」が必要とされた。また1991年にはパウエルなど国防省制服組の主導で、「基本戦力(the base force)」構想がつくられ、そこでは単一的なソ連の脅威は消滅し、多様な脅威の存在に対処する必要性が強調されている。また国家としてはイラク、イラン、北朝鮮等が脅威的存在に想定され、大量破壊兵器の危険もあるとされた。したがって、9.11の際に見られたロジックは、実は1991年にほとんど確立されていた。翌年前半には、「米国の政治的軍事的任務は、他の超大国の出現を許さない」などとする秘密のペーパーが、国防省でつくられていたことが報道された。1992年の大統領選挙では、民主党のクリントンが勝利し、「ボトム―アップレビュー」が作成された。この中では大量破壊兵器の拡散などの脅威を招かないための戦略として、(1)米国の指導体制を維持する、(2)同盟体制の強化を図るため、同盟国の貢献を必要とする、という点を挙げている。
 米国務省の政策企画部長を務め、外交評議会の会長をしているハースという人物が最近、イラクからの撤退は、「米国が他の地域に必要としている軍事展開にプラスになる」という見解を示している。これはかなりの部分、ロシアを念頭に置いており、その中の相当部分は中央アジアに関係していると思う。ロシアは今、基本的にはアメリカの介入を恐れることなく旧ソ連での支配権確立を目指している。ロシアとアメリカ、または中国といった勢力のバランスが、中央アジアで今後どうなるかは、イラク戦争がどうなるかという問題とも結びつく。
 中央アジア諸国は人口を見ても経済力に関しても、非常に弱い国々と言える。これに対して関心を持っている国々には、ロシア、中国、アメリカ、イランがあるほか、最近はインドも関心を示しているようで、これらはいずれも大きな影響を及ぼしうる国々だ。中央アジアが全体でまとまることはなさそうな点を見ても、外国がこの地域に影響を及ぼす可能性は非常に大きく、その中心的存在はアメリカだ。したがって中央アジアの動向を見る場合、単にこの地域だけを見るのではなく、アメリカの全体的な政策がどうなっているのかを見たうえで位置づける必要があるだろう。

(敬称略 / 講師肩書は講演当時 / 文責:貿易研修センター)

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担当:総務・企画調査広報部