平成18年度 中央ユーラシア調査会公開シンポジウム -第72回 中央ユーラシア調査会-「独立15年、中央アジアの政治と経済-関係国の民主化評価と外交戦略」【2007/03/15】

日時:2007年3月15日、場所:世界貿易センタービル スカイホール「マリーン」

平成18年度 中央ユーラシア調査会公開シンポジウム
-第72回 中央ユーラシア調査会-

「独立15年、中央アジアの政治と経済-関係国の民主化評価と外交戦略」


パネル報告(1)田中 哲二・東芝常勤顧問、国連大学長上級顧問
「中央アジアの現状と課題」

田中 哲二 日本では一口に中央アジア、南コーカサスと地勢的に言うが、現地の人たちが自分たちを「中央アジアの人間だ」という意識を持っているかと言うとやや疑問がある。そしてこれらの国々は政治経済的にも、必ずしも一枚岩ではない。1991年にソヴィエト連邦から独立した中央アジアの国々ではたいてい、その段階で大統領になった人間がソ連時代の共産党幹部時代を含め過去18年間ほどトップに立ってきた。昨今の政治経済で一番大きな動きは、それらの長期権威主義と言われた政権が、何らかの状態で交替し始めたことだ。
 ここ2年ほど、1つはいわゆる「カラー革命」が連発した。しかし革命後も、民主化の進んだ国民国家が成立することにはならなかった。理由はいろいろ考えられるが、かつての政変では地区の共産党第一書記や書記長だった人たちが横滑りするような形で大統領になっており、トップからの民主化は難しかったということだろう。また多民族国家が多く、ナショナル・アイデンティティーの確保も難しい。さらに急速な市場自由化や国際化に耐えていけなかった国々が、経済面で混乱したまま残った。
 日本から見ると、これらの国々が独立し、米同時多発テロ事件(9.11)の後に米軍を中心とする西側勢力が入り込んだことで、東西冷戦のフロント・ラインが消えたようにも見える。しかし例えばキルギス共和国では、首都の片方に米軍の、もう片方にロシア軍の空軍基地があるような形でフロント・ラインが細分化、域内に内在化されている。9.11以降、これらの国々は国際テロ撲滅戦線に参加し、各国の中にあった反政府運動的なものも、テロ撲滅の一環として封じ込めることが国際正義を持ってしまった。これに対する反発が強まった側面や、政権内の腐敗が横行していたこともあり革命が連続して起った。
 もう1つの要因として、権威主義的大統領の急死がある。中央アジアの中でも最も権威主義度が高かったといわれるトルクメニスタンのニヤゾフ大統領が昨年12月に死去し、2代目の大統領が選出された。これまで孤立的であったトルクメニスタンがどのような形で地域内での協調的な動きに転ずるかが今後大いに注目される。

 さらに9.11以降、米軍等の中央アジア進出があり、それに対して現在はロシアの巻き返し、つまりロシアがこの地域でのプレゼンスを再び強めるといった動きが見られる。中央アジアの民主化の問題、権威主義的政権のあり方を考えるとき、以下のようなことが言える。これらの国々は独立したとき、非常に独裁度、権威主義度の高い政権としてスタートし、それに対して市場経済化はなかなか進まなかった。例えば東アジアの韓国の軍事政権、シンガポールのリー・クアンユー政権なども、国づくりを始めたときは権威主義的だったが、国民経済の成長、国民生活の向上、市場経済化が進むことにより、政権の側も民主化を進めていかなければならなくなった。そしてある時期に、政治と経済が妥協する段階に達し、革命などが起きることもなくある程度の民主化に裏づけられた安定した政権が継続するようになった。一方、中央アジアでは、一部の国では多少民主的要素が出てきているが、相変わらず権威主義的政権が続いている。経済の成長は東アジアほど恵まれず、政治と経済がソフトランディングする段階には到達していない。強圧的政治による統治の必然性がある程度続かざるをえない状況が残ってしまっていると言うことになる。

開催風景

パネル報告(2)孫崎 享・防衛大学校教授、元ウズベキスタン大使
「米国と中央アジア」

孫崎 享 国際政治を見ていると、やはり今日、一番重要なのは、アメリカの意図をどう見極めるかだと思う。アメリカがどう能動的に動くかを見ることが重要で、また国内政治との関係を考える必要もある。
 中央アジアの国々はさほど大きくないが、これに関心を持つ国には、アメリカ、ロシア、中国、イラン、インドがある。これらは本気で出て来れば、この地域がひとたまりもなく動いてしまうような国々で、中央アジア諸国はそれに合わせて動かされざるをえない。中央アジア諸国が独立した後の国際関係の変化について、ウズベキスタンを中心に考えれば主に5つの時期に分類できる。まず国家建設を行わなくてはならなかった第1期の1993年から94年は、米国とロシアに突き放された。これはアメリカが悪化していたロシア経済の改善を最重視し、ロシアに中央アジアへの支援をカットするよう圧力をかけたためだ。その後、ロシアが少しずつ充実していく中で、中央アジアはロシアの特殊な影響圏ということになっていった。アメリカにとっても、ロシアの影響圏が増えるのは困ることで、再び中央アジアに目を向けるようになった。このようにして第二期の米国による支援が開始された。
 続いて第三期は、9.11以降、いわゆるテロとの戦いが前面に出てきたときで、とくにアフガニスタンとの関連で、中央アジアとアメリカの関係が一気によくなった。しかし第四期の段階にあたる2003年前半には、イラク戦争がアメリカにとって成功したように見えた時期があり、アメリカの政策全体がアグレッシブになり出した。中東地域をみな民主化することを強烈に打ち出し、これによってイラクで成功したものを他の中東地域にも持っていく、中央アジアの民主化も同様に進めるという雰囲気になってきた。この第四期中央アジアを含む旧ソ連では、「バラ革命」などの動きがあった。次いで第五期にはイラク戦争が泥沼化し、民主化に関するアメリカの方針も変化した。イラク戦争、イランとの戦いを行わなければならないときには民主化は少し抑え、戦略的に都合のよい国と連携を行おうとするようになり、例えばサウジアラビア、イスラエル、アメリカ連合というものが模索されるようになった。
 私はアメリカがそろそろ中国やロシアに対し、戦略を見直さなければならないと思うが、できそうにない。先の中間選挙でブッシュ政権はイラク問題が焦点となり敗北したが、イラクからは出て行かない。次の大統領を見ても共和党は基本的にブッシュ政権を踏襲し、有力な対抗馬のヒラリー・クリントンも、ある程度の米軍を残すとしている。さらにアメリカでは、次の焦点としてイランがある。中東に閉じ込められた軍事戦略と外交戦略の流れの中で、中央アジアに対する本格的な外交は展開できないだろう。それは力をつけてきたロシアが、これまで以上に中央アジアに進出していくことを意味する。
 ウズベキスタンのカリモフ大統領が1993、94、95年ごろに一番嫌だったのは、ロシアが来ることだったが、今はロシアと手をつなぐという選択をしている。一番大きな要因は、アメリカの軍事外交戦略が中東にとらわれ、他の地域に転換できないことだ。間隙を突いた形で、ロシアが力をつけてきている。このような状態になれば当然のことながら、中央アジアはロシアと仲良くせざるをえないと思う。

パネル報告(3)中嶋 嶺雄・国際教養大学学長
「中国と中央アジア」

中嶋 嶺雄 歴史的に中華帝国では、皇帝の周辺に「内臣」という諸侯が存在し、これらは「法」「礼」「徳」によって感化されなければならなかった。その外側にあるのが「外臣」で、これは「礼」と「徳」によって、その周辺の「朝貢国」は「徳」によって感化され、ここまでが中華帝国の版図だった。近代以降、清朝末期になると、モンゴルなどが中露の緩衝地帯として勢力の角逐する場になった。そして当時のソ連がモンゴルの民族対立を利用して、1921年にはモンゴルをソ連の衛星国につくりあげた。 その辺りから中国は徐々に中央アジアに対する認識も持つが、それまで中央アジアは圏外の地域だった。中国の中央アジア認識が始まるのは、モンゴルがソ連領域になったこと、そして東トルキスタン独立運動がウィグル族を中心に起きたことからだった。
 中国にとって中央アジアは、いわばチャイニーズ・ワールド・オーダーの外にあるにも関わらず、非常に利害が密接する地域となっている。そう認識することになった1つの大きな原因は、ウィグル族の民族独立運動だ。トルコ系のウィグル族には、全く国境の意識がない。あの辺りには約3000万のトルコ系民族がおり、そのうち中国の自治区になっている新疆のウィグルには、7800万のウィグル族がいる。中国はそこに自治を与えると言いながら、完全に支配している。 最近では西部大開発や上海協力機構をつくり、アフガニスタンのテロリズムを封じ込めようとしており、中央アジアはそのような状況の中に位置づけられつつある。
 中国は今、軍事力を強化し、約1200億米ドルの軍事費を持っている。中国がなぜそれほど軍事力を増強するかと言うと、1つは国内的な統治の必要性があると思うが、もう1つは台湾海峡の危機に備える意識だろう。そのような状況を今、「米中新冷戦」と私は規定している。そうした中で中国は、中央アジアのどの国とも手を握りたいというのが本音ではないか。上海協力機構は名前からしても、中国がかなりイニシアティブをとっている。また中国はトルクメニスタン、ウズベキスタンなどに接近し、タジキスタンにも借款を与えるなど、なりふり構わずエネルギー政策を進めている。このような状況下で私は、対米関係の強化が日本にとって重要だと考える。 同時に中国やロシアの中央アジア政策を見ながら、日米関係をどう強化していくかだ。そして日本がどのような分担をなしうるかという戦略的構想力も必要だ。

パネル報告(4)袴田 茂樹・青山学院大学教授
「ロシアと中央アジアの関係」

袴田 茂樹 中央アジアではソ連時代、ある意味で分割統治が行われていたと言ってよいと思う。ソ連とモスクワが恐れたのは、「統一イスラム圏」という形で中央アジアが自律的な動きをすることだった。いくつかの国の国境は非常に入り組んでいるが、これは政治的意図でこのようになったとの解釈がある。ただソ連時代には近代化政策や教育も熱心に行われ、教育を通じて人々が民族意識や宗教意識で固まることを避けようとしていた。産業もそれなりに振興をはかったが、綿などモノカルチャーに特化し問題もあったと思う。ソ連時代にはまた、形の上では民族出身者がトップに立っていたものの、実権はロシア人が握るケースも少なくなかった。しかし91年にソ連邦が崩壊し、中央アジア諸国は独立せざるをえなくなった。中央アジア諸国には必ずしも独立運動が強くあった訳ではなく、そのような意味では時代の流れの中で、気づいてみたら独立国になっていたと言った方が正しいかもしれない。
 90年代、ロシアにとって中央アジアは公式的には対外政策の上部に置かれていたが、実際にはロシア経済が破綻していたために支援する余裕などなく、足手まといだという見方さえあった。また中央アジア諸国も欧米諸国や日本に、支援を期待しており、このような中で民族化が進み、組織間のトップを民族の出身者が占めていくプロセスも進行した。
 しかしプーチン大統領の時代には、見方が少し変化し、ロシアは中央アジアにおける特殊利権を意識するようになった。とくに転機になったのが、9.11事件で、プーチン大統領自身が米軍の中央アジア駐留を認めながら、その後、対抗して自らの軍事的なプレゼンスを意識するようになった。背景にはロシアの経済状況の改善があり、中央アジア諸国も経済力をつけたロシアに関心を持つようになった。このようにロシアの影響力は強まってきているが、一方でロシア人は、中央アジアへの中国の進出などに対する不安も持っているようだ。
 ロシアでは今年1月、新しい移民法が採択された。公式的には2005年、CIS諸国からロシアへ流入した労働力は70万と言われているが、これは全体の実数の7%から10%に過ぎないと見られ、残りの90%は非合法に働いている。その数は550万人以上と言われ、このような状態が進むとロシアで失業問題、その他深刻な問題が生じるので、これを統制しようとして新たな移民法、移住法を発布した。しかしロシアでは今、労働力が決定的に不足しており、これらの労働力なしに産業、商業なりがうまくいくかと言うと難しい。各国も今、自国の労働者が何とか合法的に働けるよう慌てていろいろな措置をとっている。ウクライナとのガス戦争、あるいはその後にベラルーシとの石油戦争が報じられたが、今は移民戦争という言葉も生まれたりしている。

パネル報告(5)片上 慶一・外務省欧州局参事官
「日本の中央アジア外交」

片上 慶一 ロシアと中国にはさまれ、アフガニスタン、イラン、パキスタンに隣接する中央アジアには地政学的重要性がある。中央アジア諸国が独立し、特に重要になっているのは、エネルギーの観点、そして安全保障の観点からである。9.11は中央アジアの地政学的重要性を、端的に世界に再認識させた。
 日本が過去15年間にどのような外交を展開してきたかについては、三つのフェーズに整理できる。外交関係開設後は、さまざまな法制度づくりや経済協力による国造り支援を行ってきた。1997年には、当時の橋本龍太郎総理がシルクロード地域諸国、中央アジアとコーカサス諸国への外交を3つの方針にまとめたシルクロード外交を提唱した。1つは「信頼と相互理解強化のための政治対話」であり、2つ目が「繁栄に協力するための経済協力・開発協力」、3つ目が「核不拡散や民主化、安定化による平和のための協力」である。また、2004年には、二国間関係の増進に加え、中央アジア地域全体との対話・協力を進めようとする観点から「中央アジア+日本」対話を実施してきている。
 こういった概念を包括する形で、2006年6月には、麻生外相が3つの方針を打ち出した。1つは「地域を広域から見る」で、例えば、第2回「中央アジア+日本」対話にアフガニスタンもゲスト参加しているのが一例である。2つめは「開かれた地域協力」、そして3つめが「普遍的価値の共有に基づくパートナーシップ」である。更に11月に麻生外相は、「普遍的価値を基礎とする自由と繁栄の孤」を形成するという外交方針を打ち出したが、中央アジア地域はまさに「孤」の重要な一角に位置づけられる。ただし性急な民主化を求めるのではなく、各国の歴史的背景、関心を考慮した地道な対応が重要だと思う。
 なお、昨年8月には、歴代総理として初めて小泉総理(当時)が中央アジアを訪問したが、これは、我が国の対中央アジア外交重視の姿勢を端的に示すものである。
 同時に日本にとって重要なのは、価値観を共有する第三国との対話、協力である。現在日本はEUやその加盟国、アメリカ、ロシアなどと、中央アジア地域について緊密な意見交換、戦略対話を行っている。
 中央アジア5カ国には共通の歴史的背景とロシア語という共通言語があるが、15年を経て、エネルギーを有している国とそうでない国との間で経済格差が拡大している。日本の対中央アジア外交でも、各国の状況に応じたきめ細かい二国間関係の構築にも努めなければならない。また、民間も含めたオール・ジャパンの取り組みが必要となってきている。
 重要なことは、中央アジア諸国が世界に開かれた形で発展していくことを促すことであり、この為に日本としては、発展のモデルや方向性について複数の選択肢を提供することを行っていくべきである。

開催風景

開催風景

アスカルクタノフキルギス大使

アスカルクタノフキルギス大使も会場よりご発言される。


(敬称略 / 講師肩書は講演当時 / 文責:貿易研修センター)

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担当:総務・企画調査広報部