第87回-1 中央ユーラシア調査会 「タジキスタン情勢」前在タジキスタン臨時代理大使/外務省第二国際情報官室、情報分析官 高橋 博史【2008/06/18】

日時:2008年6月18日

第87回-1 中央ユーラシア調査会
「タジキスタン情勢」


前在タジキスタン臨時代理大使/外務省第二国際情報官室、情報分析官
高橋 博史

高橋 博史     タジキスタンは長い内戦を経て、和平構築、復興というプロセスを歩んで来た。実はこのように紛争が起きて和平構築が終わり経済復興へと進んでいる国は、世界にあまり例がない。このポスト紛争国であるタジキスタンが、どのような問題を抱えているのかについてお話したい。

1.多様な人々、内戦の要因
 タジキスタンは葡萄の房のような形の国。東側はパミールという地方で、ここは非常に山が入り組んでおり、タジク人、パミールといった多種多様な人たちが住んでいる。この地域には80からや100の言語があるともいわれる。タジキスタンは文化的にも多様で、さまざまなものがいろいろな形でミックスされて国ができあがっているように思われるだ。タジキスタンは東西の十字路にあり、いろいろな人たちが通って右左にクロスしたところなのだと思う。
 ではなぜこのタジキスタンが、内戦などということになってしまったのか。旧ソ連では唯一、タジキスタンが内戦になった。これについては北方にホジャンドという町があり、ソ連はホジャンドの人たちを使ってタジキスタンをまとめようとしたが、南方のクルガン・チュベやクリャブの人たちとの権力争いの結果、内戦に発展したといわれている。またスターリン時代には、タジキスタン国内で強制移住が行われ、例えばジルガタルやタヴィルダラの人々などは南へ強制移住させられた。こうした人々がその当時の出来事に対し深い恨みを持っていたことも、大きな要因になった。紛争が始まったのは1992年だが、実は91年ごろからもう1つの要因である、イスラム過激派の浸透が開始される。
 実は、あの激しい内戦を終結させた影の功労者はアフマド・シャー・マスードという著名なアフガニスタンの司令官であった。
 タジキスタンの人々が内戦で国を追われアフガニスタンに逃げ延びた時、マスード司令官は反政府勢力の人たちを温かく迎えた。ところが今度はマスード司令官自体がタリバーンの攻勢により首都カブールを追われ、最終的にタジキスタンに逃れざるをえなくなるという事態に発展する。他方、ラフモン大統領は、自分が一生懸命和平を唱えて反政府側に訴えても埒があかないことからマスード司令官に依頼し、最初のヌリ・タジク反政府勢力代表との会談もアフガニスタンで実施される。
 タジク反政府勢力にとっては、恩義のあるマスード司令官の依頼を断ることもできず、タリバーンとの戦いで苦境にある同じタジク人の英雄を見捨てることができず、協力することになる。
 マスード司令官にとってタジキスタンはタリバーンとの戦いで必須の軍事的後衛基地であり、タジキスタンの混乱はそのまま、アフガニスタンにおける勝敗を左右するほど重要なことであり、タジキスタンの安定は大変重要な課題であった。
 ラフモン大統領にとってマスード司令官の支援は内戦終結にどうしても欠かせない要素であった。マスード司令官による極秘の調停により和平が成立したと私は考えている。

2. 経済の停滞とアフガニスタンの影響
 そのようにしてようやく和平合意が成立する。しかし、2006年の大統領選挙でラフモン大統領が再選を果たした頃から、状況に変化が出てきた。経済開発を行おうと一生懸命努力したが、なかなか周りも動かず、官僚の腐敗もはびこり経済が停滞する。さらに昨年暮れから今年の始めにかけて大寒波が襲い、民衆に大きな不満が残った。ここへ来て、大統領やタジク政府は非常に苦しい立場に立たされている。
 当然のことながら、元反政府側の人々は、進まない経済開発に対して批判的で、不満が再び生じている。またそういった不満には、アフガニスタン情勢も影響している。国境が接しているため、アフガニスタンの不安定な状況はタジキスタンにリンクする。例えば麻薬、テロといった動きが即座に入ってくることもあり、アフガニスタンの状況はタジキスタン政府にとっても非常に重要だ

3. 深刻な人材不足
 うまく進んだ和平合意であったが、なぜ、経済開発が進まなかったのか。大きな問題は人材が育っていないことにある。これについては旧ソ連時代の政策の影響もある。旧ソ連時代タジキスタンは西東側への最前線基地だったことから、援助も人員もすべて入ってきておりタジク人自身の人材を必要としなかった。そのため人材が育っていない。
 山奥の学校を増改築するというプロジェクトを実施し、その供与式に出席した。その前の晩、地元住民と深夜まで懇談した。その際、出席者が異口同音に「今はガス、小麦、石炭、水も何もない。こんなひどい生活はない」と文句をいっていた。「だから学校まで日本につくってもらわざるをえない」という。では「昔はどうだったのか」と尋ねると、「ガスも石油も電気もあった」ということだ。その地域は奥深い山の中にあるのだが、非常に太い水道管やガスパイプがあり、ソ連時代には見事にインフラが整っていた。ソ連時代にはあのような3000メートル、4000メートル級の山岳地帯でも、しっかりしたインフラを整備していた。「日本にもソ連と同様な援助をお願いしたい」というが、日本にそのようなことができる訳はない。これが実態である。要するに人材、行政官がいない。そのようにしてしまったソ連は、そうせざるをえなかったのかもしれないが、タジキスタンにとって大きな弱点になっている。人材育成が大きな課題である。

(敬称略 / 講師肩書は講演当時 / 文責:貿易研修センター)

詳細PDF


詳細PDFをご覧いただくにはIISTサポーターズ(無料)へ登録後に発行されるユーザ名、パスワードが必要です。またご登録後は講演会・シンポジウム開催のご案内をお送りさせていただきます。
ユーザ名、パスワードを忘れてしまった会員の方はこちらからご請求下さい。

Keirinこの事業は、競輪の補助金を受けて実施したものです。



担当:総務・企画調査広報部