平成29年度 第2回 アジア研究会 テーマ『アジア新興国経済の動向』 報告 タイランド4.0、東部経済回廊(EEC)、中国の一帯一路戦略 学習院大学 国際社会科学部 教授・学部長 末廣 昭(すえひろ あきら)【2017/10/13】

日時:2017年10月13日

テーマ『アジア新興国経済の動向』

平成29年度 第2回 アジア研究会
報告 / タイランド4.0、東部経済回廊(EEC)、中国の一帯一路戦略


学習院大学 国際社会科学部 教授・学部長
末廣 昭 (すえひろ あきら)

1. タイランド4.0
 昨年、タイが「タイランド4.0」と東部経済回廊(Eastern Economic Corridor)という戦略を打ち出した。日本としては、これが今後どうなるのかを十分に検討せずに協力してしまうと、様々な問題に直面すると思う。そこで、まずは「タイランド4.0」について説明する。
 はじめに、タイの経済概況の数字を見てみると、アップダウンが激しいことが分かる。この要因は政治的な対立ではなく、1997年のアジア通貨危機、2008年の世界金融危機、2011年の大洪水などが関連する。2000年代初めに6%を超えていた潜在的な成長率も、今や3%程度に落ち、タイの経済成長率はかなり低くなった。また、貿易については輸出が中国向けとASEAN向けが増えていたが、ここ5年ぐらいは伸び悩み、不況感が非常に強まっている。アジア諸国の経済成長の3か年(2016年~2018年)の実績と予測を見ても、タイは際立って低い。一方、アジア新興国のほとんどは5%を超えている。インドの7%以上を筆頭に、ミャンマー、フィリピン、中国が6%台で、ベトナムも6%以上だ。2006年~2015年の工業成長率でも、タイはわずか3.0%、製造業向け投資増加率は2.0%、全要素生産性は0.7%で、まさに「中所得国の罠」に陥ったと判断できることが起きている。ここに至り、タイは本格的に「中所得国の罠」について議論し、長期経済戦略の「タイランド4.0」を打ち出した。
 タイの経済と社会をどうするのかという戦略とアイデアは、以前からいろいろと出ていた。まず国王の「足るを知る経済」、タックシン時代の競争力強化戦略、アーコムNESDB長官が提唱した創造的経済論、アピシット内閣の「Strong Thailand」、BOIの新投資戦略、プラユット政権の国境経済論や県を越えたクラスター戦略などが挙げられる。その後、2016年に入って、ソムキット経済担当副首相や工業省から長期経済戦略として発表されたのが、「タイランド4.0」だ。これは向こう20年間を拘束する国家戦略法によって支えられている大変強力なもので、5カ年計画のような閣議決定に基づく経済方針ではなく、立法会議を通った戦略である。恐らくプラユット首相がこのような仕組みを望んだのは、今後、もし選挙で政権を取れなくても、政権の背後で国家戦略としてタイの政治経済の運営をコントロールすることができるからである。
 「タイランド4.0」は「ドイツ・インダストリー4.0」をヒントにしたと言われているが、ターゲットはそれよりも広い。例えば、タイで起きている「中所得国の罠」は、経済不平等の拡大、経済成長と環境保全のインバランスも関連しているとしている。その戦略的対応として、Innovation driven growth(イノベーション主導の成長)、Inclusive growth(包摂的な成長)、Green growth(環境に優しい成長)の3つが掲げられた。これらが実現すれば、今年から始まる20年計画で、年成長率は4.5%、投資増加率は10.0%、輸出伸び率は8.0%、全要素生産性も2.0%までいき、その結果、2036年には「タイは高所得国入りを果たす」という、じつに楽観的なストーリーが描かれている。
 そして、これまでのスタグネーションが続いた期間は、電子や自動車産業も含めた製造業中心の体制で、それを「タイランド3.0」と名付けた。この「タイランド3.0」を組み替えるために、CommoditiesはInnovationへ、IndustriesはTechnology&Creativityへ、商品の取引はサービスの取引に転換しようとしている。これを実現するのがデジタル経済で、「タイランド4.0」の柱のひとつである。恐らくこのシナリオは、ソムキット副首相の政策アドバイザーであるスウィット首相府大臣が描いたと思う。彼は『マーケティング3.0』や『マーケティング4.0』の本で世界的に著名な米国ケロッグ経営大学院のフィリップ・コトラー教授のもとで勉強し(ソムキット副首相も同じ)、まさにビジネススクールの優等生が考えそうなシナリオである。
 そして、デジタル経済とともに鍵となるのは、次世代ターゲット産業だ。次世代ターゲット産業には、まず既存産業の競争力強化が5つあり、その他に未来型産業の育成が5つある。これらはS字型を描いて次のステップに上がる。例えば既存産業では自動車やエレクトロニクスが、もう一つ上がると次世代自動車やスマート・エレクトロニクスなる。その他には観光客を集めて、病院経営をするというMedical&Wellness tourism、農業とバイオテクノロジー、食品と食品加工がある。未来型産業の育成としては、ロボット、航空機産業(メンテナンス)、バイオ燃料とバイオテクノロジー、デジタルインダストリー、医療をハブとする産業がある。以前から、タイはこのような次世代ターゲット産業の一部を見据えていたものの、この10分野のうち6分野、例えばロボットや航空機産業はタイ企業独自には実施できず、外国企業を誘致できるかどうかが計画の成否の鍵になってくる。

2. 東部経済回廊(EEC)
 「タイランド4.0」を具体化するための場所が、東部臨海開発工業地帯で、ここには、米軍がかつて駐留していたウータパオ空軍基地、サッタヒープ港、レームチャバン港、ラヨーンのマープタプット港がある。こうしたインフラ設備を東部臨海工業地帯開発の第2フェーズとして再開発すると同時に、カンボジアやラオスと接している国境特別経済区を組み合わせるという構想が東部経済回廊(EEC)だ。つまり、この発想は東西でミャンマーからカンボジア・ベトナムを横断し、南北で中国に繋がるといった広域経済圏構想である。ところが、途中から中国の「一帯一路」戦略と結びつける方向に向かい、東部タイに高速鉄道、次世代ターゲット産業、デジタル経済を盛り込もうとしている。現在は、プラユット首相が国家平和秩序維持団(NCPO)団長命令(非常大権)を行使して、プロジェクトの加速化を図っている。今後、もし東部経済回廊開発土地法案などが通ると、向こう20年間はそれが有効になり、経済官僚や行政機関を越えた国家戦略という法律の下、長期戦略の開発が進む。
 東部経済回廊の15投資プロジェクトを具体的に見てみると、インフラ整備、次世代産業(工業団地造成)、観光業、新しい街づくり(ニューシティーや公益施設)の4つの分野がある。ここにはデジタル経済も入っていると思うが、投資総額は約1兆7000万バーツ(470億ドル)である。1兆7000万バーツという数字は、タックシンがクーデターで追放される前に、タイを改革するために投じようとした大プロジェクト(インフラ整備)と、奇しくも同じ金額である。ソムキット経済担当副首相は、この両方の計画に関与している。
 このうち、まず航空機産業(メンテナンス)についてはアメリカのエアバスやボーイングの子会社が関心を示している。タイが日本に期待しているのはロボット産業で、日本企業が20社ぐらい手を挙げようとしている。一方、中国はドーンムアン空港=スワンナプーム空港=ウータパオ空港をつなぐ高速鉄道の建設に関心を持ち、「お金も技術も全て面倒を見る」といった方針である。現在、タイ政府は外国企業の誘致にきわめて熱心であるが、さまざまなリスクがあることは否定できない。

3. 中国の一帯一路戦略
 2000年代に入ってから、中国は本格的に国際化に乗り出し、2006年を転機に、よりアグレッシブになった。まず東南アジアに対して、GMS(Greater Mekong Subregion)やASEAN博覧会(CAEXPO)などを使って、中国にとって有利な制度や枠組みを構築し、Sinicization(中国化)を進めてきた。そして、国際開発金融にも進出し、「一帯一路」イニシアティブとAIIB(アジアインフラ投資銀行)が中国の対外経済戦略の中核をなしている。
 2001年の実績を100とすると、中国からの直接投資は2016年には24倍になり、一番伸びた。AIIBの融資は、資本金1000億ドルの2.5倍まで可能なため、2500億ドルまでは貸し出しができる。AIIBの加盟国は2017年3月で70カ国、同年5月には77カ国にまで増え、中国は最終的には100カ国にまで伸ばしたい考えだ。これまで中国は対内直接投資(FDI)の金額の多さで注目を浴びてきたが、中国企業の対外直接投資が外国企業の対内直接投資の金額をついに超えた。これからは中国企業の対外活動を注意深く見ていかなければならない。
 ご存知のように、国連が定義する「アジア」という地域にはロシア、中東、西アジアが入る。しかし、日本政府の定義ではアフガニスタンから西は中東で、アフリカも入らない。したがって「一帯一路」イニシアティブに対して、日本の外務省では戦略的に対応しきれない。対照的に、タイ政府が掲げる「タイランド4.0」やEECは、最初からCLMVや中国との繋がりを重視しているので、中国の「一帯一路」イニシアティブとは、政策面で親和性が高い。
 他方、中国側がタイのEECに対して強い関心を示しているのは、南シナ海へとつながるサッタヒープ港を自らの影響下に置きたいからである。加えて、カンボジアのシハヌークビル港やベトナムのブンタオ港にも影響力を行使できれば、中国は南シナ海に面した3つの港を確保できる。その意味でも、中国とEECの関係は注意深く見ていく必要があろう。
 中国に対する世界各国の認識は、ベトナムと日本が極端に中国に反発しているものの、多くの国は中国に対して相対的に好感を抱き、同時に中国のヘゲモニーを認めている。そういう中で、中国が対外戦略を進めていった場合、タイが中国との連携を日本との連携以上に重視する可能性は高い。実際、プラユット首相は習近平国家主席との関係強化を進めている。

4. まとめ
 「タイランド4.0」は20年間有効の国家戦略法でバックアップされ、2017年にいくつものプロジェクトが立ち上がった。そして、政府は非常大権などを使って東部経済回廊(EEC)開発を強力に進めている。その一方で、こうした地域開発には不可欠のパブリックヒアリングや環境アセスメントはほとんど実施されていない。もし、総選挙によって民主的な政権が誕生した場合、パブリックヒアリングや環境アセスメントの要求が噴出する可能性がある。また、現在は東部に「タイランド4.0」の政策が集中しているが、そのうち東北や北部から不満の声が上がり、東部中心のEEC開発構想がトーンダウンする可能性もある。こうしたリスクを、日本の投資家や企業はきちんと認識しておく必要があろう。

(敬称略 / 講師肩書は講演当時 / 文責:貿易研修センター)

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担当:総務・企画調査広報部