平成29年度 第4回 国際情勢研究会 報告1/ 「東ティモールの新しい政治課題 — 2017年国政選挙結果を踏まえて —」 早稲田大学 社会科学部 教授・学部長 山田 満(やまだ みつる)【2017/11/30】

講演日時:2017年11月30日

平成29年度 第4回 国際情勢研究会
報告1/ 「東ティモールの新しい政治課題 — 2017年国政選挙結果を踏まえて —」


早稲田大学 社会科学部 教授・学部長
山田 満 (やまだ みつる)

自前で行われた2017年の大統領選挙と国民議会選挙
 東ティモールでは今年3月、5年ぶりの大統領選挙が行われ、今年7月には国民議会選挙もあった。東ティモールの大統領選挙は決選投票まで行くのが普通だが、今回は1回の選挙で決まった。そして1週間ほど延期されたが、7月22日には国民議会選挙も行われた。今回の選挙に関して最も重要なのは、東ティモールが自前で選挙を行ったということだ。東ティモールは長年にわたってインドネシアの支配下にあった。1999年に特別自治案を提示されものの、住民投票の結果は、独立の道を歩むことを選んだ。しかし、住民投票後に1000人以上の虐殺、70%の家屋における焦土化作戦が行われ、その後しばらくは日本を含む国際社会からは「危険な地域」としてネガティブなイメージが持たれていた。
 2002年の独立前後から、日本は平和構築や国家建設に積極的に支援してきたが、残念ながら、2006年には再び15万人の国内避難民を流出する騒擾事件が発生した。翌年の2007年には、独立後初めての国政選挙を控えており、政権をめぐる権力闘争が背景にあった。現在、首相に返り咲いたアルカティリは、人口の99%がカトリック教徒で占める東ティモールには珍しく、イエメン系のムスリムだ。このため、なかなかカトリック教会との関係も難しかったほか、彼自身の挑発的なパーソナリティーもあり、当時の軍部内の対立などさまざまな紛争要因を背景に、再び事件を起こしてしまったのだ。
 2006年にはもう一度、国連東ティモール統合ミッション(UNMIT)という治安維持部隊を含んだ国連の組織が設立され、2007年の選挙を迎えた。国政選挙は憲法の規定で5年おきに実施されるので、2012年にも行われ、この時は国連開発計画(UNDP)が選挙の手続き全般を支援し、UNMITが治安を担当する形で無事に終えた。一方、今回の2017年選挙では、国連PKOのミッションがすでに2012年末に撤退しているので、UNDPは全般的な助言を行うだけであった。したがって、今回は完全に自前による選挙であり、日本などの資金的な支援は受けたものの、国民への有権者教育など、自前で行ったという点で、国家建設に向け大きな自信になったはずである。

世代交代が進むなかで、フレテリンとCNRTの連携はどうなるのか
 東ティモールの人口は120万弱で、25歳以下が60%を占める。17歳から選挙権があり、35歳までの有権者が全体の51%であることから、かなり世代交代が進んでいる。その世代交代が、今回の選挙に反映された。国民議会選挙には21の政党が出て、議席数は65だった。全国1選挙区の比例代表拘束名簿方式で、各政党は名簿を提出し、得票数に応じてドント方式で議席が配分された。東ティモールの最も歴史を有する政党である東ティモール独立革命戦線(フレテリン)は、インドネシア支配下での抵抗運動時代から存在している主要な政党だ。その事実上の実力者は、アルカティリで、党首はル・オロという人だ。アルカティリやノーベル平和賞受賞者のラモス・ホルタは、インドネシアの24年間の支配下では、外国にいて活動を展開してきた人たちだ。これに対し、ル・オロはゲリラ活動を展開した人だった。フレテリンは党首にル・オロを据え、アルカティリが書記長として実権を握る構造であった。
 2007年と2012年の大統領選挙では、ル・オロがフレテリンを代表して立候補しており、1回目の投票では勝つが、2回目の決選投票では反フレテリン連合が形成され次点に甘んじてきた。フレテリンは元々、マルクス・レーニン主義を掲げており、その看板を現在は下ろしているものの、政策には残存している。その政策を嫌い、反フレテリンでまとまる。しかし、2012年以降の選挙では大きな変化があった。従来からアルカティリと反目していた、国民的人気があり、インドネシア支配下で東ティモールに残り、ゲリラ活動を指揮していたシャナナ・グスマンが、2012年の選挙を経て、アルカティリへの政権協力を仰ぐようになったのだ。そして、2017年設立の第6次立憲政府において、互いに手を結んだ。これはなぜかというと、2006年騒擾事件の経験を踏まえて、国際社会からの批判を真摯に受けとめたことであった。また、インドネシア支配下で抵抗運動を展開した第一世代は、急増する若い世代に対して安定した社会を実現する責任を負わなければいけないと合意したからだった。政治社会の安定が担保される中で、次は経済発展だというところで2人は合意し、互いに協力し合って若い世代の雇用創出に向けた国家建設を進めていくことになった。そういう中で、2017年の国政選挙が行われたのだ。
 結果的に、フレテリンとグスマンが党首の政党、東ティモール再建国民会議(CNRT)が得票率もほぼ同様であったものの、結局1議席の差でフレテリンが第1党になった。アルカティリは他の政党との連立政権を模索して、過半数を背景にした安定した政権を目指した。しかし結果的に、インドネシア支配下で抵抗運動を行った学生たちが中心で創った若い政党の民主党(PD)と組み、過半数に満たない30議席の少数連立政権で出発することになった。現在、この脆弱な連立政権に対して、CNRTと人民解放党(PLP)、そして、もう1つのティモール国家統一成長党(KHUNTO)という政党で野党連合が立ち上がり、政権をめぐる政治的な流動性を引き起こしている。
 この状況をどう判断するかは難しく、フレテリンとCNRTは本来、野党、与党という関係だったのを2012年選挙以降のプロセスの中で、形式的には野党と与党の関係を持ちながらも、特に経済発展を目指す点では連携するようになっていたからだ。しかしながら、少なくとも、2006年騒擾事件のような政治社会の不安を作ってはいけないということでは各政党は合意している。2つ目に重要なのは、世代交代が非常に大きく進んでいることだ。背景には、先ほど述べたように有権者がどんどん若くなっていることがあげられる。すでに述べたが、一旦は世代交代内閣という形で2015年に第6次立憲政府を作り、若者を含み内外にアピールしたはずである。しかし、今回のアルカティリ内閣の布陣をみると、少し逆戻りしている観が否めない。インドネシア支配時代に活動した、いわゆる抵抗第一世代は日本で言う団塊世代だが、彼らが今後、若い世代を含む国民に対して、どのような形で国家建設に寄与していくのかを国民は注視しているのだ。

石油危機と将来の産業育成
 もう1つ、東ティモールでは現在、石油・天然ガス収入の急減を迎える危機が発生している。首相に返り咲いたアリカティリは、当初から行政マンとしては高く評価されていた。初代首相として、東ティモールの国家運営で石油、天然ガス資源が枯渇することを前提に、彼は石油・天然ガス収入の3%だけを毎年、国家予算に使おうと考え、石油基金を創設した。しかし、グスマンが首相になってからは、これを切り崩して使っている。現在は油価の低迷で、165億ドル程度しか石油基金は残っていない。東ティモールの予算規模は年15億ドル程度なので、これではせいぜい今後10年間しか持たない。主要なバユ・ウンダン、キタン油田については1989年当時、インドネシアとオーストラリアの話し合いで、ロイヤリティを折半しようとしていたが、独立前後でティモール海条約が締結され、その結果的、東ティモールが90%、オーストラリアが10%という取り分が決まった、その後、共同開発区域が設けられた。共同開発区域ではオーストラリア側もかなり譲歩した。しかし、2006年のティモール海境界線条約(CMATS)によって、共同開発区域以外のところでは50対50というロイヤリティの折半が決められた。そのような中、グスマンは東ティモールには目立った産業がないことから、石油精製やそのプラントを東ティモール側に置き、そこで産業を育成しようと考えていた。東ティモール側にパイプラインを引くことを提案したのだ。
 しかし、これについて協議をしているうちに、スノーデン事件によって東ティモールにもかかわる重要な事柄が暴露された。オーストラリアがCMATS交渉の間、東ティモール側の重要な会議をすべて盗聴していたことが発覚したのだ。さらに、国連海洋法条約に則ると東ティモール側とオーストラリア側の境界線の引き方が全く違ってくることが明らかになった。東ティモール側の訴えに当初対応しなかったオーストラリアであったが、結局2017年8月30日に常設仲裁裁判所(PCA)の仲裁で、オーストラリア側は全面的に、東ティモール側の要求を受け入れた。この結果、すでに採掘を終えているキタン油田、現在主力の収入源になっているバユ・ウンダン油田も2020~2023年ごろには枯渇することで、収入がなくなるとみられていたこともあって、東ティモールの国家建設に多少の余裕ができることになった。
 今回のPCAの仲裁で、両国のティモール海の境界再画定によって、グレーター・サンライズ油田のほとんどが東ティモール側に属することになり、推定で500~600億ドルが東ティモール側の収入になる見込みになった。今後、パイプラインの引き方の交渉になるが、具体的にはティモール海での浮遊式の液化生産が濃厚といわれているが、いずれにしても国家財政を潤し、かつ産業育成等への助走が
 容易になったことは、東ティモール政府関係者のみならず、国民全体が歓喜している状況だ。今回の交渉を主導したのはシャナナ・グスマンであった。今後もオーストラリアとの交渉責任者としての役割が期待されている。グスマンは、インドネシア抵抗時代から現在においても、この国のキーパーソンであることに変わりない。他方、オーストラリア側の仲裁受け入れは、同国の野党や両国の市民社会からの強い圧力があったからだ。しかしながら、現在は東ティモール政府もオーストラリア側の決定に対して敬意を示しており、両国の外交は良好であるといえよう。

(敬称略 / 講師肩書は講演当時 / 文責:貿易研修センター)


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担当:総務・企画調査広報部