第173回 中央ユーラシア調査会 報告/ 「カスピ海サミットの意義と今後の展望― エネルギー、地政学的観点から ―」新潟県立大学 教授 青山学院大学 名誉教授 袴田 茂樹(はかまだ しげき)【2018/09/13】

日時:2018年9月13日

第173回 中央ユーラシア調査会
報告 「カスピ海サミットの意義と今後の展望
― エネルギー、地政学的観点から ―」


新潟県立大学 教授
青山学院大学 名誉教授
袴田 茂樹 (はかまだ しげき)

1. 「第5回カスピ海サミット」における合意
 8月12日にカザフスタンのカスピ海沿岸都市、アクタウで、「第5回カスピ海サミット」が開催された。サミットでは8つの文書への署名がなされたが、中でも最も重要なのは 「カスピ海の法的地位に関する協定」だ。実は、カスピ海が「海」なのか「湖」なのかによって沿岸諸国の様々な利権が異なってくる。今回は1996年以来、5回目のサミットで、法的地位に関する協定がようやく結ばれた。大げさに言えば、この問題には欧米とロシア、中央アジアの確執が含まれ、またエネルギー問題等には中近東やパキスタン、インドに至る様々な問題も含まれる。このため、“カスピ海問題”はある意味、世界全体にかかわる問題といえる。
 サミットでの主な合意点は、まず「カスピ海が海か湖か」ということで、これについてはソ連崩壊以来、長らく議論がなされてきた。ソ連時代はソ連とイランという2つの国が合意すれば、問題は片付いたが、旧ソ連邦の共和国などが独立し、沿岸国は5ヵ国になった。そして各国が国益、実際はエゴイズムに従い、カスピ海で勝手なことをするようになった。今回の合意内容を見ると、カスピ海は海でも湖でもなく、「特別な内陸水域」で、1982年に国連で採択された海洋法も適用されないという。もしも、これが海ということになれば、海洋法が適用され、沿岸部分を除いた公海という部分が生じる。そして、米国を含む他の国々の艦船も入れることになる。このため、これを排除するのがロシアの最大の目的の1つであった。
 特別の法を制定した結果、領海は各国沿岸から15カイリ、専管漁業水域はその先さらに10カイリ、その外は共同利用水域とされた。共同利用水域は、「5ヵ国にとっての公海」と言って良い。また、沿岸5ヵ国以外の国のカスピ海での軍事的プレゼンスは禁止さている。ロシアは、米国を筆頭とする北大西洋条約機構(NATO)諸国のプレゼンスを最も恐れていた。このため、これを排除したということは、ロシアの制海権が確立されたともいえる。実は、カスピ海では各沿岸国が「海軍」を持っており、ロシア海軍は他の4ヵ国の海軍を合わせたよりも大きい。そういう意味で事実上、ロシアが制海権を握っていると言える。
 また、海底の分割に関する条文は除かれた。領海はと決めたが、海底に関してもそれを決めると、海底資源がそれぞれどこの国に属するのかが決まることになる。この点は複雑な紛争問題になっているため、現時点では決めるのは難しい。ロシアとカザフスタン、アゼルバイジャンの間では、海底資源の分割はほぼ決まっているが、アゼルバイジャンとトルクメニスタン、イランの間では必ずしも決まっておらず、海底資源に関するいざこざが続いている。そこで今回は、海底の線引きは当事国が行うという形で合意した。
 一方、カスピ海の海底ケーブルやパイプラインについては、建前としては、沿岸諸国は当該国の合意のみで、海底に敷設可能とされた。従来は、沿岸5ヵ国が同意しなければ敷設できないことになっていた。例えば、トルクメニスタンのガスの輸出先は、以前は陸上パイプを通じてロシアしかなかったのだが、様々なトラブルがあり、ロシアのガスプロムはトルクメニスタンからのガス購入をやめた。そこで主要な国外市場を失ったトルクメニスタンは窮状を脱する策として、中国はエネルギーを必要としているため、中国の資金を大量に入れ、ほぼすべてを同国に輸出することになった。ただ、中国だけが輸出先となれば、中国の言いなりになり、悪く言えば属国のような状況に陥る。このため、トルクメニスタンは西欧にもガスを輸出するルートを是非とも持ちたかった。イランには既にある程度、輸出していたが、イランは長い間、欧米から制裁を受けていたため、イラン経由での輸出は不可能だった。したがって、海底パイプラインを通じてアゼルバイジャンへ送り、アゼルバイジャンからグルジア、トルコ、ギリシャを通じてイタリアへ、あるいはバルカン半島から西ヨーロッパへというルートを模索していた。
 これに断固として、反対していたのがロシアだった。これはトルクメニスタンからの輸出が可能になれば、ヨーロッパ市場でライバルになるからだ。逆に欧米はパイプライン敷設を支持しており、アゼルバイジャンとトルクメニスタンの合意があれば、イランの海域を通る場合はイランの承諾も必要だが、それを回避すれば「2国の合意だけで、敷設は可能」と主張していた。しかし、ロシアはあくまでも「5ヵ国の同意がなければ、パイプラインは敷設できない」として、イランと組んでパイプライン敷設を阻止してきた。
 そしてついに、今回の協定に至った。協定の第1条では、「海底に敷設できる」としており、これについてはロシアが譲歩したという印象だが、第2条では、そのための条件として「そのプロジェクトがそれらの国が加入している国際諸条約に規定された環境上の諸要求と諸規定に反しないこと」としており、これには「カスピ海環境保護の枠組み協定」および、その諸文書が含まれるという。しかも、環境問題については5ヵ国が合意する必要があるので、今後も環境問題を口実に介入する可能性は残されているということだ。今回の協定でロシアは、欧米のプレゼンスを排除するという大きな成果を得たほか、パイプライン問題でも介入の余地を残したと言える。カスピ海の地下資源に関しては、アゼルバイジャンとトルクメニスタンは紛争を続けてきたが、2000年代初めには海上で銃撃戦も行った。距離的にはトルクメニスタンに近いところにある地下資源について、トルクメニスタンは自国のものと主張しているが、アゼルバイジャンは、ソ連時代にアゼルバイジャンの企業が掘削していたので「アゼルバイジャンに権利がある」としている。そのような形でもめる状況が続いており、カスピ海は「紛争(不和)の海 море раздора」とも言われてきた。

2. カスピ海の軍事化
 2015年9月30日、ロシアはシリアの反体制派地域を空爆した。そして10月7日には、カスピ海の最新のミサイル艦から、最新のミサイルであるコルベットをシリアに26発撃ち込んだ。黒海艦隊が地中海を抜けて、シリアの近くまで行って発射すればよいのに、はるか1500㎞も離れたカスピ海から発射した。実は、その直前にロシアはクリミア半島を「併合」しており、その前から、ロシア軍はクリミア半島のセバストポリ港をウクライナから賃借りして駐留している。そこに駐留する黒海艦隊については、ウクライナの合意がなければ艦船や装備の近代化ができなかった。このため、ロシアはカスピ海に最新の艦船や巡航ミサイルを置き、シリア攻撃にはこれを行った。
 今回も9月初めから、政権への反対派を集めたシリア北西部のイドリブ県へシリア政府がロシアやイランの協力を得て総攻撃をするかどうかが問題になっており、ロシアの黒海艦隊とバルチック艦隊が地中海のシリア近くへ来て演習をしていた。これらはそのまま駐留し、イドリブ県総攻撃となればおそらく、この艦隊が活動するだろう。当然ながらカスピ海のロシア艦船も、あらゆる事態に対して、備えの態勢に入っていると思う。カスピ海の問題が極めて国際的な意味を持っているということは、この1つの例を見てもよくわかる。ロシアの発表によれば、最近の演習ではシリアの目標物だけでなく、カスピ海の海上の標的にもミサイルが正確に的中したという。これには「カスピ海でもミサイルを使うぞ」という圧力を沿岸諸国にかけているという意味合いがある。
 今回のサミットを経てようやく、カスピ海の法的地位が定まり、本来ならこの協定によって「不和と軋轢と紛争の海」が「平和と安定の海」になるはずだが、今回のサミット直前には、参加5ヵ国すべてがカスピ海で軍事演習を行っている。トルクメニスタンのベルディムハメドフ大統領は、演習場から直接カザフスタンのサミット会場へ向かった。このように、平和のためのサミットだというのに、参加国が互いに圧力をかけ続けている。元々、各国はテロ、密漁、麻薬対策のため、カスピ海に「海軍」を持つというのが建前だが、実際は諸権益をめぐる各国の摩擦があるからこそ各国は海軍を持っているのだと、ロシアの『独立新聞』は2011年にはっきり書いている。また、各国は今回のサミット後も、カスピ海の「海軍」を増強するという。

3. カスピ海の海底パイプライン問題と今後の展開
 カスピ海のパイプライン問題では、欧米とロシアが対立してきた。これは単なるエネルギー問題でなく、ロシアと欧米、中近東の地政学の問題、あるいは安全保障をめぐる問題だといえる。パイプラインを巡るトルクメニスタンとロシアの対立は有名で、ロシアはイランと組み、「絶対に敷設させない」という態度をとってきた。これに対し、欧米諸国はパイプライン敷設に賛成して「国際法的にも可能」という立場をとってきた。これはカスピ海における欧米の軍事的プレゼンスの問題とも関係し、NATOはその指令部の管理区域としてカスピ海も入れていた。ロシアは当然ながら、カスピ海における欧米の軍事的プレゼンスに非常に神経を尖らせていた。
 トルクメニスタンが西欧の市場にガスを輸出できるか否かに関しては、パイプライン以外にもう一つトルクメニスタンのガス自体の問題がある。たとえパイプラインが敷設可能になっても、トルクメニスタンのガスに関しては以下の諸問題が存在する。まず、トルクメニスタンが公式的に述べている世界2~3位のガスの埋蔵量については、誇大宣伝だと言われている。また、現在の生産順位は世界第13位ぐらいだが、実際にこの生産量を増やそうとしても資金問題などがあり、難しいと言われる。さらに、質の良いガスが採掘し易い産地は既にほとんどが開発されており、今後、採掘できるガス田は硫黄の含有量が多く、また採掘の深度も深くて多大のコストがかかる。硫黄を除去するには莫大な費用がかかり、採掘コストも増えるので、カスピ海での海底パイプラインが敷設可能になっても、トルクメニスタンのガスは輸出余力がなく、また高価となって市場競争力もなく、欧州市場への輸出は難しいとの見解がある。さらに、今回の協定によれば、パイプラインは当事国の合意で敷設可とされているものの、環境問題は沿岸5ヵ国の同意が必用で、それを口実にロシアの介入が可能だ。他方でロシアは現在CIS諸国の「ロシア離れ」を非常に気にしている。これらの国々への中国の影響力増大に対する懸念もあり、ある程度、ロシアが譲歩する可能性もある。
 今回の合意によって、カスピ海が安定した平和な地域になったという認識は、沿岸国は持っていない。ロシアには旧ソ連諸国の離反を懸念する側面があるが、カスピ海でのロシアの軍事力は圧倒的に強い。この状況の中でロシアが今後、どのような形で影響を及ぼすか、また実際にアゼルバイジャンとトルクメニスタンがパイプラインを引こうとした場合、どういう行動をとるかはまだ未知数である。

(敬称略 / 講師肩書は講演当時 / 文責:貿易研修センター)

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担当:総務・企画調査広報部