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「地域と歩む」 ~震災から5か月。復興期す中小企業~ | 岩手日報社報道部 報道部次長 四戸 聡【配信日:2011/8/31 No.0198-0808】

配信日:2011年8月31日

「地域と歩む」 ~震災から5か月。復興期す中小企業~

岩手日報社報道部
報道部次長
四戸 聡


 東日本大震災で岩手県沿岸では2千社近くが浸水被害に見舞われ、生産、営業基盤に甚大な被害を受けた。しかし震災から5カ月を経て、事業の再開、再建への歩みは徐々に広がりつつある。地域に密着し、住民に役立つことを通じて古里再興への役目を果たそうとする企業を紹介する。


 浸水企業1954社、経済損失4121億円(売上高ベース。最大値)、約2万人に離職の恐れ―。
 民間信用調査会社大手の東京商工リサーチが、東日本大震災の津波で浸水した岩手県沿岸部の企業を調査した被害数値だ。
 沿岸部に本社を置く企業の半数以上(55%)が浸水。基幹産業の水産業をはじめ、あらゆる生産と生活の基盤が被害を受け、事業経営者の心身にも深いダメージを与えた。
 それでも、震災から5カ月が経過。被災地の港や工業団地、商店街では多くの中小企業者たちが再建に向け、着実に動き始めている。
 釜石市大平町・釜石鉄工団地のプラント・省力化機械製作石村工業(石村真一社長)。3月11日、高さ10㍍に達する津波が、釜石港に面した会社事務所と工場を襲った。建物の外壁は大破し、溶接機や塗装機など生産に不可欠な機械設備は使い物にならなくなった。事務所棟は今も傾いたままだ。
 石村社長(58)は自宅も全壊した。震災当日、真っ暗な避難所で自問自答した。「会社やめようか」。
 しかし、後にも先にも弱気になったのはこの日だけだった。震災から3日後、「5月下旬に操業再開」という目標を定めた。
 電気や建築など高い技術力を持つ従業員18人に人的被害はなく、8台のクレーンも無事だった。石村社長に何より早期の再開を決意させたのは、精魂込めて育ててきたペレットストーブやワカメ攪拌塩蔵機という自社開発商品への自負だった。
 同社は1959年の創業以来、市内の大手製鉄所の完全下請けとしての道を歩んだ。しかし、20年余り前、製鉄所の高炉休止で仕事がまったく無くなり、事業の転換を余儀なくされた。
 試行錯誤の中、注力したのが自社製品の開発だった。10年前に地球温暖化防止や林業振興にも役立つペレットストーブを商品化。2009年には、地元の養殖ワカメ生産者の作業負担を軽くする塩蔵機を売り出した。
 目標通り5月下旬に操業を再開した現在、工場内は震災前以上の活況を呈する。震災による長期停電を受け、電気を使わず、がれき化した木材も燃やせるペレットストーブの評価が高まり5、6月は例年の約5倍の注文が舞い込んだ。再開を聞きつけた近隣の水産加工業者からの機械修理の依頼も増えている。
 土地利用規制が決まらない中、海沿いの工場で今後も事業を続けてよいのか、未収金は回収できるのかなど不安はある。しかし石村社長は「地元の人に感謝されるとうれしい。釜石に人が残るように若い人を採用し、育てたい」。住民のためになる仕事を通じ、地域の復興に貢献したいとの信念がある。

大津波にのまれる石村工業周辺(写真奥)/ 石村真一社長提供

大津波にのまれる石村工業周辺(写真奥)/ 石村真一社長提供


津波に襲われ、生産設備や資材が散乱し、壁も大破した石村工業の工場内。しかし、中古機械の調達や取引先からの支援で5月下旬に操業再開を果たした。 釜石市大平町 石村真一社長提供

津波に襲われ、生産設備や資材が散乱し、壁も大破した石村工業の工場内。しかし、中古機械の調達や取引先からの支援で5月下旬に操業再開を果たした。
釜石市大平町 石村真一社長提供


 岩手県が沿岸部のものづくり企業228社に行った調査によると、被災企業のうち廃業が見込まれるのは9%。工場が全壊したり、流失しても大半は事業再開できる見通しは立っている。ただ、その実現には用地の確保や資金繰りなど課題は少なくなく、再開は時間との勝負でもある。
 予算79億円に対し、補助希望額545億円。復旧を目指す中小企業等のグループに対し、国と県が共同で行う補助金事業は、「4分の3補助」という高率の助成が人気を呼び、希望企業が殺到した。県などは企業を幅広く支援するため、急遽、補助率を4分の1程度に引き下げる「苦肉の策」を取った。
 しかし、事業者からは「最初の話とだいぶ違う。再建計画を縮小せざるを得ない」との不満が噴出。国と県はその後、追加の予算措置を講じたが、予算不足は明らかだ。
 融資制度もあるものの、既存債務との「二重ローン問題」に直面する被災企業にとって、返済不要の補助金の魅力は大きい。被災規模や資金需要を十分把握しないまま、補助申請の上限額を設けないなど不十分な制度設計で混乱を招いた国の頼りなさは否めない。
◇   ◇
 街のがれきが集められ、巨大な津波の力に原形を失った防潮堤が横たわる。輝き、豊かだった海辺は今、ため息しかでない光景に変わった。被災地の復興は、水産業の立て直しと同義と言える。「視界良好」とはほど遠いが、独自のアプローチで水産業の再生を目指す若い力がある。
 「津波で海の中がリセットされ、とにかく魚が動いている。これから100年(の漁)が約束されたようなものだ」。
 大船渡市三陸町越喜来(おきらい)の水産物ネット販売業三陸とれたて市場の八木健一郎社長(34)は、世界3大漁場「三陸」の普遍的価値を確信する。
 同年代の10人ほどの社員と、水揚げされたばかりの魚を漁業者との直接取引や市場買い付けで調達し、インターネットで全国販売してきた。
 津波は会社の事務所や倉庫、サーバーなどネット環境を根こそぎ奪った。そして魚を取る、水揚げする、買い付けるという水産業が「面的」に破壊されたことに衝撃を受けた。
 そんな時に知った予期せぬ海中の環境変化。漁業者たちにとっては何よりの朗報だが、八木社長は「『3月11日』に戻るだけなら、この浜は死んでしまう」と強調する。
 漁業者の高齢化、後継者不足、漁価安など水産業を取り巻く現実は厳しい。単なる「復旧」では、浜のまちに将来はない―との危機感がある。
 「漁業は命がけの仕事。そこに携わる人がもうかるビジネス、産業に育て、雇用にもつなげたい」。八木社長はネット販売の再開とともに今、行政の緊急雇用創出事業で現役の漁業男性3人を雇い、漁業と伝統的な食文化などを融合させた試みに挑んでいる。

仮設の事務所で事業再開した三陸とれたて市場。三陸の漁場価値を確信し、水産業の復興を目指す八木健一郎社長(中央)/ 大船渡市三陸町越喜来

仮設の事務所で事業再開した三陸とれたて市場。三陸の漁場価値を確信し、水産業の復興を目指す八木健一郎社長(中央)/ 大船渡市三陸町越喜来


 被災地ではものづくりや水産業をはじめ、多くの被災企業が悩み、迷いながら、立ちあがろうと歯を食いしばっている。生きるために不可欠な作業であると同時に、その原動力は古里を愛し、地域と共に歩み続ける決意だ。政治や行政に求められるのは現実を正しく理解し、事業者の思いに寄り添い、背中を押す施策の果断な実行に他ならない。

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