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大震災からの復興-被災企業の経験(1) | (一財)貿易研修センター 専務理事 赤津 光一郎【配信日:2012/05/31 No.0207-0843】

配信日:2012年5月31日

大震災からの復興-被災企業の経験(1)

(一財)貿易研修センター
専務理事
赤津 光一郎


 東北地方の経済は東日本大震災の被害から着実に回復しつつあります。それは、被災した企業の懸命の努力のたまものです。大震災からの復旧・復興の経過や教訓などについて、被災企業を訪問してお話を伺いました。


 林精器製造株式会社(本社 福島県須賀川市)は1921年に創業され、ウォッチケースなどの精密金属加工、めっき・表面処理加工等を行っている。東日本大震災直前の昨年2月には、福島県ものづくり大賞を受賞するなど高い技術力を誇ってきた。今回の震災では主力の須賀川工場で3階建ての建屋が倒壊するなど大きな被害を受けた。震災から復興に至るまでの状況を林明博社長に伺った。

-震災当日の状況についてお聞かせください。
 「地震が起こったとき、私は別の事業所で会議をしていました。本社に電話が通じず、様子を確かめようと車に乗ったのですが、道路が陥没したり段差ができたりで、周辺の道路は全く動けません。遠回りをして通常なら15分程度で着くところを3時間もかかって本社までたどり着きました」

 「3階建の工場兼事務所の建物が崩壊していました。信じられない思いでした。建物の強度が足りなかったのではなく、地盤のひずみが原因だったようです。当時この事業所には128人の社員がいましたが一人の犠牲者も出さないで済みました。1階には大型機械が多かったため、それが落ちてきた天井を受け止めてくれたのです」 「地震の後、2階部分から火が出ました。倒壊しているので通常の消防車では中まで水が届きません。地震の翌日の土曜日、郡山の業者からコンクリートカッターのついた重機を借り受け、鉄筋を切って穴をあけて注水し、ようやく鎮火できました」
「須賀川工場は全事業の6割ほどを占める工場でしたから、被害は甚大でした」

-復旧への取り組みはどのように始められましたか?
 「当社が部品を作れなければその先の取引先も製品を作れない。ものづくりの繋がりを切らさないよう、一日も早く生産を再開する必要があります。初めは被害状況が十分把握できませんでしたから、とにかく努力目標でもいいから工程表を作りました。その際、乗り越えなければいけない課題が三つありました」

 「一つ目は、どこで事業を再開するかということです。これについては取引先のセイコーインスツル様に、稼働していない工場を貸してもらえないかお願いしました。その場で使ってくれという回答を頂きました。これでよくやく事業再開に向けて少し明るさが見えました」

 「二つ目は、金属加工に不可欠な機械をどうやって移設するという問題です。300台以上の機械を移す必要があります。地震直後の人手がない、トラックやガソリンも不足しているという中では、専門の業者に頼っていたのでは時間がかかりすぎます。社内の施設保全担当者を中心に40人ほどのチームをつくり、自分たちで移設を始めました」
 「中には数トンもあるような機械もありましたが、分解して運び出し、フォークリフトを使って荷下ろしをしたりして、震災から一月あまりの4月15日には、一部の製造ラインを再開することができました。そして6月15日には全工程の生産を再開することができたのです」

 「三つ目の、そしてもっとも重要な点は、生産を再開しても仕事があるかという懸念でした」
 「初めに工程表を作ったとき、再開には5カ月かかると思ったのです。その工程表を取引先に示したところ、3カ月でないと仕事がなくなるという助言をいただきました。幸い3カ月で全工程を再開できました。なかには、取引先のサプライチェーンに組み込まれていたため再開後には受注を続けられなかったものもありますが、多くの取引先が生産再開を待っていてくれたのは、日ごろから築いてきた信頼関係があってこそだと思います」

-BCP(事業継続計画)は作られていたのですか?
 「作る検討はしていましたが、まだ策定前でした。BCPはあるにこしたことはありません。しかし今回の経験で学んだのは、何よりも大切なのは顧客との信頼関係だということです。たとえBCPがあっても、取引先との信頼関係がなければ生産を再開しても仕事はなかったかもしれません」

-今後の事業展開についてお聞かせください。
 「今後成長が期待できる分野として医療関連があります。福島県は医療関連産業の振興に力を入れていることもあり、大学などとも連携して3年から5年後くらいをめざして、医療関連分野を新しい事業の柱にしていければと思います」

 林精器製造はもともと東京で創業された。関東大震災での被災、太平洋戦争時に福島県に移転という二度の困難を乗り越えて今日の発展を築いてきた。三度目の困難となった今回の大震災も乗り越え、一層の発展をしていく。もとに戻る「復旧」だけでなく、一層の発展を目指してこそが「復興」だという林社長の決意が感じられた。

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