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松島観光の震災と復興 | 社団法人 松島観光協会 会長 佐藤 久一郎【配信日:2013/02/28 No.0216-0882】

配信日:2013年2月28日

松島観光の震災と復興

社団法人 松島観光協会
会長
佐藤 久一郎


 260あまりの島々に守られ,美しい景観が保たれた松島。早期の観光復興が東北・被災地の復興につながる。安全安心な観光地松島の情報発信と感謝の気持ちをお伝えします。


1. 津波の襲来
 平成23年3月11日金曜日午後2時46分、宮城県牡鹿半島の東130kmの三陸沖24kmの深さを震源とするマグニチュード9.0(観測史上最大)の巨大地震は巨大津波を引き起こし、東日本の太平洋沿岸に壊滅的被害をもたらした。松島は260余の島々に守られ奇跡的に被害は少なかったと言われているが、震度6弱の地震と最大3m80㎝の津波(16時40分第2波)に襲われた。
 震災当日、観光地松島の海岸部には約1200人の観光客をお迎えしていた。遊覧中の観光船は地震と同時に桟橋に向かって戻り、桟橋に到着するや待機していたスタッフが津波避難を誘導した。海岸を散策していた人々やホテルや観光施設にいた人々にも避難をしていただいた。避難先は瑞巌寺(ずいがんじ)の裏山と新富山(しんとみやま)をめざした。地元の住人と観光客が一緒に避難し、一時避難する車で道路が渋滞したが,津波が来る前に避難は完了していた。
 避難した人々は余震に怯えながら日暮れを迎え、雪が降ってきたこともあり、町内各ホテルと瑞巌寺に収容していただいた。電気、水道、電話、鉄道等インフラが途絶するなか、松島町内のホテルのほとんどが観光客の避難を自主的に受け入れていただき、観光客の一人もけが人を出すことなく,4日目までに全員無事に帰路についていただけた。
 この震災で他の沿岸市町より少ないとはいえ、松島町も甚大な被害を被っている。直接,津波によるものではないにせよ,町内で2人(内1人は4月7日の余震で)が亡くなり、重傷者3名、軽傷者34名を数えた。津波による浸水面積は2平方㎞に及び、床上浸水188戸、床下浸水82戸、家屋の全壊216戸、大規模半壊341戸、半壊・一部損壊2493戸に上っている。
 松島の島々は、小藻根(こもね)島の長命穴が崩れた他は大きな変化はなく、美しい景観を保った。ただし、「松島」の地名発祥の地といわれ,平安の昔から歌枕の地でもある「雄島(おしま)」に架かる渡月橋が津波に流され、島へ渡れなくなった。福浦島に架かる福浦橋も橋桁が傾き危険な状況になった。多くの客を乗せて島々を巡る遊覧船も小型船73隻のうち26隻が係留していた桟橋ごと流されていた。
 他の施設も津波被害を受け、旅館や飲食店のなかには営業を断念し、建物を取り壊したところもある。人気の観光スポットであったベルギーオルゲール博物館も閉館を余儀なくされた。
 松島には国宝瑞巌寺を始めとする歴史遺産があり、幸いなことに400年前に建てられたこれらの歴史的建造物群に津波被害は無かったが、地震による壁の亀裂、漆喰壁の崩落、顔料剥落等の被害を受けた。
 その後において,趣きのある瑞巌寺参道の杉並木の3分の1が津波の塩害により枯れ、伐採することとなった。

2. 復旧に向けて
 松島海岸は津波が去った後、大量の瓦礫と真っ黒い泥に覆われた。
 松島は、宮城県観光の中心を担っており、観光復興は波及効果も大きいので、東北の震災復興のためには松島がいち早く復旧し、観光客や復興支援の人々の受け皿とならなければならない,との想いから復旧が急がれた。
駐車場の汚泥撤去作業

駐車場の汚泥撤去作業

電気や水道が途絶えているなか,松島海岸地区の中央広場や各物産店、観光施設等の泥除去をどのようにしたら良いか考えあぐねていた頃、3月19日には多くのボランティアが全国から駆けつけ、地元の人々や瑞巌寺で修行している雲水(うんすい)さん達と一緒に真っ黒になりながら泥かきや清掃作業にあたってくれた。ボランティアの中にはカナダからヒッチハイクで駆けつけた人もおり、新潟県や長野県、兵庫県を中心に全国から750人を超える人たちの活躍があった。おかげで4月上旬には松島海岸地区の黒い泥の撤去がほぼ完了し、それぞれの施設は復旧に専念することが出来た。

3. 松島観光の復活
 瑞巌寺と円通院が震災1か月後の4月10日に拝観を再開し、伊達政宗歴史館やマリンピア松島水族館は4月23日から営業を開始した。4月29日には観光船が運航を再開し、仮復旧ながらゴールデンウイーク前までに松島はお客様をお迎えできる状況になった。震災4か月後の7月末には、おみやげ物店、ホテル、観光施設等95%の施設が復旧し、夏休みには大勢のお客様に訪れていただいた。松島には津波が来なかったと錯覚させるほど、穏やかで美しい景観に,訪れた観光客は驚いていた。
 奇跡的に被害が少なかった松島が早期に復旧・復興の姿を見せ、元気と活力を発信していくことが東北・被災地の復興につながると信じ、観光関係者が努力したおかげで,いち早く復旧を果たせたように思われる。

国道45号むとう屋

国道45号むとう屋

国道45号むとう屋・現在

国道45号むとう屋・現在


4. 松島観光の現状と課題
 観光客の入り込み数は、平成23年5月・6月頃は平年の25%、10月頃に55%、平成24年1・2月頃が65%、5・6月頃に75%、と順調に回復してきた。しかし、それ以降70%~80%の水準で足踏みを続けている。年間360万人のお客様をお迎えしてきた松島は,暦年ベースで平成23年は224万人、24年は265万人に止まっている。これは被災している地域への観光を遠慮しようという気持ちと原発事故の放射能を懸念する風評被害によるものと考えられている。放射能については宮城県内全域の空間放射線量を毎日測定し、インターネット等で何時でも、誰でも見ることができるようにされており、松島町内は震災以来毎時0.04~0.06マイクロシーベルトで安全な状況にある。ホテルや飲食店で提供している食材等についても、宮城県が検査状況を公表し、全て安全が確認されたものを使用している。観光客の一人もけが人を出さなかった松島は、安心・安全な観光地であることを地道に訴え続けていきたい。また、観光は地域の農林漁業や商店街と密接に結びつき、波及効果の大きい産業であり、「お客様としてお越し頂くことが震災復興の力になります」というキャンペーンを行い、時間の経過とともに観光客の増加を期待したい。
 自らも被災しながら被災者支援に奮闘する人や、家族と離れてボランティア活動に参加する人、復興のため震災当初から復旧作業に汗を流す人など,全国のたくさんの方々から松島の復興に力を貸していただいた。震災によって失われた被害は大きいものであったが、人々の心の温かさと優しさに触れ、大きな財産を得ることができた。壊滅的被害を受けた沿岸市町村の復興に向け、松島は観光を通じて貢献していくとともに、今後も松島を訪れて頂いた方々に「感謝」の気持ちをお伝えしていく観光地であり続けたいと思う。


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