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連載 中央アジアと日本 第3回 草原の国カザフスタン-豊かな資源とバランス外交を駆使して-| 外務省 特命全権大使 角﨑 利夫【配信日:2013/06/28 No.0220-0895】

配信日:2013年6月28日

連載 中央アジアと日本 第3回
草原の国カザフスタン
—豊かな資源とバランス外交を駆使して—

外務省 特命全権大使
角﨑 利夫


 カザフスタンは石油、ウラン、レアアースといった資源が豊富で最近は同国へ進出する日本企業も増えている。また隣国のロシアと中国、更に米国とも巧みなバランス外交を進めている。


 カザフスタンは1991年にソ連邦が崩壊して生まれた中央アジア諸国の一つであり、その272万平方キロの国土は旧ソ連邦諸国の中でロシアに次ぐ2番目の広さを誇る。北にロシア、東に中国という2大国を隣国とし、西や南はトルクメニスタン、ウズベキスタン、キルギスといった中央アジアの隣国と国境を接している。日本の7倍もある国土は主に草原(ステップ)であり、カザフ民族は「草原の民」と呼ばれる。つまり彼らはソ連時代に定住を強制されるまでは広い草原を遊牧する生活をしていた。カザフスタンの人口は16百万人を多少上回るが、カザフ民族はその6割強を占めるにすぎず、22%を占めるロシア系を始め、100を超える民族が住んでいる。しかし多民族国家でありながら、隣国ウズベキスタンやキルギスと違って流血を伴うような民族問題はこれまで発生していない。

 カザフスタンは近年その重要性を増している。その理由にまず石油・天然ガス更にはウランやレアメタル、レアアースといった鉱物資源を豊富に埋蔵していることが挙げられる。特にウランは世界第二位の埋蔵量を誇る。第二にその地政学的位置である。カザフスタンは中国のアキレス腱である新疆ウイグル自治区に隣接し、またソ連との長い国境には自然障害物がない、同国はいわば中ロの「柔らかい腹」に面して位置している。またカザフスタンを含む中央アジア諸国はイランやアフガニスタンにも近接し、過激なイスラム思想の伝播という観点からも、またそれら諸国への様々なオペレーションという観点からも重要な位置にある。

 カザフスタンでは91年に独立して以来、一貫してナザルバエフ大統領が政権の座にあり、議会では同大統領の率いる与党「ヌル・オタン」が議席の圧倒的多数を占める。その意味で政治は安定しているが、大統領はこれまで自分の地位を脅かしかねない実力者を常に排除してきたために後継者が育っておらず、そのことが将来の不安定要素を政治にもたらしている。

 経済は鉱物資源に支えられている。特に石油ガス産業がGDPの3割、輸出の6割を占める。近年はカスピ海北部の油田開発が注目を集め、その一つカシャガン油田には日本の国際石油開発帝石(IMPEX)も参加している。内陸国カザフスタンにとって安定的石油ガス輸送ルートを確保することが極めて重要である。石油パイプラインはソ連時代には北のロシアへ向かうルートしかなかった。しかるに今ではカスピ海の対岸バクー(アゼルバイジャンの首都)からグルジアを経由してトルコのジェイハンへ抜けるBTCパイプラインや、中国への石油パイプラインが完成して、石油の販路が多角化している。ガスパイプラインに関しても、ソ連時代には中央アジアはロシアへのルートしかなかったが、新たにトルクメニスタンから、ウズベキスタン、カザフスタンを経由して中国に至るパイプラインが敷かれた。販路の多角化はカザフスタンの戦略的立場を強化することにつながるものであり、また同国の上手なバランス経済外交の成果といえよう。
 カザフスタンは計画経済から市場経済へ移行するための経済改革も早くから積極的に進めており、外資導入の環境整備も進めてきた。その結果2000年からリーマンショックまで7年間は年平均約10%の成長を達成し、2010年以降も7%程度の成長を遂げている。既に国民一人あたりGDPは11000ドル(2011年IMF)を超え、中央アジアではぬきんでている。今後は国家経済の多角化による資源依存からの脱却が課題となっている。そのために日本を含む先進国には加工産業部門での投資を期待している。

 カザフスタンアは外交巧者である。ロシア、中国、米国、欧州など域外主要国とバランスのとれた外交を展開すると同時に域内各国との間でも良好な関係を維持している。即ち一つの大国に取り込まれることなく、独立性を維持しつつ「多方位外交」を実施しているといえよう。地域協力の点でも、ユーラシア経済共同体、上海協力機構などの地域内協力機構に参加し、また自らアジア信頼醸成措置会議を主導するというイニシアチブも発揮している。更に2010年には欧州安全保障協力機構(OSCE)の議長国に就任し、同年12月にはOSCE首脳会合を主催した。あるカザフ人はこのような巧みな外交に関して、「我々草原の民は,古来草原を縦横に走り回り、四方の情勢を素早くキャッチしていち早く対応を考えることに秀でている、それがカザフ外交の素地にある。」と述べている。

 日本とカザフスタンは1992年に外交関係を樹立し、翌年には在カザフスタン日本大使館も設置された。しかし日本人とカザフ人の接触という意味では、第二次世界大戦後にソ連に抑留された方々の約10%がカザフの地に送られた際に既に始まっていた。そして抑留者の勤勉ぶりや仕事の完璧度に地元の人々は感動し、それが今でも語り継がれている。
 日本政府のカザフスタンを含む中央アジアに対する外交基本戦略がまとまった形で発表されたのは1997年、故橋本総理が行った経済同友会での演説である。その中で橋本氏は「対シルクロード外交」として、政治対話、経済協力、平和への協力を3本柱として掲げた。2001年の9.11事件は中央アジアの戦略的重要性を一挙に高めた。日本も2004年に「中央アジア+日本」対話を立ち上げ、川口外相(当時)や各国の外務大臣が一堂に会して第一回対話がカザフスタンのアルマティで開催された。その後この枠組みの中で政治対話、地域内協力、ビジネス振興、知的対話、文化・人的交流という5つの分野で具体的協力が進められることとなる。そしてその延長線上で2006年、小泉首相(当時)が日本の首相として初めてカザフスタンを訪問した。
 他方両国の経済関係は21世紀に入っても、石油開発への一部企業の参加を除き低調であったが、この小泉首相訪問の頃から風向きが変わり始める。日本がウラン、レアメタル、レアアースといったカザフスタンの鉱物資源の重要性を認識し始めたのである。他方カザフスタンにとっては、資源の買い手の多角化は望ましいことであり、また日本からの技術や投資への魅力も大きかった。既に日本からの進出企業数は47社を数え(2011年10月)、投資総額は37億ドルに上るが、今後資源分野を中心に更に増加するものと予想される。また両国間貿易は輸出入各々共に450億円前後となっている(2012年)。こういった経済関係の進展を背景に2007年、甘利経済産業大臣(当時)がカザフスタンを訪問し、2009年には日・カザフスタン租税条約が発効し、また第一回日・カザフスタン経済官民合同協議会が開催された。その後も日・「カ」原子力協定の発効(2010年)、更には日・「カ」投資協定の実質合意(本年2月)と続いている。
 日本はカザフスタン独立以来同国に対し空港・道路等のインフラ整備、保険・医療、或いは人材育成などの分野で経済協力を実施してきたが、その総額は2011年までで1100億円を超えている。
 カザフ国民は総じて親日的であり、両国間には大きな政治問題もなく、更に経済は相互補完的であるので、今後も両国関係は発展していくことが予想される。
(本稿は筆者の個人的見解であることを申し添えます。)

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