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連載 中央アジアと日本 第7回(最終回) 南コーカサス三国~文明・エネルギーの十字路に位置する戦略性と複雑性~ | 慶應義塾大学 総合政策学部 准教授 廣瀬 陽子【配信日:2013/10/31 No.0224-0908】

配信日:2013年10月31日

連載 中央アジアと日本 第7回 (最終回)
南コーカサス三国
~文明・エネルギーの十字路に位置する戦略性と複雑性~

慶應義塾大学 総合政策学部 准教授
コロンビア大学ハリマン研究所 客員研究員 廣瀬 陽子


 南コーカサス三国の日本における認知度は低いが、その戦略的位置は極めて高く、潜在力も未知数だ。三国は、紛争や政治不安などで激動の時代を乗り越え、今後の発展が大いに期待されている。


南コーカサスの概要
 南コーカサス三国は、ソ連解体後に独立したアゼルバイジャン、アルメニア、グルジアを指す。三国が位置するのは、コーカサス山脈の南側、ロシア、イラン、トルコ、そして、カスピ海と黒海に囲まれた地域である。かつては、ロシア語にちなんで、日本では「ザカフカス」(ただし、ロシア語では「ザカフカジエ」)の呼称も広く使われてきた。この「ザ」とは「~の向こう側」という意味であり、それはソ連の首都であったモスクワを視座とした呼称であったため、ソ連解体後は、南コーカサス三国の人々がその呼称を嫌い、現在では、南コーカサス、トランスコーカサスなどの呼称が使われている。
 同地は、多くの文化、民族、宗教が交錯する文明の十字路である。またカスピ海の天然資源を有することから、歴史的にも、現代においても戦略的意義の高い地域として、国際政治に大きな影響を与えてきた。
 アルメニアがかつて自国領としていたアララト山(現在はトルコ領)がノアの方舟伝説の発祥地でもあることから、南コーカサスは歴史的に世界の中心であったとも言える。
 そして、文学作品の舞台にされることも多い極めて魅力の多い地である。まず、コーカサス山脈、カスピ海、黒海と素晴らしい自然環境がある。そして、民族音楽、民族舞踊、文学、映画、絵画などの芸術、絨毯など、素晴らしい文化がある。さらに、食生活も豊かであり、特に、グルジアワイン、アルメニアのブランディー、チーズ、キャビア、日本でも「カスピ海ヨーグルト」が有名になったがヨーグルトなどは有名であり、当地に長寿村もいくつかあることから、南コーカサスの食事は長寿食としても注目されている。
 しかし、日本では南コーカサスの報道も少なく、あまり知られていないのが実情だ。稀に報道される内容も、テロ、紛争、麻薬、相撲取りや格闘技の選手の出身地としての紹介、長寿村やそれを生んできた食文化、そしてカスピ海の天然資源くらいであり、特にテロや紛争の要素が強調されてしまうことから、どうしても危険な場所だというイメージが日本人には強く持たれている気がする。
 確かに、当地に紛争は多い。それは歴史的に戦略的位置を占めてきたからこそ、他勢力からの侵略が絶えず、民族分布が複雑であるため、紛争が絶えることがなかったからである。とはいえ、その複雑さこそが、南コーカサスの魅力を生んできたとも言える。

複雑な民族・宗教の分布と紛争
 既述のように、南コーカサスの民族分布は複雑であり、ロシア領の北コーカサスも交えた南北コーカサスでは100以上もの民族が混在しているという説もあるほどだ。しかも、この狭い領域内の民族的差異の大きさにも驚かされる。語族だけでも、印欧系語族(アルメニア人など)、アルタイ語族(アゼルバイジャン人など)、コーカサス語族(グルジア人など)、その他と多様であり、しかも、各語族の中に多くの民族語を話す民族が存在している。
コーカサスの民族分布地図
 また、南コーカサスは宗教的にも多様だ。同地はキリスト教圏(アルメニア、グルジア)とイスラーム教圏(アゼルバイジャン)に分けられるが、特に、アルメニアは世界で一番目にアルメニア教会を国教化し(301年)、グルジアは二番目にグルジア正教会を国教化した(337年)。アゼルバイジャンではイスラーム教のシーア派が多数派であるが、北部にはスンニ派もいる。その他、南コーカサスではロシア正教やユダヤ教などその他の信仰も多く見られる。
 これだけ民族や宗教の分布が複雑となると、民族分布と国の境界線を一致させることは不可能だ。図をご覧いただければ分かるように、民族分布と国境線が一致しないケースが多々見られ、その多くが紛争に発展したり、不安定化したりしてきた。中でも、アゼルバイジャン領内の「ナゴルノ・カラバフ」(ソ連時代はアルメニア系住民が多数派を占めていた自治州)、グルジア領内の「アブハジア」(ソ連時代はアブハジア人よりむしろグルジア人の方が多い自治共和国)、「南オセチア」(ソ連時代はオセット人が多数派を占める自治州。コーカサス山脈の北側、つまりロシア領内の「北オセチア」と分断されている)は、ソ連時代の末期から激しい紛争を経て、現在、それぞれアゼルバイジャン、グルジアの主権が及ばない「未承認国家」と化している。これらは、「凍結された紛争」と呼ばれてきた時期もあったが、2008年に南オセチアを巡り、ロシアとグルジアが戦争をしてからは、「長期化した紛争」と言われることが増えている。また、その戦争を機に、ロシアはアブハジアと南オセチアを国家承認し、その他4ヶ国がロシアの圧力により追従したため、完全な「未承認国家」ではなくなっている。
 しかし、この民族紛争の存在が同地の発展の大きな足かせとなってきたことは間違いない。紛争の可能性があるとして、同地を避ける外国企業も多いだけでなく、アゼルバイジャンとアルメニアが係争関係にあるため、両国をまたぐインフラが建設できない(たとえば、道路、鉄道のみならずアゼルバイジャンの天然資源を輸送するパイプラインがアルメニア経由で建設できない。そのため、遠回りとなるがグルジア経由とならざるを得ず、逆にグルジアは漁夫の利を得ている)、外国企業はアゼルバイジャン、アルメニアの両国で活動することができない(どちらかを選ぶ必要が出てくる)など、紛争は地域の発展の阻害要因となっているのである。また、三ヵ国の外交政策にも大きな制限を与えることにもなっている。

政治・経済
 ソ連解体後、南コーカサス三国の政治は激動してきた。アゼルバイジャンでは、ナゴルノ・カラバフ紛争の影響もあって、独立からしばらくはクーデターも多く、政治が極めて混乱した。しかし、1993年にソ連時代にクレムリンで活躍したKGB出身のヘイダル・アリエフが大統領になると、以後は権威主義ながら、安定した政権維持がなされている。2003年には、イルハム・アリエフが大統領職を世襲し、旧ソ連で初の世襲国家となったが、その後も権威主義的政策は続いており、反体制派への弾圧や人権問題が常に欧米から批判されている。しかし、カスピ海の石油、天然ガスにより、2000年代に入ると、国の経済は極めて顕著に発展した。首都バクーの様相は、まさに近代都市である。しかし、天然資源が枯渇した後のための産業の多角化が必須とされている。また、同国の地方が取り残されているだけでなく、ナゴルノ・カラバフ紛争の難民・国内避難民がまだ多く存在していることから、今後の課題は山積している。
 アルメニアもナゴルノ・カラバフ紛争の影響も受け、クーデターや議会乱射事件など政治的に不安定な時期も多かったが、これまでレヴォン・テル=ペトロシャン、ロベルト・コチャリャン、セルジュ・サルキシャンと3人の大統領がそれなりの安定を維持してきた。コチャリャンとサルキシャンはナゴルノ・カラバフ出身者である。だが、選挙後の抗議行動に対する政権の対応などで、度々欧米から批判を受けることがあるなど、民主的には未熟な点も多い。ブランディーなどの名産物はあるが、主だった産業はなく、ロシアに依存している面も多いが、着実に経済発展を遂げており、産業の多角化による更なる経済発展が目指されている。
 グルジアは一番大きな変動を経て来た国だろう。グルジアも、ソ連解体直後は国内の紛争の影響で政治は極めて混乱した。1992年に、エドゥアルド・シェワルナゼ元ソ連外相が帰国し、国家評議会議長に就任、95年からは大統領に就任したものの、その権威主義化が反発を呼び、2003年には「バラ革命」が発生し、ミヘイル・サアカシュヴィリが親欧米・反ロ政策を掲げて大統領に就任した。 しかし、サアカシュヴィリも権威主義化し、上述のように2008年にはロシアとの戦争も起きたことから、彼への反発が高まっていった。そのような中での2012年の議会選挙では、富豪のビジナ・イヴァニシュヴィリ率いる野党連合「ジョージアン・ドリーム」が勝利し、イヴァニシュヴィリが首相となり、勢力地図は完全に塗り変わった。イヴァニシュヴィリはロシアとの関係改善を進めている。グルジアも特に産業があるわけではないが、アゼルバイジャンの資源の輸送路となったことで、大きな利を得ることになった。また、黒海沿岸の観光地化をはじめとしたインフラ整備に力を入れている。まだ同国で活動する外国企業は限られており、米国からの援助に多くを依存している状況が続いているものの、経済成長は着実に遂げており、今後の発展が期待されている。

日本との関係
 残念ながら、南コーカサスと日本の関係はまだ薄いと言わざるを得ない。特にアルメニアには日本の大使館がなく(ロシア大使館が兼轄)、日本の企業活動も極めて少ない。
 しかし、南コーカサス三国の人々は親日であり、日本の文化や経済、歴史などへの敬意も相当なものである。日本は南コーカサス三国への人道的な援助を着実に続けてきた。たとえば、資源で潤うアゼルバイジャンに対してすら、首都バクー以外の地域の状況が極めて悪いとして、水のインフラ整備などに積極的に取り組んで来た。このような日本の誠意は確実に現地で評価されている。
 南コーカサス三国は、ソ連解体後、困難な時代を歩んできたが、極めて潜在性の高い国々であることは間違いない。今後は、日本の当地に対する関心がもっと深まり、経済、文化などを中心とした多面的な交流が生まれ、関係が深化していくことを望むばかりである。
(2013年10月2日)

<注>:アゼルバイジャンでは10月9日に大統領選挙が行なわれ、約85%の得票で、現職・アリエフ大統領が三選を決めた。また、10月27日にはグルジアで大統領選挙が予定されている。
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