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シリーズ 日本の力―進化する製造業 IIST取材記事 (東京都 墨田区編2) 「墨田区でモノづくりの地産地消を」 (株)浜野製作所 代表取締役 浜野慶一氏【配信日:2015/02/27 No.0240-0962】

配信日:2015年02月27日

シリーズ 日本の力―進化する製造業 IIST取材記事
(東京都 墨田区編2) 「墨田区でモノづくりの地産地消を」
(株)浜野製作所 代表取締役 浜野慶一氏


 従業員数名の量産金属プレス加工会社から、少量・多品種の板金工場へと業務転換を果たした(株)浜野製作所。試行錯誤の過程で取り組んだ産官学連携事業がもたらした効果とその意義、また自社と地域の強みをリンクさせた町づくりへの挑戦について浜野社長に聞いた。


(株)浜野製作所 代表取締役 浜野慶一氏 東京スカイツリーから車で約10分、小規模な製造業が多く集まる墨田区八広。(株)浜野製作所の現社長、浜野慶一の父がこの地に金属加工会社を興したのは、浜野が幼稚園の頃、墨田区の工場数がピークを迎える直前の1960年代後半である。その後、父の死去に伴い31才で父の跡を継いだ浜野は、板金・プレスを中心とした高度な金属加工技術を元に、5次、6次の下請け会社であった同社を徐々に多品種少量生産に主軸を置いた事業にシフトし、現在では企画・開発や試作・製作など、製造工程の上流まで積極的に事業を展開している。中でも、東京スカイツリーの開業記念事業として、墨田区の他の中小企業と連携・開発した小型電気自動車「HOKUSAI」(2009年)や、東京下町の町工場が連携して世界で初めて水深7,800mでの3D動画撮影に成功した深海探査艇「江戸っ子一号」(2013年)の開発など、浜野製作所の活躍は、とりわけ産官学連携や異業種連携事業において際立っている。

◆会社の風土を変えた産官学連携
 社長就任当時3名だった社員数を現在40名程まで増やし、取引先も4社からおよそ2,000社まで拡大させた浜野であるが、そこに至るまでは多くの困難と試行錯誤があった。父の会社を引き継いで7年経った頃、浜野は隣接する解体工事現場のもらい火で工場を全焼させる災禍に見舞われた。失った取引先を取り戻し、新規顧客を開拓すべく懸命に走り回り、やがて他社より短期で納品する実績で顧客の信頼を勝ち取り、経営を軌道に戻した。ところが「やっと火事を乗り越えて3年経った頃、今度は会社が何をやってもうまくいかない。新しいチャレンジをしようとすると総スカン」と浜野がため息をつく事態に陥る。社員には先代からの古い職人も多く、頑なな姿勢に怒ると今度はだんまりを決め込んで無言の抵抗をされる。「そんな中で、腐りきってしまった会社の風土をなんとか変えたい、と手探りで始めたのが産官学連携事業だったんですよ」と浜野は振り返る。

 通常「産官学連携」と言うと、得意とする技術や専門知識を結集し、新たな付加価値を備えた製品を創り出す印象がある。しかし浜野が産官学連携事業に参画した当時、同社は「そんなレベルじゃ全くなかった」と浜野は言う。ただ、行き詰った空気を変えたい、という一念だけで始めたものだった。そこには「いい会社・風土のところには、きっといい人が集まってくる。するとそこでは、色んな元手となるものが生まれてくるんだろう」という浜野の確信に近い期待があった。

 産官学連携事業に加わった当初は、やはり職人たちから強い反発にあった。浜野はその度に事業の意義を彼らに根気よく説明した。そうしたことを繰り返すうちに、少しずつ変化が生まれ始める。就業時間分だけ働けばいい、と考える人は辞めてゆく一方で、当初は非協力的でも、浜野の説明に耳を傾け、納得した人は進んで手伝ってくれるようになった。更にそれらの活動をHPに載せると、新たに共感する人が社員として入ってくる。会社の体質はそうして徐々に変わっていった。そんな時、墨田区から区内中小企業の技術力を示す電気自動車「HOKUSAI」共同開発の話が来たのだった。社内の風土をなんとか浄化しようと奮闘を続けて既に7年が経っていた。「新しい何かにチャレンジできる土壌が会社に出来た時、ちょうどHOKUSAIの話が来て、ハイ、と手を挙げることが出来たんですよ。」

◆どの地域にも必ずいいものがある
 産官学・異業種連携事業に積極的に携わったことで、他にも大きな収穫があった。それは、当たり前過ぎて気付かない身近な物事に、他者の視点で新たに気付かされた経験である。浜野の目にはスクラップでしかない鉄の塊が、工場視察に来たデザイナーの目には魅力的な作品を作るための材料として映る。そうして身の回りを改めて見つめ直した時、浜野には墨田区や東京が、ものづくりをする上で実はとても魅力的であるということに気付かされる。それは東京が世界有数の大学の集積地である点である。それらは地元の大きな資源、資産であり、それを活用しない手はないと浜野は考えている。だが、と浜野は続ける。「これは東京だけの話じゃないですよ。どの地域にも必ずいいものがある。でも住んでいると分からなくなるだけなんです」。国内外多数の企業・工場を視察した経験から見えてきたことだ。

◆この土地で人の役に立てる商売を
 父が昼夜なく働く姿を見て育った浜野は、もともと会社を継ぐ気はなく、大学在学中に就職活動をして内定も得ていた。その浜野が会社を継ぐ気持ちになったのは、就職活動中のある夜、初めて父に誘われて焼き鳥屋で飲んだ時のことだ。そこで父は、ものづくりの楽しさについて、目を輝かせて浜野に語った。その姿を見て、浜野の中で父の跡を継ぐ気持ちが決まった。

 いま浜野は、会社の規模のみを追求するのではなく、人の役に立てる商売をしたいと考えている。そこには、ものづくりの楽しさを語った父と同じ思いで商売をしたいとの願いがある。浜野製作所の経営理念には、「お客様・スタッフ・地域に感謝、還元」するという言葉が並んでいる。これは、事業を引き継いだ時に起草したものではない。工場の焼失など、様々な災難や困難に見舞われつつも、お客様、スタッフ、地域に支えられてここまで来た、との強い思いから後に作り上げたものである。

 2014年、浜野製作所は自社の敷地内に、ものづくりの実験施設「Garage Sumida」(ガレージスミダ)をオープンした。最新のデジタル工作機器を備えたそこで、個人・企業を問わず製品開発を支援すると共に、多様な人、アイデア、マーケットを繋いで新しい技術・製品・サービスを創出する狙いである。そこには、様々な業界・業種の人々と、ものづくりを追求してきた浜野製作所の経験や強みを地域に還元し、それを意欲のある他の人々と分かち合い、共に発展し、子供たちが安全に生活できる町づくりの役に立ちたい、との気持ちが込められている。IT産業の一大拠点となった米国のシリコンバレーのように、中小企業が中心になって強い横の連携を活かし、墨田区をものづくりの拠点として世界に発信する町にしたいと考えている。(川西 亜紀)

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