| 最新号 |この記事のカテゴリー: 東北復興 |
IIST e-Magazineのバックナンバー:| カテゴリー検索 | キーワード検索 | |
2010年度以前 (IIST ワールドフォーラムメールマガジン) のバックナンバー:| キーワード検索 | 時系列検索 |

  • このエントリーをはてなブックマークに追加


IIST e-Magazine (本記事の英語版はこちら)

依存から自立へ=正念場迎える東北被災地= 時事通信社 仙台支社長 山田 惠資【配信日:2015/06/30 No.0244-0977】

配信日:2015年6月30日

依存から自立へ
=正念場迎える東北被災地=

時事通信社 仙台支社長
山田 惠資


 2011年3月11日の東日本大震災発生から間もなく4年4か月。政府は2015年度以降、これまで全額国が負担していた復興事業費の一部を震災の被災自治体にも負担してもらう方針に転換した。依存から自立へ―。東北被災地の闘いはこれからが正念場となる。


◆地元負担、反応に温度差
 東日本大震災によって東北地方は、震災、津波、そして原発事故の三重苦に苦しんでいる。そうした中で政府が復興費の地元負担方針を示したことは当然ながら被災地に大きな波紋を広げた。ただ、地元自治体の負担率は1~3.3%と、「最小限度のもの」(竹下亘復興相)となったことで、被災自治体は比較的冷静に受け止めているのも事実だ。
 2015年6月3日、政府が東日本大震災の2016年度以降の被災地の事業負担割合を公表したことについて報道陣からコメントを求められた村井嘉浩宮城県知事はこう語った。「評価して良い。一部の地方負担は残ったが、負担率は非常に低いものに抑えてもらった。これで復興は着々と進められている」。達増拓也岩手県知事も「一定の評価をしたい。復興がストップするのではないかと不安を抱いた市町村もあるがそれほどでもない内容だ」
 両知事とも、5月上旬に、復興庁が2016年度以降の復興事業費の一部負担を被災自治体に求める方針を示した際は「はなはだ遺憾」(村井氏)「極めて残念」(達増氏)などと批判的な立場を示していた。三陸沿岸道路整備や被災自治体の期限付き職員の人件費が国庫負担となったことから、一定の評価をする姿勢に転じた形だ。ただ、これはやや建前的な反応だったと見るべきだろう。2015年4月の時点で村井氏周辺からは「最大の問題は(津波の直撃を受けた県内の)沿岸自治体にしっかり対応できるかどうかだ」との声も聞こえていた。 
 また、宮城県内でも、津波で東北地方最大の被害が出た石巻市の亀山紘市長は2015年6月4日、報道陣に対して「今年から3年間がわれわれにとっての正念場と考えており、2016年度以降も全額国で負担してほしと要望してきた。残念な結果だ」と語り、不満の意を示した。このほか石巻市同様に津波被災地である東松島市の阿部秀保市長も「(負担率の)水準は、国の考え方としては『わずかだ』との認識でも、自主財源が減少する中、その影響は計り知れない」と強い懸念を示している。

◆福島の特殊性
 一方、東京電力福島第一原発事故の影響で、復興が遅れている福島県の反応は宮城、岩手両県よりもかなり厳しいものだ。「国とわれわれの考え方とは明らかに異なる部分がある」-。2015年6月4日、内堀雅雄福島県知事は、原発事故の避難区域を抱える相馬市と、県庁所在地の福島市を結ぶ東北中央自動車道・相馬-福島間(45キロ)が県負担の対象となったことに不満の意を示した。2020年度までの事業費600億円のうち、県負担は10億円となる見通しだ。
 また、2016年度以降の県負担額についても、復興庁は100億円と試算したのに対し、県は400億円超に膨らんだ。このずれは、国庫負担割合が大きい復興特別会計の対象外となる道路事業などの県負担分が復興庁の試算に含まれなかったことによるもので、福島県側には試算方法そのものにも不満があるようだ。
 原子力災害という福島の特殊性を過小評価すべきではないだろう。津波や地震といった自然災害とは異なり、あくまで人災である。しかもこれまでの復興事業が遅れている理由は、原発事故による放射能汚染が大きな足かせとなっているためだ。こうした事情も踏まえて、復興庁は今後、現時点では一部地元負担の対象としたところを、全額国負担に切り替えるかどうかは当面の大きな焦点である。

◆女川の挑戦
 東北地方の被災地にとっても震災復興は唯一の目標ではない。震災以前から、人口流出や地域経済の疲弊という深刻な課題に直面していたからだ。そうした中、被災地である宮城県女川町は早くから「自立」を念頭に街づくりに取り組んでいる。これは東北被災地の将来を見通す上で、重要なモデルケースとして注目に値する。
 宮城県東部の牡鹿半島に位置する女川町は、さんまの水揚げで知られる日本有数の女川漁港を有し、東北電力女川原子力発電所の立地自治体でもある。東日本大震災の津波によって中心市街地は壊滅的な被害を受けて、死者・行方不明数は800人を超え、全壊した家屋は3000棟近くに上った。また、震災前に10014人だった人口は、津波犠牲者を含めて減少を続けている。2014年6月に総務省が発表した統計によると、人口減少率は6.54%と全国で最高だった。2015年4月には7000人を割り込み、5月末時点では6982人で、15万人を有する隣の石巻市の5%以下となった。
 復興、防災対策、人口減少、そして原発再稼動。女川町は東北の被災地が抱える重要テーマをすべて背負い込みながら、再建を進めていると言える。
 その女川町で2015年3月21日、震災後、不通のままとなっていたJR石巻線の浦宿-女川間(2.3キロ)で運転を再開し、同時に津波に流されて建て替えられた新しい女川駅舎も開業。これにより石巻線は全面復旧した。新駅舎は被災した旧駅舎より約200メートル内陸寄りで、高さは約7メートルかさ上げし移設され、大規模な津波対策も施された。駅舎内には町営の温泉湯浴施設も併設。駅前はバリアフリー設計で、現在、駅から海側に向けてプロムナードが建設されており、沿道にはテナントの商業施設や地域交流センターが年内に稼働する。他の被災地に比べて、街づくりが早いペースで進むのは、当初から、防潮堤を創設しない決断をしたことと、若者が担い手となったこと-が大きな理由である。

3月に新たに開業した女川駅(6月2日、筆者撮影)

3月に新たに開業した女川駅 (6月2日、筆者撮影)

 一方で、震災後、運転を停止している女川原発は、2014年5月から、海抜17メートルだった防潮堤を29メートルにかさ上げする工事を行っており、2016年3月に完成する予定だ。ただ、2013年12月に申請した原子力規制委員会への再稼動審査は進んでおらず、当初目指した2016年4月の再稼動は難しい状況となっている。
 こうした状況にあって当面の焦点は、女川駅前を中心に2015年秋にも開業する商店街を中心とした街づくりの行方だ。須田善明町長は「全体としてはまだこれからだが、核となるものはようやくできた。もともとわれわれの復興は、震災以前に戻ろうというのではなく、全く新しい町をつくろうとしている。それは地方創生にもつながっていくだろう」と語っている。
 その上で、須田町長は言い切った。「地域の皆さんもハートがいい。7000人を切ったわが町にもやる気のある人はたくさんいる。女川から出て行った人が『出て行ったのは失敗だった』と思うような街をつくりたい」
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
(本記事の英語版はこちら)


| 最新号 |この記事のカテゴリー: 東北復興 |
IIST e-Magazineのバックナンバー:| カテゴリー検索 | キーワード検索 | |
2010年度以前 (IIST ワールドフォーラムメールマガジン) のバックナンバー:| キーワード検索 | 時系列検索 |