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自由貿易から公正貿易へ~食料安全保障をめぐって~ 一般社団法人共同通信社 編集委員兼論説委員 石井 勇人 【配信日:2017/10/31 No.0272-1057】

配信日:2017年10月31日

自由貿易から公正貿易へ~食料安全保障をめぐって~

一般社団法人共同通信社 編集委員兼論説委員
石井 勇人


 日本は「自由貿易」を通商政策の基本にしているが、欧米では「公正貿易」がキーワードになっており、食料安全保障の観点から安い農産物の輸入を制限するべきだという主張が台頭している。


 安倍政権は「自由貿易」を基本理念とする通商政策を堅持しているが、欧米では「公正貿易」がキーワードになっており、食料安全保障の観点から安い農産物の輸入を制限するべきだという主張が台頭している。スイスは今年、2017年9月の国民投票で、憲法に「食料安全保障」を明記することを主要国で初めて決めた。農産物の輸入と国内生産をどのように両立するべきか。スイスの動きは、関税に代わる新たな貿易障壁の強化につながる側面があり、その方向性を注意深く見守る必要がある。

 米国のトランプ政権は「自由貿易より公正貿易」を訴え、北米自由貿易協定(NAFTA)の再協議や、環太平洋連携協定(TPP)からの離脱を決めた。一方、安倍政権は米国を除く11カ国によるTPPの早期発効を模索、今年7月には欧州連合(EU)との経済連携協定(EPA)に大枠合意するなど、自由貿易路線を堅持している。

 しかし「自由貿易ではなく公正貿易」という主張は、主に製造業の雇用維持を狙っている米国だけでなく、欧州各国や欧米の非政府組織(NGO)も積極的に発信しており、貿易や投資の自由化への反対運動に結び付いている。特に食料自給率が低いスイスでは、農業団体だけでなく、消費者団体や環境保護団体からも、農産物の輸入について「公正貿易」が必要だという主張が強まっている。

 スイスは山岳地が多く、農業生産の条件が不利で、人件費も高い。近年は農地の減少傾向が続き、スイスの農家数は30年前の約12万5300戸から約5万5200戸(2013年)に減った。農業予算の削減圧力も強まっている。さらにスイスは2014年に中国との自由貿易協定(FTA)を発効させたほか、今年1月にはアルゼンチンやブラジルなど南米の関税同盟である南部共同市場(メルコスル)とFTA交渉を開始するなど、貿易の自由化に積極的だ。農家は安価な農産物の輸入の増大を警戒している。

 こうした懸念を背景に、スイス農業・酪業家協会は2014年、食料安全保障を憲法に明記する提案を発議し、わずか3カ月で憲法改正の国民投票に必要な10万人を遥かに上回る15万人もの署名を集めた。また環境団体や消費者団体も、輸入食品に対して、環境、労働、動物福祉などの国内基準と同等の基準を満たすよう求めている。

 これを受けて、スイスの連邦政府は、関係者と意見調整して「対案」をまとめ、当初の「発議案」は16年末に取り下げられた。国論を割るのを避けるのが狙いだ。9月24日の国民投票では、賛成78・7%、反対21・3%と、圧倒的多数で憲法改正が決まった。

 具体的には、スイス連邦憲法104条(農業)に、「農地など農業生産基盤の保全」「資源の効率的利用」「農業・食品部門の持続可能な発展に貢献する国際貿易」など5項目を支援する文言を加筆する。

 圧倒的な支持で可決されたものの、大手メディアでは「無意味な投票」「面子を保った農家」「新たな規制の台頭」など批判的な論調が目立った。憲法改正の内容に具体性が欠け、条文の解釈の幅が大きく、すぐに農業政策が変わるわけではないからだ。

 特に「国際貿易」について、経済団体が「貿易の自由化を促進する内容」と解釈する一方、農業団体は「輸入は国内供給と補完関係にあり、スイスで生産できないものだけを輸入する。自由貿易ではなく公正貿易だ」と反論している。

 スイスの農業政策は4年ごとに見直されており、2018年―21年の中期計画はすでに立案している。憲法改正の趣旨は22年以降の農業政策に反映され、それまでに時間を掛けて国内の意見調整が続く展開だ。

 しかし大きな流れとしては、持続可能性を確実にするため、ソーシャルダンピングやエコロジカルダンピングを許さず、輸入品にも国内と同等の基準を順守させることこそ「公正」だという発想は着実に根付いていくだろう。農産物についても、衛生基準はもちろん、労働、環境、動物福祉などの基準をきっちりと守らせ、基準の低い国からの食料の輸入を制限する方向だ。

 こうした動きは、関税や補助金を使った国内の農業保護策と比べてコストもかからず、強力に作用する可能性がある。政府が行政措置をとらなくても、食品の基準を示すラベリングが普及すれば、消費者の段階で基準を満たさない安価な食品は排除されるようになるからだ。

 スイスの農業団体が、生産者の保護に焦点があたっていた「発議案」を取り下げたのは、憲法改正を実現するために妥協したのではなく、消費者を巻き込んで「農場から(食卓の)お皿まで」のバリュー・チェーン全体を包括した方が、「非関税障壁」としてはより有効に作用すると見抜いたからに違いない。だからこそ発議から国民投票まで3年もかけて議論し、単純な国内の農業保護論や増産策ではなく、輸入による食料の確保や、公正な食品流通のあり方、食べ残しなど消費者側の問題についても合意形成を目指したのだろう。

 安倍政権は、日欧EPA大枠合意を受けて「(EU側の)ほぼすべての品目で関税撤廃を獲得し、農林水産物の輸出促進に向けた環境を整備できた」(農林水産省)と成果を誇示したが、スイスの動きが欧州に波及すれば、関税は撤廃しても市場は閉じられたままとなりかねない。

 安倍政権の農政は、経営規模の拡大など経営効率化に重点を置いているが、日本の農産物をスイスや欧州に販売するためには、持続可能性、環境などに配慮し、輸出先の高い基準を満たせるような生産方法に切り替えていくことを迫られるだろう。

 スイスでは、緑の党が「フェア・フード」(公正な食べ物)という概念を提唱し、食料の輸入相手国に対して持続可能な食料生産を求めている。要するに、米国や日本のように生産の段階で燃料や化学肥料を大量に使う国の農産物は受け入れないということだ。小規模農家の組合であるユニテールは「食料主権」に関する発議をしており、いずれも来年に国民投票の対象になる見込みだ。これら2つの保護貿易色の強い発議に対して、スイスの国民はどのような判断を示すだろうか。その影響は、遅かれ早かれ日本にも及ぶだろう。

【本稿は、筆者の個人的な見解であり所属団体の見解ではない】

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