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ノーベル文学賞の現在地点—イシグロさん受賞と日本人— 【配信日:2018/3/30 No.0277-1070】

配信日:2018年3月30日

ノーベル文学賞の現在地点—イシグロさん受賞と日本人—

共同通信社文化部長
加藤 義久


 2017年のノーベル文学賞は、英国人作家カズオ・イシグロさんに贈られた。日本生まれの作家の受賞とあって国内でブームが続く。ボブ・ディランさん受賞などで注目度が高まるノーベル文学賞の今と、日本との関係を考える。


 2017年のノーベル文学賞は、長崎生まれのイギリス人作家カズオ・イシグロさんに贈られた。〝日本出身〟作家の受賞とあって国内でも著作が相次いで増刷され、翻訳小説としては異例の売り上げを見せるなど、ブームはなおも続いている。ボブ・ディランさん受賞などで注目度が高まる中、ノーベル文学賞の位置づけは変わってきたのか。日本人にとって、どのような意味を持つのだろうか。

意外だった受賞

 イシグロさんの受賞は、世界で大きな驚きを持って迎えられた。これまで下馬評に挙がったことはほとんどなく、地元メディアも予想していなかったからだ。同賞の選考に当たるスウェーデン・アカデミーを長年取材している地元紙の担当者は「われわれの誰も、イシグロが候補とは知らなかった」と話す。臓器移植を題材にした代表作「わたしを離さないで」はSF的な要素があり、近作の「忘れられた巨人」は竜や騎士が出てきてファンタジーとして読める。これらはアカデミーがあまり評価してこなかったジャンルだけに、意外性を持って受け止められたという側面もある。

 「私たちは世界を驚かせ続ける」とアカデミー会員の一人は話した。15年に受賞したスベトラーナ・アレクシエービッチさんはチェルノブイリ原発事故を記録してきたベラルーシのジャーナリストだったし、16年のディランさんは誰もが知る米シンガー・ソングライター。ヘミングウェイやカミュといった〝分かりやすい作家〟ではなかったため、確かに世界は驚いた。

 だが「文学は歴史とともに変わっていく」と同会員が指摘したように、アカデミーは「文学とは何か」という古くて新しい問いに向き合い、現代の文学としてアレクシエービッチさんやディランさんを選んだに過ぎない。イシグロさんはSFやファンタジーとの距離が近い作家ではあるが、社会や人間にとっての「記憶」とは何かという、彼の作品に通底するテーマは時代や国境を超えて共感できるものだ。世界に読者の多い人気作家であり、人間の感情や本質を描く文学者でもあるイシグロさんは、現代的かつ伝統的なノーベル文学賞受賞者だといえるのではないだろうか。

世界で認められること

 世界で注目を集めたイシグロさんの受賞だが、日本での盛り上がりぶりはさらに輪を掛けていた。

 1954年に日本人の両親のもとに長崎で生まれ、5歳のときにイギリスに渡ったイシグロさんは、日本語はほとんど話せず、英語で小説を書いてきた。日本の海外文学好きにとって彼は日本の名前を持つイギリス人作家であり、翻訳小説として親しんできた人が多い。だが今回の受賞は「川端康成、大江健三郎さんに次いで、日本出身として3人目のノーベル文学賞受賞者」という位置づけで報道された。現地での記者会見や授賞式には日本のメディアが多く詰めかけて演説内容などを詳しく報じ、現在イシグロさんが住むイギリスで授賞式がほとんど報道されなかったのとは対照的だった。

 どこの国でも大なり小なり言えることではあるが、日本は海外での受賞や評価を受けることに敏感であり、特にノーベル賞は「世界で認められる」ことの象徴として格別の注目を集める。欧米に追いつき追い越せで経済成長を遂げた近代以降の意識が日本人の中に根深く残っていることの表れかもしれない。

 ただ今回の受賞で言えば、日本がイシグロさんに一方的に片想いしているわけでもない。イシグロさんは会見で「私の一部は日本人」「出自を誇りに思う」と語り、作品への日本の影響を認めている。遠くなりつつある日本の記憶をとどめたいというのが小説を書き始めたきっかけであり、デビュー作と2作目は日本が舞台となった。小津安二郎監督ら日本の映画にも造詣が深い。日本人が親近感を抱いたのは名前と風貌だけが理由ではなく、文学的な背景があったのも間違いない。

日本人作家受賞の可能性

 では今後、日本で生まれて日本語で作品を手掛ける〝生粋の日本人〟のノーベル文学賞受賞はあるだろうか。その可能性が最も高いと思われているのが作家の村上春樹さんだ。

 村上さんは代表作「ノルウェイの森」が国内累計1100万部を超える大ベストセラーになるなど現代を代表する日本の作家であり、50以上の言語に作品が翻訳されている世界的な人気作家でもある。村上さんはチェコのフランツ・カフカ賞を受賞した2006年から、英国のブックメーカーによる受賞者予想で毎年上位に挙げられるようになった。04年と05年のカフカ賞受賞者がその年のノーベル賞を受けていたためだ。それ以降、村上さんの熱心なファンが受賞者発表を見守る様子を各メディアが大きく報じるなど、ノーベル文学賞と村上さんを巡る騒ぎが毎年繰り広げられている。だが実は、村上さんが最終候補に残っているのかどうかも分かっていない。アカデミーは候補者を明らかにしておらず、選考過程が公開されるのは50年後だ。

 スウェーデンで村上さんの評判を聞くと「個人的には好き」という人が多い一方で、ポップな作風に対して「ノーベル賞には軽すぎる」という声も。また、小川洋子さんや多和田葉子さん、中村文則さんら海外で評価されている作家は他にもいる。ただ、文学は言葉による表現であるため、日本の作品には「翻訳」という高い壁が存在する(多和田さんはドイツ語でも執筆)。英語をはじめ欧州の言語で執筆する受賞者が多いのも事実だ。

 だが、シンガーやジャーナリストが受賞したように、ノーベル文学賞そのものが変わりつつある。どこの国の作家だとか、ジャンルがどうだとかいったことは、もはやそれほど大きな意味をなさないのかもしれない。「世界文学」であるかどうかが問われているのだとすれば、その幅はとてつもなく広い。

 イシグロさんも国境を越えた普遍的なテーマの作品が評価されてノーベル賞を受賞した。会見では英国人作家か日本人作家かと問われて「ただの作家だ」と答えている。日本の作家が受賞すれば素晴らしいことだが、さまざまな地域の優れた文学を通して世界を知るきっかけとなることが、ノーベル文学賞の大切な役割なのかもしれない。


(本ページの英語版はこちら)

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