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ゲイン・イニシアティブ 一般社団法人 共同通信社 編集委員 石井勇人 【配信日:2018/6/29 No.0280-1080】

配信日:2018年6月29日

ゲイン・イニシアティブ

一般社団法人 共同通信社 編集委員
石井 勇人


 欧州連合(EU)は国際的なルールつくりで主導権を握るのが実に巧みだ。日本の農産物を輸出するためにはEUの実験場とも言えるスイスなどの動きをいち早く察知して、早い段階からルール作りに関与することが重要だ。


 名画「戦場にかける橋」(The Bridge on The River Kwai)で、英国の特務機関の訓練中に教官が「ゲイン・イニシアティブ」と指導するシーンがある。「主導権を握れ、先手必勝」といったところか。

 国際的なルールで主導権を握る点において、EU(欧州連合)は実に巧妙だ。先進地域としての文化を背景に、人権や民主主義など一般論としては否定しがたい価値観から派生的な概念を打ち出し、実質的にEUに有利になるように導いていく。域内28カ国はそれぞれに文化が異なっているため、幅広い議論が重ねられ、十分に練られたルールがつくられる。日米を含む域外の国から指摘されるような批判の多くは簡単にはね返される。

 さらに域内中央に位置しながらEU非加盟のスイスが「実験場」の役割を果たし、効果や問題点を検証できる。動物の権利に関するルールはその典型例だ。スイスでは動物福祉(アニマル・ウエルフェア)に配慮した飼育方法を採用する農家に対して、手厚い補助金を支給し酪農や畜産業を支えてきた。動物福祉の考え方はEUや米国でも幅広く普及しており、大手流通業は、動物福祉の条件を満たした畜産物でないと扱わない傾向を強めている。

 こうした国際潮流に関して、日本は全く後手に回っている。例えば、和牛は日本が輸出拡大に力を入れている付加価値の高い畜産物だが、狭い畜舎に閉じ込めてカロリーの高い穀物を与えて肥育することや、鼻に穴を空けて縄を通す管理方法は、残虐行為と受け止められる恐れがある。

 2010年に宮崎県で発生した口蹄疫で、牛や豚の過密飼育が大量殺処分の悲劇につながったが、日本では過密飼育の改善が遅れている。欧米では、家畜が自由に動けるように十分な空間を確保するルールが、動物福祉の観点から厳格になってきている。

スイスの鶏舎(外観)。スイスでは動物福祉が徹底され鶏舎は広い空間が確保されている。

スイスの鶏舎(外観)。スイスでは動物福祉が徹底され鶏舎は広い空間が確保されている。

 家畜の運搬についても厳しいルールがある。EUでは、家畜をトレーラーで運ぶ場合に24時間(スイスは6時間)を超えてはならない。日本では、牛肉のEU向け輸出の衛生基準を満たした食肉処理場は群馬、岐阜、鹿児島(2カ所)に計4カ所(2018年4月時点)しかないから、東北など産地によっては生体のまま長時間、輸送しなくてはならない。

同鶏舎の内部。鶏舎は数日ごとにトレーラーで移動し、落ちた鶏糞が牧草の肥料になる。

同鶏舎の内部。鶏舎は数日ごとにトレーラーで移動し、落ちた鶏糞が牧草の肥料になる。

 決して、日本人の家畜に対する愛情が少ないわけではない。実際に地域によっては、一頭ごとに名前を付けて丁寧にブラシをかけ、ビールまで飲ませて家族同然にかわいがっている。それでも、ルールつくりで先手をとられてしまえば、それを変えるのはとても難しい。

 動物福祉の考え方は、畜産物だけでなく水産物にも広がっている。スイスでは3月1日に「ロブスターを含む生きた甲殻類は、冷凍または冷水につけた状態で輸送してはならない。甲殻類は必ず気絶させてから殺す」という新しい法律が施行された。生きたまま熱湯に放り込むのが残虐だとし、電気ショックなどで意識をなくしてからゆでることになった。同様のルールはイタリアで先行して施行されており、新たな潮流となれば、刺身の生け造りを日本の食文化として売り込んでいくのは難しくなるだろう。

 一度築き上げられたルールや価値観は、強力な貿易障壁として機能する。GAP(ギャップ、適正農業規範)の手続きや有機農産物の定義などは、農産物の輸出競争力に直結している。GAPは、東京五輪・パラリンピックで食材調達の条件となるため、農林水産省がにわかに普及を急いでいるが、国際規範としてはロンドン五輪を好機としてEUに主導権を握られた。この規範(プラクティス)には、カビが発生しやすい高温多湿な日本の気候や、それを背景にした発酵食品の文化などが十分に反映されていないため、国際市場において日本の食品は不利な条件で競争しなくてはならない。

 有機農産物の分野でも日本は不利だ。乾燥した欧州の小麦畑と違って、湿潤な日本の水田は、除草防虫のためにどうしても薬剤に依存する傾向がある。コメは通常、脱穀・精米によって農薬などが残留しやすい胚芽の部分が除去される。高級な清酒の場合、5分、7分と磨かれたコメを使用するから、なおさら有機栽培のコメを原料にするインセンティブがない。

 農薬の使用量は、食用段階では検出されないほど微量なのに、生産段階で農薬を使っているのは事実なので「減農薬」、「特別栽培」などと表示され、「有機」とは名乗れない。そればかりか、GAPに基づいて生産履歴を明記すると、農薬使用が「見える化」されてしまう。

 このため清酒は、有望な輸出品目だが、ドイツのように有機農産物が普及している地域では苦戦中だ。2018年1月にベルリンで開かれた見本市「緑の週間」では「天鷹酒造」(栃木県大田原市)が出展していたが、有機清酒のメーカーは日本に数社しかない。「欧州で清酒のポテンシャルは極めて高いが有機でないと相手にされない」(バイヤー)という。日本には「天鷹」以外にも良い清酒があるのに「有機」と名乗れないために、輸出の機会を逃しているのは残念なことだ。

 こうした理不尽を回避するためには、EUに主導権を握られる前の早い段階で積極的にルール作りに関わり、日本の特殊性を訴えていくことだ。ブリュッセルやワシントンだけでなく、「実験場」となっているスイス、米国市場の場合だとカリフォルニア州などの動きに注意深く目配りして、先手をとられないよう身構えておく必要がある。

 言うまでもなく、現在のキーワードは「持続可能性」だ。動物福祉や有機農産物も、持続可能性の文脈に位置づけられて、その運用はますます厳格になっていくだろう。日本の農産物は大量の農薬や化学肥料、ハウス栽培に伴う化石燃料を使用している点で、もう少し危機意識を自覚するべきだ。

 上述のように、動物福祉や有機農産物の分野では、すでに先手を取られている。日本の特殊事情を説明してルールを変えるのは、極めて困難だ。この不利なゲームで戦っていくためには、相手側のルールに合わせていくしかない。無意味だと感じても「有機」が求められるならば、有機米で酒をつくることだ。和牛の飼育・管理方法、農薬や化学肥料の使い方も、欧米のルールに適合させていく必要がある。

 映画「戦場にかける橋」では、「将校を重労働させるのは国際法違反」と主張する英国の捕虜側と、「将校は兵士と苦楽をともにするのが当たり前だ」と考える日本側の将校が対立を深める。海外で和食が高く評価されているのは事実だが、日本のルールが容認されると考えるのは大きな間違いだ。ブームだけでは農産物の輸出は増やせない。

【本稿は、筆者の個人的な見解であり所属団体の見解ではない】


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