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「オランダ農業」は日本のモデルになるのか? 共同通信 編集委員 石井 勇人 【配信日:2018/10/31 No.0284-1089】

配信日:2018年10月31日

「オランダ農業」は日本のモデルになるのか?

共同通信 編集委員
石井 勇人


 オランダは、情報技術(IT)や人工知能(AI)を積極的に活用して農産物の輸出額を増やし、米国に次ぐ世界2位の農産物輸出国の地位を築いた。安倍政権は、オランダをモデルにして日本の農業分野の構造改革を目指しているが、そこに死角はないだろうか。現地を訪れた感想を交えて、日本が何を学ぶべきか考えてみたい。


 風車にチューリップ―かつての農村の風景は、今や風力発電装置とハイテクで装備したガラスの温室に置き換わっている。オランダの農業政策の神髄は、産官学連携による強力な研究開発体制にある。首都アムステルダムから東へ約90キロにあるワーヘニンゲン大学を中核とする産学官のクラスターは、IT産業を勃興させた米国カリフォルニア州北部のシリコンバレーにならって、1997年に「フードバレー」(regio foodvalle)と呼ばれるようになった。

ワーヘニンゲン大学(キャンパス)。世界最高水準の農業大学として知られ、ビジネスと結びついた実践的な研究で高い評価を得ている。創立100周年を祝うパビリオンが設けられていた(写真中央)

ワーヘニンゲン大学(キャンパス)。世界最高水準の農業大学として知られ、ビジネスと結びついた実践的な研究で高い評価を得ている。創立100周年を祝うパビリオンが設けられていた(写真中央)

 2004年には、オランダ政府や地元の自治体、食品企業などが資金を拠出して「フードバレー財団」を設立、異業種間や産学官の連携を戦略的に強化する体制を整え、企業の利益に直結するビジネス指向の研究への傾斜を強めた。地元エーデ市のリーネ・フェアフルスト市長は、この財団の機能は「あらゆる関係者をマッチングさせることだ」と強調する。

 筆者が訪問したへルダース・ファレイ病院は、そうした連携機関の一つだ。入院患者の食事のデータを解析し、健康回復に有効な栄養素を特定、その応用としてトップ・アスリートの疲労回復に最適な食事も研究している。その成果は2020年の東京五輪で実証されるかもしれない。

 少し意外な連携先としては、フィンセント・ファン・ゴッホのコレクションで知られるクレラー・ミュラー美術館がある。絵画からインスピレーションを受けたレストラン・メニューや加工食品を開発して、ビジネスにつなげる。例えば「フィンセント・ショコラーデ」は、名作「ひまわり」にちなんでヒマワリの種を練り込んだ板チョコだ。生前に作品がまったく評価されなかったゴッホが、絵画どころか自分にあやかったチョコレートまで売れると聞けば、びっくりするだろう。

ゴッホチョコ(写真下)とパッケージ

ゴッホチョコ(写真下)とパッケージ

 2025年を目指したフードバレーの中期計画では、人的ネットワークを海外に広げる「パイプライン」構想が中核だ。アフリカやアジアなど世界中から有能な若者をフードバレーに受け入れ、そこで学んだ人材が帰国したり、新天地を求めたりして、人的ネットワークが世界中に拡散・強化していく。結果的に世界中の「知」がフードバレーに集積していく。

 環太平洋連携協定(TPP)など貿易の自由化を推進する安倍政権にとって、1980年代後半に、農業大国のスペイン、ポルトガル、ギリシャが当時の欧州共同体(EC)に加盟し、オランダが農業分野の構造改革に迫られたという、歴史的な経緯が参考になったのだろう。

 安倍晋三首相は、2014年3月にオランダを訪問し温室栽培施設を視察、同年の「日本再興戦略」で、農業を新たな「成長エンジン」と位置付け、国際競争力の強化と輸出額の増加を目標に掲げた。前年5月に林芳正農相(当時)、9月に甘利明経済財政担当相(同)、比較的最近では16年9月に斎藤健農相(同)がオランダを視察した。1兆円を目標にした農産物・食品の輸出促進策や、ITやAIを活用したスマート農業の関連予算の増額は、その延長線上にある。

 しかし、オランダを外形だけ模倣しても、日本の農業にとって最適とは限らない。前述したようにオランダの心臓部分はフードバレーだ。日本でも食・農分野の産官学連携は進んできたが、その規模や戦略の面でフードバレーに追いつけるとは思えない。グローバル化が進むほど「知の集約」は一人勝ちになる。半導体分野で、日本の挑戦にもかかわらずシリコンバレーに肩を並べる産官学クラスターが育たなかったのと同様に、世界に「2つめのフードバレー」は必要ないからだ。

 そして何よりも、本家・オランダでさえ、極端な輸出指向やビジネス化を見直す気運がある。オランダの農業は「輸出型」と同一視される傾向があるし、実際にそのような時期もあった。90年代に養豚など畜産の経営規模の拡大を推進してコストを削減した。その結果、過密飼育が進み97年から98年にかけてオランダでは豚コレラが大発生。畜産業が大打撃を受けただけでなく、欧州各国からは環境規制を緩和して輸出を促進するソーシャルダンピングとみなされて批判され、規制の徹底を求められた。オランダの輸出戦略には苦い経験があり、オランダ政府は飼育頭数の制限や、糞尿から排出されるリン酸の規制を徹底など、今なおその課題と向き合っている。

 企業化された農業の見直しはオランダ国内でも着実に広がっている。例えば、2002年にオランダで設立された「動物党(Partij voor de Dieren)」は、当初は「嘲笑された」(マルアンヌ・ティーメ党首)が、動物愛護や動物福祉だけでなく、脱原発や自然エネルギーの活用を訴え、家畜の過密飼育などを批判、2006年の選挙で下院(定数150)に党首ら2人が初当選。現在は下院5議席、上院(定数75)2議席に党勢を拡大している。2010年に経済省に吸収されて消滅した農林水産所管機関も、現在は「農業・自然・食品品質省」として再度独立し、トップは副首相が兼務する重要官庁だ。

 農業金融最大手のラボバンクのヴィーベ・ドライヤー会長は2018年7月12日にワーヘニンゲン大学で講演し、オランダの農業の課題を3つ指摘した。環境破壊、農家の低所得、世界貿易機関(WTO)体制の弱体化だ。上述の家畜の過密飼育のように、農業による環境破壊は市民団体から厳しく批判されている。農業関連の企業は成長しても農家の所得向上に必ずしも結びついておらず、農家の39%は貧困ライン以下だ。輸出型農業は海外の影響を受けやすく、保護主義の台頭は逆風だ。

 現在のオランダの農業政策の目的は「持続可能性」であり、そのための「効率化」だ。研究者、行政官、農家は「モア・ウィズ・レス(more with less)」と口をそろえる。つまり、水、肥料、電気、労働力など少しでも投入量を減らし、如何に増産するかというのが彼らの課題であり、ITやAIはそのための有力な道具だ。

 一方、安倍政権の農業政策では、コストを引き下げることが「効率化」であり、ITやAIは、経営規模の拡大を促し、就農人口の減少や人手不足を補うのが主目的だ。オランダと外形的には似ているけれど発想が異なっている。さらに根底には、自然観の違いがあるように思う。

 オランダでは、1930年代に北海(ワッデン海)とアイセル湖を大堤防で仕切り、広大な干拓地が造成された。自然は克服する対象であり、そのために技術を磨く。「世界は神が造りたもうたが、オランダはオランダ人が造った」と地元で言われているゆえんだ。

大堤防(アフスラウトダイク/Afsluitdijk)。世界最大の堤防で全長32km。この締め切り堤防の誕生により、かつて湾であったゾイデル海は淡水となり、アイセル湖と呼ばれる湖になった。

大堤防(アフスラウトダイク/Afsluitdijk)。世界最大の堤防で全長32km。この締め切り堤防の誕生により、かつて湾であったゾイデル海は淡水となり、アイセル湖と呼ばれる湖になった。

 それに対して日本では毎年のように地震や台風の被害に遭い、自然とは折り合いを付けて共存していくと考える日本人が多いのではないか。北海道で9月に起きた大地震は、電力の供給停止でハウス栽培や酪農が瞬時に危機に陥ることを示した。温室とITを駆使した「オランダ型」のイチゴ栽培も打撃を受けた。塩が混じる土質で、日照時間も短く、平均気温も低いオランダと比べて、日本の国土は南北に長く、四季の変化に富み、温暖で水にも恵まれている。日本の農業に必要なことは、オランダの周回遅れの模倣ではなく、国際的な連携を深めつつ、国土の生産条件に最適なイノベーションを自ら生み出す意欲だ。


執筆者プロフィール
共同通信 編集委員 石井勇人(いしい・はやと)

岐阜市出身、東京大学文学部卒、1981年に社団法人共同通信社入社、ワシントン支局、経済部次長、前橋支局長、編集委員室次長兼論説委員を経て2018年2月から岐阜支局長兼編集委員。2015年から「農政ジャーナリストの会」会長。著書に「農業超大国アメリカの戦略」(新潮社)、共著に「亡国の密約 TPPはなぜ歪められたのか」(同)、「進化する日本の食 農・漁業から食卓まで」(共同通信社編、PHP新書)など多数。訳書に「通商戦士 米通商代表部(USTR)の世界戦略」(スティーヴ・ドライデン著 塩飽二郎共訳、共同通信社)。


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