観光地域づくりに取り組む日本版DMO (2)
変化の時代を迎えた観光まちづくり
変化の時代を迎えた観光まちづくり
社団法人ジャパン・オンパク代表理事
ホテルニューツルタ代表取締役社長
鶴田 浩一郎
観光は地域産業そのものであるがゆえに、観光産業従事者だけでは“まちの活性”は望めない。バブル崩壊後、典型的大型観光地である別府温泉は伸び悩んだ。しかしそのとき、今に続く別府のまちづくりを始めたのは住民や根っからの別府ファンだった。ゆるいつながりを持ったコミュニティと変化の時代に迅速に対応できるDMOは、まちづくりの両輪である。
わが国の観光産業は外国人観光客の急増により、大きな変化の時を迎えている。他産業にはだいぶ引き離されたが、グローバリズムの渦中にある。
ふりかえると、2011年の東日本大震災のネガティブな影響が薄れてきた13年から外国人観光客の急増が始まった。円安の影響、ビザの解禁、LCCの相次ぐ就航等の複合的な要因が重なり一挙に伸長したといわれる。もちろんアジア諸国の所得の向上などにより、世界的にも交流人口が爆発する時代といわれていたが、これほど急激に伸長するとは誰も予想はしていなかった。

その頃、大分県では「一村一品運動」が盛んに地域づくりのスローガンとして謳われた。由布院の観光産業の勃興は、現在でもアジア地域で有名なその「運動」の典型的な事例とされた。住民や地域を巻き込んだ地域活性運動としての「まちづくり」はその後の地方の活性に重要なメルクマールとなっている。
低迷した20年に「まちづくり」が萌芽
バブル崩壊後、典型的大型観光地である別府温泉も伸び悩むのだが、90年台半ばより地域を憂い、再び別府に光を取り戻そうとする住民や根っからの別府ファンが結束するようになってきた。このときから別府のまちづくりが始まる。「まちづくりコミュニティ」生成の萌芽の時代といえる。
99年からまちを深く知るための「まち歩き」が始まりガイドが誕生、01年から地域資源を参加型プログラムに仕立てあげる「別府八湯温泉泊覧会(通称オンパク)」が始まる。地域で光が当たらなかった共同湯や幾筋もの路地、そして地元民が日常食べている「食」などに注目し、参加型商品に仕上げていくイベントである。

別府鉄輪の湯けむり展望台。街のいたるところから立ち上る無数の湯けむりは壮観。別府温泉ならではの、この湯けむり景観は2012年、国の「重要文化的景観」に選定された。
01年当時に別府で発想されたことで、今でも各地の温泉地でテーマにのぼるハードルの高い課題がある。それは「温泉と健康・医療」である。戦前は湯治場として栄えた温泉地であるがゆえに、その健康指向を再度、温泉地のコンセプトとして育てていこうとするものである。
私たちも当時ドイツやイタリアの温泉地に視察にでかけ、彼我の差を歴然と感じていた。医師の処方箋に従い長期滞在し数週間の温泉治療を受ける癒しの場としての温泉地、少数の温泉地はこれにエンタメ系イベント、カジノなどが存在する。地域のコンセプトが極めて明確なのである。
日本においては同様の地域を目指すには保険制度などの障壁があり難しいことから、「健康と温泉」をいかに結びつけるかが課題となり、その試みがこの20年、数多くの温泉地で静かに行われているが、残念ながら結果に結びついてはいない。
客層の変化から、新しい温泉地のコンセプトを求める試みは数多く行われているが、その実現はマーケットが反応するまで表舞台にはでてこない。まちの活性化を考えるとき、とくに低迷期においては一度走るのを止めてわがまちの歴史を振り返り、先人の足取りを追うと今に活かすヒントがたくさん詰まっている。ただ、残念なことに、まちの人々が考えた歴史はほとんど資料として残っていないのだが。
想像力を働かせて、過去を掘り起こし今に活かすことが早道であることが、少しづつ分かってくる。数多くの観光再生地はこのような道のりを歩んでいる。

明礬(みょうばん)温泉の泥湯。中央の竹竿より左側が女性エリア、右側が男性エリアに分けられている。この泥湯の泉温は約40度だが、通常の沸かし湯の5倍の熱保有度があるため、長くても10~15分で切り上げる。
一転して訪日外国人激増時代に入り、次のような新たな課題が浮かび上がっている。初歩的には多言語化への人材や表示への対応、タトゥーの是非など入浴文化の相違、食生活などの相違が上げられる。これらは短時間に受入地域で解決していく課題である。
一方、構造的で解決に時間がかかる新たな課題も表面化している。観光地の需給バランスが崩れるような新規のホテル建設の激増、地方の深刻な人手不足と職場環境の改善も働き方改革などで早急に対応すべき問題とされる。また、政府が注力するサービス産業の生産性向上の課題。観光が国の基幹産業になるには、一層GDPへの寄与度を伸長させていかねばならない。
さらに流通も大きく変化してきた。旅行流通は国際競争時代に突入し、とくにICTの進歩によりグローバルOTA(Online Travel Agent)のシェアがわが国で急伸しており、国内依存度の高かった国内旅行業者の苦戦が伝えられる。ICT時代がAI時代に入ろうとしている現在、情報量とそのシステム構築力からして、内外の合従連衡が進むものと推定されるが、ひとつ間違うと外国勢に飲み込まれる可能性さえでてきている。

内成(うちなり)の棚田。山の斜面に1000枚以上の棚田がある。「日本の棚田百選」に選ばれている。春・夏・秋・冬、季節ごとにその表情を変え、美しい風景を作っている。
このような変化に対応するため政府の政策が14年から始まる。「地方創生政策」のなかでも重要な施策とされる、各地域におけるDMO(Destination Management or Marketing Organization)の設立である。本来、DMOとは観光地域を経営する組織のことであり、KKD(勘と経験と度胸)といわれた過去の観光施策とは違い、科学的に地域を分析して地域の観光施策、実行計画を決めていく司令塔の役割を果たす機関である。
具体的には、KPI(重要業績指標)を設定してPDCAサイクルを回していく。アウトプットとアウトカムを峻別する。会社経営と同様の手法を求めていくものである。いままでの仕組みを変えるに等しいことから、一挙に変化を起こすことは障壁が高いが、変化の時代に迅速に対応できる組織が地域に必要とされることは論をまたない。
13年までの長い観光低迷期、ほとんどの観光地域は努力すれどその低迷を抜け出せずにいた。この時代に地域はPDCAを回していたのか、計画の成果検証をしていたのか、甚だ疑問である。少数の成功地域の事例を学んだかもしれないが、それを自分の地域で活かす術もなかった。このような反省に立つと新しい視点からの組織の必要性を痛切に感じる。
ただ、まちづくりの成功事例には必ず「まちづくりに結集したコミュ二ティ」が存在する。業種は問わず、男女や老若も問わない横串を刺したようなゆるいコミュ二ティだ。観光は地域産業そのものであるが故に、観光産業従事者だけではまちの活性はない。このようなコミュニティとDMOの存在が次世代型観光地として、また持続的に発展を望める地域として注目されていくものと確信している。

社団法人ジャパン・オンパク代表理事
ホテルニューツルタ代表取締役社長
鶴田 浩一郎
1952年大分県別府市生まれ。成蹊大学経済学部卒。2004年NPO 法人ハットウ・オンパク設立代表理事、2010年(社)ジャパン・オンパク設立代表理事。ホテルニューツルタ代表取締役社長。1981年に帰郷。ホテル経営のかたわら、大型温泉地別府の地域づくりに参画、2001年より地域資源を活用し参加交流型商品を作り出し、地域を元気にするイベント「ハットウ・オンパク(別府八湯温泉泊覧会)」を立ち上げる。現在、オンパク方式の地域活性手法は、函館から沖縄まで全国約80所に普及。2010年全国の仲間達と(社)ジャパン・オンパクを設立、さらなる普及に向かっている。