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配信日:2009年5月20日

オンリー・ワンのものづくりは、全て模型が「好き」なことから
−有限会社ファインモールド 代表取締役社長 鈴木邦宏氏インタビュー−


旧日本軍の戦車・戦闘機から、映画「紅の豚」や「スター・ウォーズ」まで、考証性の高いプラモデル製作で国内外より高い評価を得ている模型メーカー、(有)ファインモールド。創業者の鈴木邦宏 代表取締役社長にお話を伺いました。


(有)ファインモールド プロフィール

1987年創業のプラモデルメーカー(愛知県豊橋市)。細部まで徹底的にこだわったプラスチック模型を作り出すため、自社内で三次元CADと工作機械を駆使した樹脂金型を開発し、自社オリジナルブランドのプラモデルを製造・販売、国内外より高い評価を得る。


−鈴木社長はなぜこのお仕事を選んだのでしょうか。御社を設立するきっかけや、その経緯を教えてください。
鈴木:
 もともと僕は建具屋の息子に生まれて、後継ぎとして育てられました。卒業後、1年ほど家で仕事をしていましたら、父親から「お前は向いてないから、どこか勤めに行きなさい」と言われました。そこで学校が工業高校の建築科だったので、建築の設計事務所へ就職するという、常識的な判断をしたわけですね。
 でも、大事なことに気がついたんです。家に興味がないってことです(笑)。まじめにはやっていましたが、将来自分が建築の設計者としてやっていく心づもりがあいまいでした。知り合いからは「それなら好きなほうへ行けばいいじゃん」と言われましたが、当時、30年前ですから日本では終身雇用制が確立されていて、途中で仕事をポンポン変わるというのは、ドロップアウトしていくようなイメージが非常にありました。
 でも精神的に非常に追い詰められていって、模型が好きなら模型屋になればいいと思ったわけです。でも当時、模型の小売店を開くぐらいしか考えつかない。お金を貯めてショップを開くためにほかの会社へ入ったのですが、資金を貯める目処が立たず、そこも2年ぐらいで辞めました。
 ちょうどそのとき模型のサークルをやっていたのですが、1人の先輩が模型メーカーに就職しました。当時の模型メーカーは設計部門とアッセンブリーラインは持っているのですが、金型は外注に依存しており、そのメーカーの金型外注工場で人を募集しているということで、そこを受けたわけです。そこは3人ぐらいの小さな会社でした。僕はそこになんとか入れてもらって、やっとその道に入りました。それが22歳の終わりでしたね。
 全くの素人で、機械を触ったこともなければ機械工学の知識があるわけでもなく、もちろん専門的な教育を受けたこともない。そんな中でもやりだすと、やっぱり模型の仕事っていうのはおもしろい。設計事務所にいたので図面を読むことができるので勝手に設計変更して作ったり、結構楽しくやれるようになりました。
 そのうち、メーカーさんと話をしていても、それほどマニアでもないなと思ったり、メーカーの側からは、「お前はマニアだからおかしい」とかいろいろ言われるわけですね。だったら将来自分でメーカーがやれたらおもしろいな、という考えがだんだん頭をもたげてきたんです。 そして勤め始めて4年半ほどして、「自分の金型を作りたい」と親方をなんとか粘り強く説得しました。そこで、最初に作ったのがこの鳥山明さんにデザインをお願いした「リーザ」の人形です。
 その頃マンガ家の鳥山明さんはちょうど「ドラゴンボール」の連載がスタートして忙しい頃だったのですが、そんな中デザインしてくださいと(笑)。そして会社を辞めて友達と2人で売り出したわけです。最初はすごくヒットしました。これがいわゆる既存の大手メーカーさん以外が作った初めてのインジェクションのプラスチックモデル、プラモデルであると今認定されています。それが1985年のことでした。
 しかし2人でやっていると考え方にどうしても齟齬が出てきます。それで動けなくなってしまい、資金的にも行き詰まっていき、1年ぐらいで解散しました。やはりトップが2人いるとだめだなということですね。もちろん若いですし、しっかりしたビジネスのビジョンもなく、いわゆる真似ごとに近かったのではないかと思います、メーカーごっこに。
 そしてまた1人になったわけです。お金が10万円しかなくて、自分の6畳の部屋のこたつの上で始めたのが87年です。これが創業の年ですね。まさにリセットしてスタートして、最初は模型メーカーから依頼された見本用の完成品を1個作っていくところから始めて、そのお金で小さい機械を買ったりして、少しずつ今の形になっていくわけです。

−リスタートをされて、御社の名前が知られるようになったきっかけの作品、ターニングポイントになったお仕事をご紹介ください。
鈴木:
 それは87年に創業して12年経った99年の「紅の豚」だと思います。それまでは旧日本軍のものを作っているマニアックなメーカーという認識で、ニッチな産業をやっていたのですが、模型専門誌の中で「旧日本軍専門メーカー」と言われることにちょっと抵抗感があったんです。自分は好きだけど、そうだというレッテルを貼られるのもある種いやなんですね。
 違うものも作ってみたいという中で、たまたま「そう言えば紅の豚ってないよね」と。映画の公開は92年でしたが、企画がスタートしたのは98年です。そこである模型出版社を通して直接宮崎監督にお会いして、実現したキットが、「紅の豚」のサボイアS.21です。僕はあとから知ったのですが、それまで宮崎監督は版権をなかなか下ろさないことで有名で、これが出てからいろいろなところでびっくりされました。
 これを作ってどうのとか、どうやって売るとかっていうビジネススタイルは一切提示しなかったですね。宮崎監督とは、映画の中では、飛行機の映像も変化するのですが、その中で模型としてちゃんと落としどころのできるものにしたいという話をして、それ以外は1920年代のイタリア機の話であるとか、日本の飛行機の話であるとか、マニアックな話に終始しました。それで結局監督から許可が出て、ジブリさんから版権が下りるという形になったんです。ファインモールドというのが、また違う面で名前を知っていただけるきっかけになったと思います。
 次は2001年にやった「スター・ウォーズ」ですね。最初に作ったのはこのX-ウィングです。社員の案から出たもので、お酒を飲みながらこのX-ウィングが作れたらいいねと。「スター・ウォーズ」に登場する宇宙船全部を手掛けようなんてその時は思っていなかった。ルーカスフィルムさんからは、PL保険に入っておかなければいけないとか、個人ではだめだとか、いろいろな条件を提示されました。ジブリさんのときはまだ個人事業主でやっていたんです。個人と契約するという点ではジブリさんでも当時特例だったのですが、ルーカスさんのほうは一応会社でないと困ると。そういうところをクリアして実現しました。
 そうですね、これが出たときは本当に世界中がびっくりしていました。公開が70年代ですから、ファンの間でも研究がし尽くされている中、今どきこんなX-ウィングがでてくると思わなかったですから。しかも今までのものと比べると非常にクオリティが高いと、世界中の人から評価していただきました。現代の技術で作ったらこうなるというものの典型例でしたから。契約上日本の国内販売だけだったにもかかわらず、世界中に商品が流れていったという形です。世界中といっても小さなマーケットですから(笑)、そんなに大量にバカ売れするというわけではないですが、欧米のマニアの人たち、好きな人たちも手に入るようになって、やはりいい商品だというところが評価の対象になったようですね。
 もちろん日本の国産のプラモデルが世界のトップレベルであることは、それまでにも当然知られていたわけですが、うちみたいに小さなところでも世界で評価していただけたことはありがたかったですね。

―御社が、作品を制作する上で、一番大切にしていることは何ですか。作品制作に対する強いこだわりの裏にはどのようなお気持ちがあるのでしょうか。
鈴木:
 「こだわり」というのはあまり好きな言葉ではないのですが、やはり理想というものがありますよね。うちはまず一つには、自分がなぜ始めたかという原点、つまり既存のものに不満があって、自分の理想を追い求めたかったことがあります。これを崩してしまうと自分の会社でなくなってしまいます。そして、それを実現するには設備が絶対必要です。先ほどお話ししましたように多くのメーカーさんは外注に依存しています。そうすると、技術ノウハウが蓄積しないですよね。その中で自分たちで1個1個ものを作っていくと、技術は残っていくわけです。例えばそのときは赤字商品であっても、何か技術的なものがあれば、次にまたフィードバックできますね。そういう目に見えない売上、形、ノウハウを大事にしたいのだと思います。
 そこまでなぜやるのかというのは、自分が欲しいからです。自分が欲しくないものをお客さんに供給してもだめだと思うのです。昔の商品をまだ売っていますが、今見たら稚拙なものが多いです。ただ言えることは、どの商品もそのときのベストを尽くしたのは事実だということです。ですからテクノロジーが上がってくるにしたがってもっとどんどんいいものができる、というのが今のうちのあり方です。会社を運営していく上で目先の利益も大切なのですが、将来に対して自分たちはどうなっていくのかということが、一番重要なポイントだと思っています。
 もちろん会社の経営が苦しいときは毎回あります。今は創業して20年以上になりますが、会社の経営が楽になったかというと決してそうではありません。うちは規模の拡大を目指さない、売上の拡大を目指さないというところで、自分たちのコアをもっと熟成させる必要があるわけです。そこで初めて、競争しない会社になりたいんです。結局今の商品というのはみんな比較論なんですね。例えば自動車でもそうです。ある会社とある会社を比較している。ひとつの会社が潰れても、他に代わりがあるから困らない。それなら、うちは潰れたら困る会社になればいいんですよ。うちしかできない、うちしかやらない、うちしか変なものを作らないという会社だったら、比べられない会社ですよね。
 だから今また変なものを作っています。工作機械のプラモデル(笑)。牧野フライス製作所さんの、うちで使っている金型を加工する機械のプラモデル。あと、日立金属工具鋼さん向けにこれの小さいやつとかね。「誰が欲しがるんだ、こんなもの」というものを作っています。今は製造業がガタガタですけど、工作機械というのは、それに従事する人たちはずいぶん多いはずです。その人たちに向けた模型があってもいいんじゃないかと。工作機械だったら工場にも「こんなものを作ったんですけど」って営業に行けますよね。また違うマーケットもできます。それもバカバカしいぐらいに詳細に作ってありますから(笑)。
 要は模型自体がくだらない存在なんです。ということは、そこで手を抜いたら要らないわけですよ。映画と一緒です。見て感動して、それだけです。でもあると嬉しいでしょう?それってすごく大事なことですよ。

―現在、働くことの意義について、若い人が非常に迷いを持っている部分があります。ものづくりや、ひいては働くことについて、次の世代に伝えていきたいと思うことはなんですか。
鈴木:
 僕が伝えるということではなくて、みんなが見つけることです。僕が伝えるなんておこがましいことはできないと思います。
 今、日本のものづくりというのは物質だけを言っているんです。でも、ものづくりがものを作るだけだったら、いまやコンピュータのCAD/CAM化と高精度な工作機械とのシステムがあればできるわけです。つまり装置産業になっていくわけです。ではいい装置を持っていたらいい仕事ができるのか?ものづくりでよく錯覚されるのはそこなんです。装置さえあれば世界中どこでもいい仕事ができるはずなのに、できないのはなぜか。それは文化の差です。その人たちの考え方であったり設計情報であったり。その設計情報を立体化するわけです。
 例えば、文字の羅列自体は、小学生も小説家も同じです。だけど小説家が感動する、すごい文章が書けるのは、その人が紡いできた文化や経験値があるからです。それがまたないがしろにされています。
 大事なのは、機械は金を出せば買えるけど、人間は金で買えないというのが僕の考えです。若い人たちはどんな人でも能力があるんです。まずは、失敗に対する免疫をつけることです。失敗してもいい、最初からうまくはできない。やらないのはもっと悪いんです。やって失敗するのはOKです。今ある技術、今あるすべてのもの、失敗の積み重ねによってできてくるわけじゃないですか。僕がなぜそう思うかというと、プラモデル製作の際、全部歴史を調べ、ありとあらゆる先人の苦労、開発するときの過程を調べますから、その先人たちの思いみたいなものも一緒にわかるんです。ものを作っていくときに、自分の威信を投げうって、それを乗り越えていく姿が見えるんです。だからそういう中でやはり俺たちはやらなきゃいけないと、元気になるわけです。だから歴史を学ぶことは大事なことだと思います。
 人間なんてはっきり言って気持ちひとつです。景気も気です。気持ち一つで元気になれば、同じものも違って見えますよね。

  社員には、テーマを与えたら、こっちであまりハンドリングしないようにしています。みんな好きにやらせています。納期を決めて、そこまでベストを尽くしてみよう、と。そんな中で、やはり社員のスキルはアップしてきますね。「この機械買ったから勝手に使いなさい」と言いますから、勝手に「うーん」とかやって、「できたー」とすごく楽しそうですよ(笑)。

 

―鈴木社長のこれからの夢・叶えたい目標は何ですか。
 そういうことを言われるといつも困ってしまうのですが、「将来は変なジジイになりたいです」とか言ってるんですよ(笑)。「紅の豚」の映画を見ているときも、まさかそれを作るとは思わなかったし、「スター・ウォーズ」もただ見ていただけなので、世の中は先で何が起こるかわからないな、おもしろいなというのはあります。今の自分の想像には全然ないものが出てくるわけです。どんどん歩いていくと違った景色が見えてきます。周りが見せてくれるものは、自分の意思とは違うものが出てくるんです。それをわくわくしながら楽しめばいいかなと思います。
 今の仕事は、ただただ好きで、知りたいという感じでやっているだけです。何でもいいんです。ああ、俺はこれで生きていけるんだ、俺は必要とされているんだと思ったときに、人間はブレイクします。そして必要とされる仕事を見つけたとき、それを天職と呼ぶようになります。自分がやってきた経験則から言うと、そのぐらいしかできないんじゃないですかね。だから決められたものは何もないんです。壁を立てられるとだめなんですね、好き勝手に生きていますから。そうでないと、自分の中で心が死んでしまいます。ですからそれを大切にしていきたいなとは思っていますね。

(有)ファインモールドHP http://www.finemolds.co.jp/
 
 
 

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