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配信日:2010年7月20日

官民の情報交換と健全な国内市場が育てるものづくり力

株式会社 日鉄技術情報センター
チーフエコノミスト

北井 義久


日本企業のものづくり力は衰えていないが、政府との密接な情報交換では韓国などに学ぶ点は多い。さらに国内市場を活性化させるには賃金抑制的政策からの転換が必要である。

 日本のメーカーが直面する課題として、韓国・台湾・中国メーカーの追い上げは無視出来ない。特に、韓国のサムソン・現代自動車は日本の電気・自動車メーカーと世界各地で、激しいシェアー争いを展開しており、日本メーカーが劣勢に立たされることも珍しくなくなっている。この点に関しては、韓国メーカーが日本のメーカーをベンチマークとして価格・品質面でのキャッチアップに努めてきた成果が出てきたと見るべきであり、日本のものづくり力が落ちたと悲観するのは時期尚早であろう。日本のメーカーが着実に進歩を続けていることは、白書で紹介されている数多くの日本企業の実例が示している。

 一方で、メーカーと日本政府との間で十分な情報が共有出来ていない可能性がある。90年代以降、官民の癒着への様々な批判の高まりにより企業と政府との情報交換は、特にインフォーマルな場において乏しくなっている。例えば、今回実施されたエコカー減税・エコカー補助金・エコポイント制度について、政策効果を高めるための工夫や制度の円滑な実施の為に、十分な情報交換が行われているのか疑問は残る。過去の癒着批判の反動で、官民の情報交換が不十分であるとすればそれは正されるべきである。この点で、日本政府は民間企業への支援を強化している欧州やアジア各国政府に学ぶ必要があると考えられる。特に、拡大を続けるアジア市場での日本企業の競争力を高めるには、アジアに関する情報をプラス・マイナス両面で的確に民間に伝える必要があろう。

 さらに日本メーカーが安心してものづくりに集中する為には、国内消費市場の健全な拡大が必要である。しかし、日本の名目個人消費は2000年度の283兆円が09年度も同額に止まっており、個人消費の不振が続いている。一方韓国の名目個人消費は2000年の330兆ウオンから2009年に577兆ウオンに75%増加している。日韓のメーカーでどちらが有利な立場にあるかは明白であろう。また、日本の国内需要、特に個人消費を活性化させることは、中小企業の活力維持に貢献する。大企業の多くは、国内市場の飽和化に対してアジアを中心とする海外への進出で企業規模の維持・拡大を図ることが出来る。しかし、多くの中小企業にとって海外進出のハードルは高い。さらに無理をして海外への進出を進めることは、それで無くとも不足している中小企業の経営資源の分散をもたらし、かえって中小企業のものづくり力を停滞させかねない。

 ここで、日本の個人消費が長期低迷を続けている背景としては、企業収益の回復と企業経営の自由度拡大を意図した一連の経済政策が、賃金の低下に繋がったことが指摘出来る。賃金指数(従業員30人以上)の動きを見ると、2000年度平均の103.9が09年度には94.9に8.7%も落ち込んでいる(図表1)。この様に賃金が落ち込んでいれば、個人消費が伸び悩むことは当然である。また、賃金の伸び悩みをもたらした政策としては第一に、非正規労働者の雇用を促進する一連の規制緩和を挙げることが出来る。ここで、非正規労働者の雇用拡大による総人件費の抑制と柔軟な雇用制度を目指す方針は、95年の日経連の提言「新時代の日本的経営」において明確に示されており、企業側の要望がほぼストレートに政策として実現した。

日本の賃金指数

 具体的には、まず1996年の労働者派遣法の改正により対象業種がそれまでの13業種から26業種に広がった。その後、1999年の改正で派遣対象業種を原則自由化する大きな方向転換があり、既に進んでいた実態が追認された。2004年には99年の改正では自由化の対象とならなかった、製造業に対する派遣が合法化されると共に、派遣期間がそれまでの原則1年から3年に延長された。さらに、登録型派遣(日雇派遣)や偽装請負による低賃金労働者の利用拡大も進んだ。登録型派遣とは、あらかじめ派遣会社に登録しておくことにより日々、様々な派遣先が紹介されるシステムであるが、基本的には日雇労働者の募集システムであり、労働者にとっては極めて不安定な働き方と言わざるを得ず、技能向上の機会も殆ど与えられない。偽装請負とは、実際には派遣先の社員の指示を受ける派遣形態であるものの、派遣とすることによる様々な制約やコストアップを逃れるために請負形態により労働者を働かせることである。この様に、90年代半ば以降、労働者派遣法の改正や違法な請負労働の容認の形で政策的に非正規労働の活用が容易になり、非正規労働者の増加により正社員の労働条件の改善も進まなくなった。日本企業は、この様な政策転換により人件費の抑制を容易に実現することが出来た。

 第二に、外人株主比率上昇による企業の収益重視により、賃金抑制が行き過ぎている可能性が高い。日本では、90年代半ばまで金融機関・事業会社の持ち株保有比率が70%を超え、株主からの経営者への圧力は欧米諸国に比較すれば緩やかであった。しかし、90年代後半以降、金融機関・事業会社の持ち株比率が低下し、外人投資家の持ち株比率が急速に上昇した(図表2)。その背景としては、BIS主導による自己資本比率規制の強化により金融機関が株式を保有するコストが高まったこと、時価会計の導入により株式保有のリスクが高まったこと、クロス取引の禁止により持ち合い株式を利用した収益補填が不可能になったこと、などが指摘出来る。また、金融機関・事業会社の株式保有コストを高める一方で、十分な受け皿が用意されなかったことが、外人投資家の持ち株比率上昇をもたらし、外人投資家からの短期的な収益極大化の圧力の高まりに日本企業がさらされることに繋がった。結果的に、収益拡大の手段としてコスト削減が重視され、人件費圧縮が一般化した。

日本の投資家別持株比率

 第三に、90年代に進められた構造改革・規制緩和により、大企業と中小企業との力関係が大企業に有利な方向に変化したことも賃金抑制に繋がった。例えば、2001年度を100とした07年度の経常利益は大企業(資本金10億円以上)211、中堅企業(資本金1〜10億円)137、に対して中小企業(資本金1億円以下)は118に過ぎない。過去と比較して、中小企業の収益回復が遅れている。その結果として、中小企業は人件費の抑制をさらに強めざるを得ない状況に追い込まれており、このことが非正規労働者の雇用拡大に繋がり、賃金の低下をもたらした。

 また中小企業が大企業に比較して厳しい状況に追い込まれている背景としては、大手メーカーの海外生産シフトが進み大手メーカーの下請企業に対するバーゲニングパワーが高まったこと、90年代の大店法に係わる規制緩和により零細小売企業に対する大手流通企業の優位性が高まってきたこと、一連の規制緩和により新規参入が容易となり多くの産業で競争が激化したこと、財政再建を目的とした公共投資・補助金の削減により中小企業への財政支出面からの援助が減少したこと、などが指摘出来る。

 何れにせよ、賃金抑制をもたらした一連の政策の見直しがなければ個人消費の活性化は望めず、中小企業を中心としたものづくり力の低下が懸念される。白書で示されている通り、ものづくりを支援する直接的な政策は豊富だが、日本企業全体を支援する為の情報提供と個人消費活性化に政府が果たすべき役割はまだ残されている。
 
 
 

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